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宮崎の「別府」、びゅうと呼ばれる謎を徹底調査!その由来とは

  • 2024年03月18日

 視聴者から寄せられた疑問、質問にお答えする「てげ探」です。

近藤ディレクター

今回の「てげ探」は、「延岡市に別府と書いて“びゅう”と読む町名があるのですが、昔から謎に思っています。大分県にある地名は別府(べっぷ)。宮崎市にあるのは新別府(しんべっぷ)と呼ぶのに、なぜ延岡市にあるのは“びゅう”と呼ぶのか?」です。

辻本キャスター

たしかに宮崎局の近くは新別府(しんべっぷ)と呼ぶのに延岡市の”びゅう”は気になりますね。

近藤ディレクター

そうですよね。なぜ延岡市では、別府を「びゅう」と呼ぶのか、その謎を「てげ探」してきました。

調査開始!延岡市で取材班がみたものは!? 

取材班が向かったのは、別府(べっぷ)と書いて「びゅう」と読む地名があるという延岡市です。その別府町(びゅうまち)に入ったとたん、大きく「びゅう」と書かれた看板を発見!。

「びゅう」の看板

道路の案内標識にも・・・「びゅうまち」と、ふりがながふられていました。

「びゅうまち」とふりがながふられた道路の案内標識

さらに「びゅう」を探してみると。あるわ、あるわ。至る所で目に入りました。

町の人にも聞き取り調査!

近藤ディレクター

なぜこの字で、“びゅう”と読むか知ってます?

全然わかんない。気にも止めたことがなかった。そういうふうに読むものだと思ってたから。

大体ここの方だったら、“びゅう”って読みますよ。

ちっちゃい時から“びゅう”。親の実家が“びゅう”なんで。よく“びゅう”には来ていたんで、ちっちゃい時からもう“びゅう”ってのは普通ですね。

辻本キャスター

地元の人にとって、別府を“びゅう”と読むのは当たり前なんですね。

近藤ディレクター

でも、なぜ延岡では、別府を“びゅう”と読むようになったのか、気になりますよね。延岡の歴史に詳しい学芸員の増田さんに理由を聞きました。

専門家に「びゅう」の謎を徹底取材!

【延岡城・内藤記念博物館 学芸員 増田 豪さん

普通に読むと、“べっぷ”なんですけど、なまって、“びゅう”になったのではないかと考えられています。この“べっぷ”というのはもともと平安時代からの由来の言葉になりますので、非常に古い中で、言葉がなまって、“びゅう”に変わってきたんじゃないか。

こちらは鎌倉時代に編さんされた資料。この資料に、現在も地名が残る延岡市の岡富(おかとみ)に別府という土地があったことが記されています。一説には、この別府が江戸時代に“べふ”と読まれるようになり、その後、“びゅう”となまって浸透していったというのです。

さらに、興味深いことも分かりました。実は「別府」というのは、かつて特別な土地だったことを示す言葉だと言うんです。

増田さん

別府は、平安時代から鎌倉時代にかけての土地制度の一種ということになります。別の『懲符』とか、別の『官符』のことで、別に税金を納める形で認められた土地ということで、その辺りが別府という地名に変わっていったと思われる。

この別府。主に西日本、特に九州地方に数多く作られたと言います。中でも多かったのが宮崎県です。今から900年ほど前には、現在の宮崎市に当たる地域に、こんなにたくさんの別府があったんです。

現在の宮崎市付近にあったたくさんの「別府」

ここで増田さんからこんな言葉が。

増田さん

宮崎県内で、たくさんの別府が作られていますので、別府という漢字を使って、“びゅう”と呼んだりする場所が、現代もいくつか残っています。ぜひ宮崎(市)のほうも調べていただければと思います。

なんと!宮崎県内では、延岡市以外にも、“びゅう”という地名が残っているという、お宝情報をゲット!早速、どこに「びゅう」が残っているか、総力取材すると・・・。ありました!宮崎市内にいくつか「びゅう」が残っていました

宮崎市の「びゅう」を探して

向かったのは宮崎市の市街地に近い新別府(しんべっぷ)町。元は「しんびゅう」でしたが、昭和8年に今の読み方になりました。その新別府町のすぐ近くを流れるこちらの川。当然、「しんべっぷがわ」かと思いきや・・・。なんと、「しんびゅうがわ」!。川の名前の読み方は「びゅう」なんです。

宮﨑市街地に近い新別府川の呼び名

さらに新別府町にあるバス停の名称は・・・「新別府(しんびゅう)」

宮崎市の新別府町にあるバス停の標識

続いて向かったのは宮崎市島之内にある日向住吉駅です。すぐそばの公民館を見ると、「別府」の文字が。どう読むのか、館長さんに伺ってみました。

山本館長

これは、“じろがびゅう”公民館と読みます

山本館長

昔からでしょうね。生まれた時から、地域の子供たちも、“じろうがびゅう”って呼んでますので、誰も変えられなかったんでしょうね。

調べてみると、駅名も当初は次郎ヶ別府駅(じろがびゅう)でした。駅名が変わっても、公民館のほうは「びゅう」のままだったんです。

こちらは、かつて農村の基礎的な単位だった「農業集落」の境界図です。

農林水産省HP「農村集落境界」より

行政が定めた現在の住所表記にはないものの、昔、この辺りの地名が「じろがびゅう」だったことが分かります。

こちらは、地元で生まれ育った男性です。

次郎ヶ別府で生まれ育った 溝部 喜一郎さん

水路の佐土原側が“ひがしじろうがびゅう”、反対側が“にしじろうがびゅう”って言ってました。行政的に島之内になっていても、関係なく、じろうがびゅうです。公民館が次郎がびゅうですから。地元の人間はそっちのほうがなじみがあります

地名が変わっても変わらない読み方のわけとは

町の名前が変わったのに、なぜバス停や公民館の名は「びゅう」のままになっているのか。宮崎県史を編さんした中心人物の1人、永井 哲雄さんに理由を伺いました。

元宮崎県史編さん室長 永井 哲夫さん

明治以降、行政の地名の読み方が誰にでも分かる、きちんとした呼び方、ふりがながつけられる読み方に変えられたと思います。しかし、親しみを持って、やっぱり、宮崎の人は伝統的な宮崎のことばを使っている。それに関連してきた川の名前とか、そういうものもそのまま残っているという形になっていると思います。

元宮崎県史編さん室長 永井 哲夫さん
辻本キャスター

宮崎県では、もともと江戸時代に別府を「びゅう」と読んでいたんですね。市内にもたくさん別府があって、町の中でしんべっぷとしんびゅうがあるのが面白いなと思いますね。

近藤ディレクター

ちなみに、宮崎市の新別府町にあるバス停の読み方を「しんびゅう」にした理由を宮崎交通に尋ねてみました。担当者によると、「昔のことなので確実なことは言えないが、当時、地元の人にとって、“しんびゅう”のほうが浸透していて、“しんびゅう川”もあったため、そちらのほうがなじみ深いだろうと考えたのではないか」ということでした。

近藤ディレクター

私も取材を通じて、明治以降、行政が読み方を「べっぷ」に改めたあとも、地元の人たちはあえて「びゅう」という呼び名を使い続けているところに、地元愛の深さを感じました。

辻本キャスター

そうですよね。地元の人たちは親しみをもって使い続けてきたということですよね。宮崎の人たちの地元を愛する気持ちが感じられました。

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