NHK長崎 鉄道150年 SLのギモンを調べてみた!
- 2022年11月09日
皆さんは、子どもの頃からずっと抱いていた疑問ってありませんか?。長年のモヤモヤを解消したい。そんな思いが込められたはがきがNHK長崎放送局に届きました。テーマは鉄道。しかも、SLです。鉄道開業から150年のことし、西九州新幹線の開業に沸く長崎で60年ごしの疑問解決向けて、取材を始めました。
長崎放送局記者 郡義之
気になってました
質問を寄せてくれたのは、長崎市に住む68歳の男性です。はがきには、こう書かれてありました。
「昭和30年代の長崎本線では、SLは最も多い時で1日何本走っていたのでしょうか?」
男性は脳性まひの障害があり、8歳から18歳まで、長崎県諌早市の福祉施設で暮らしました。思うように外出ができない中で、男性が施設の窓から見ていたのが、施設のすぐそばを走る長崎本線のSLだったといいます。
(質問者の男性)
「みんなが寝ている時に、朝5時17分に諫早駅を出発する列車を自分は眺めていました。朝から晩まで飽きることなく見ていました」
もくもくと黒い煙を吐き、力強く鉄路を駆ける雄姿に、少年の心は胸躍りました。あれから60年が過ぎましたが、男性の中では、1つの疑問が消えずに残っていました。
「昭和30年代はたくさんSLが走っていましたが、昭和40年になって急に少なくなりました。子どもの時だった昭和30年代、長崎でSLがどれくらい走っていたのか知りたいんです」
実は鉄道発祥の地
長崎本線は、長崎駅と佐賀県の鳥栖駅を結ぶ全長125キロ余りの路線(新線の場合)です。かつては東京と長崎を結ぶ寝台特急「さくら」も走ったほか、今も長崎と福岡、本州を結ぶ重要な交通路です。実は、長崎は日本の鉄道発祥の地でもあります。新橋・横浜間で鉄道が開業する7年前の1865年(慶応元年)に、貿易商として有名なイギリス人、トーマス・グラバーが長崎で蒸気機関車を走らせ、町なかには、それを記念する碑も建っています。
調査開始!しかし…
まずは、鉄道に詳しい人を探して、長崎市中心部の繁華街で情報収集です。私も子どもの頃から鉄道ファンなだけに、いつも以上に気持ちは躍ります。しかし、聞く人、聞く人、有力な情報を得られず…。それでは、昭和30年代の時刻表が残されていないか、長崎市立図書館に尋ねてみましたが、当時の時刻表は残されていないのとのこと。
続いて聞いたのが、JR九州長崎支社です。
“餅は餅屋”ということで期待を寄せましたが、こちらも「さすがにない」とゼロ回答。
万事休す。取材歴22年目の私でも、さすがにへこみます。
「取材は暗礁に乗り上げたか…」。
そう思った直後、JR九州の担当者の口から、こんな有力情報が聞こえてきました。
「そういえば、吉村さんという方が長崎にいらっしゃいますよ」。
“お宝”発見!
JRの担当者から教えてもらった「吉村さん」に会うべく訪ねたのは、長崎市のとある建物。「こんにちは!」と出てきたのは、柔和な表情を浮かべた1人の男性です。その正体は、長崎の鉄道愛好家でつくるグループ「長崎きしゃ倶楽部」の代表世話人、吉村元志(もとゆき)さん。もともとホテルマンで、本業のかたわら、鉄道関連の展示会に資料を提供するなど、地元では有名な鉄道愛好家です。疑問の解決なるか、私は吉村さんに男性の疑問を尋ねてみました。すると開口一番、「難しい質問ですね。こんな質問初めて」と苦笑い。それでも、
吉村さん
「私は小学校2年生の時から時刻表を買っていますので、何かお答えできるかも知れませんね」
これは、心強いことばです。
吉村さんの案内で建物の2階に上がると、私の目に飛び込んできたのは、たくさんの鉄道資料です。「ここには、時刻表とか、鉄道関係の雑誌が400冊以上、鉄道模型が150両以上あると思います」。
こちらは、懐かしい特急「かもめ」の気動車「キハ82系」の模型。
ずらりと並んだ時刻表。中には、明治時代のものや、長崎に原爆が投下された昭和20年8月のものもあります。
それに、「サボ」と呼ばれる列車の行き先案内板まで、多彩なコレクション。私もついつい見入ってしました。
“サンロクトオ”
果たして、解決につながるお目当ての時刻表は見つかるのか。吉村さんは、コレクションを前に、腕組みをしながら、数々の時刻表が収められた書棚をじっくり見回します。「うーん、これじゃないなあ。これかなあ…」。しばらくたって、書棚の上のほうに手を伸ばした吉村さん。取り出した分厚い1冊の冊子を見せてくれました。「こちらで何とか分かるかと思います」。
取り出したのは、昭和36年10月のダイヤ時刻表です。実はこの年、当時の国鉄が全国的に大規模なダイヤ改正を行っており、鉄道マニアの中では、年代にちなんで「サンロクトオ」と言われ、長崎本線でも当時、SLが多く走った年でもあります。私たちは、時刻表をもとに内川さんが当時暮らしていた諌早市の施設近くを走っていたSLの本数を調べることにしました。
調べてみたら…
こちらが当時の時刻表です。ダイヤに「気」と書いてあるのは、ディーゼル車のこと。当時、長崎本線は電化されていなかったので、それ以外の列車はすべて蒸気機関車です。
「1、2、3、4…」。
時刻表を手に、SLの本数をゆっくりと数える吉村さん。間違いがないよう、何度も確認のために数えます。
その数は程なくしてわかりました。
上り19本、下り16本の計35本(貨物列車除く)。
「意外に多かったですね」。初めて数えたという吉村さんもホッとした表情を浮かべていました。吉村さんによると、今回調べた昭和36年という年は、実は長崎本線にとっても、意義深い年だったことがわかりました。
「長崎に特急かもめが初めて入ってきた年になるんです」。
戦後、京都と博多の間を走った特急かもめは、昭和36年に長崎・宮崎まで延長。昭和43年には京都と長崎・佐世保の間に改められるなど、昭和50年に山陽新幹線が博多に乗り入れるまで、特急かもめは、九州と関西を結ぶ列車として活躍しました。吉村さんも「まさに高度成長とともにあるダイヤ改正だったと思います」と話します。
時代は変わっても…
長崎の発展を支えたSL。その後、長崎本線は電化されたことにより、SLの本数は徐々に減少し、昭和47年にその役割を終えました。
そして、それから半世紀がたったことし、西九州新幹線が開業し、長崎本線を走った特急「かもめ」は新幹線に生まれ変わりました。時代は移り変わっても鉄道は長崎のまちに欠かせない存在として走り続けます。
(吉村さん)
「長崎本線の魅力はなんと言っても、車窓から見える有明海や雲仙の山々です。これからも長崎の鉄道を愛していきます」
子ども時代に抱き、60年の時を経て、解決を見せた鉄道の疑問。これからも、皆さんの素朴な疑問を全力取材で解決します!
あなたのギモン大募集!
NHK長崎では、ふだん気になる素朴な疑問を全力取材で解決します。取材内容は、「イブニング長崎」の中で依頼者に生採点してもらいます。疑問は、NHK長崎のホームページにある「あなたの声ポスト」にお寄せください。