Jリーグ30周年 福西崇史さんと前園真聖さんが歴史を振り返る
- 2023年05月22日
Jリーグ30周年特別企画「Jリーグと私」Jリーグファンの皆様からのお便りやテゲバジャーロ宮崎の解説でお馴染み福西崇史さんと前園真聖さんのJリーグの思い出を紹介します。
Jリーグで”サッカーが身近に” 家族の願いは宮崎にもJ1を!
日向市の「しほ」さんから。
Jリーグができてから、宮崎にはたくさんのチームがキャンプに来るようになり、親子で楽しみにしてきました。
5歳でサッカーを始めた長男はこの春、4年生に。頭の中はサッカー一色で、家ではいつもブツブツいいながら、1人で戦術を考えています。
兄の練習につきあわされている2年生の次男も、いつのまにかたくさんのことを覚えていてビックリ。2人とも、サッカーに育てられています。
親の私たちも試合を見に行くのが楽しみで、勝っても負けても、帰りの車内は話が尽きません。
宮崎からJ1のチームが誕生したら最高!。そんな気持ちで、テゲバも応援に行っています。
「サッカーの時代が来る!」 30年応援続ける71才
続いては宮崎市の71歳、「生涯サッカー」さんから。
Jリーグ30周年と聞いて、感慨深いものがあります。学生時代からサッカーにのめり込み、Jリーグ開幕当時は社会人チームの監督をしていた私は、「これからサッカーの時代が来る」と、大いに興奮したものです。
ユニフォームの色を、初代チャンピオン・ヴェルディ川崎に合わせてグリーンにしたのも、懐かしい思い出です。
これからも命ある限り、Jリーグを応援し続けます。
福西崇史さんと前園真聖さんに聞くJリーグ30年の歴史
Jリーグが今年5月で30周年を迎えるということで、まずは30周年と聞いて、何を思い浮かべますか?
僕は92年に(横浜フリューゲルスに)入団したんですけれども、最初はオリジナル10で、今は60チームですから、サッカーが地域に根付いていって、これだけチームも、サポーターも増えてきて、やっぱり選手だけじゃなくていろんな方のおかげでここまで来たんだなと、「30周年」というのを聞いて改めて思います。
僕は95年(ジュビロ磐田に)入団で、Jリーグを地元(愛媛 新居浜)で見ていた、その憧れた環境の中に自分がいられるようになった。その歴史の中にいられたのはうれしく思います。
10チームから60チームになっていることが、日本中にJリーグを根付かせている要因でもあるので、30年の歴史・重みを感じている。また、Jリーグが世界にどんどん発信するようになって"成長度"をものすごく感じる。と同時に、自分たちも年取ったなと 笑。
”スター”が牽引してきたJリーグ
発足当初のJリーグを盛り上げたのが、次々と生まれたスター選手たち。前園さんも、その1人でした。
「これからは自分たちが、日本のスポーツ界を引っ張っていく」。あの頃はどの選手も、スター像への”憧憬”と”貪欲さ”に満ちていたと振り返ります。
(スターと言えば)前園さんはピンクのポルシェに…
ま、そういう(佐々木さんの衣装みたいな)色でしたけれどもね 笑。
Jリーグが立ち上がるまで、日本のプロスポーツというと野球だった。いろんな先輩方、カズさんやラモスさんと話す機会があったが、「Jリーグでプロとしてやっていく」、「野球には負けないぞ!」という思いがみんなあって、「野球よりも俺らのサッカーのほうがすごいんだ!」という気持ちが、プレーもそうだが、「見た目もカッコよくいこうぜ!」という雰囲気がありました。
そういう先輩方をみて僕らもついていった。とにかく目立ってやろうという気持ちが前面に、ピッチでもオフ・ザ・ピッチでもあった。
なんでその気持ちが「ピンクのポルシェ」になったのかが疑問ですけれども 笑、そういう気持ちがあったのは間違いないですね。
僕らはそういう選手と戦ったりして、「カッコいいな」「憧れるな」と思った。派手には見えるかもしれないが、憧れでもあるので、それを目標に頑張れる、それがすごくよかったと思いますよ。ピンクなのはわからないですし、(フリューゲルスには)3台ぐらいありましたけれども 笑。
うん、(ピンクのポルシェは)チームに3人いたね。
僕らも前園さんのドリブルをマネしたけど「できへん」って言って。”ドリブルと言えばゾノ”だった。あとはカズさんがあの時の大スターで。「世界を知っている人がここにいる」「話もできない」って思いながらも、そういうのを積み重ねて(成長して)いった。
ゾノさんもそうだが、先輩方が日本リーグ時代からやってこられて、Jリーグで、プロとはどういうものか、先輩方、外国人選手・監督が来てすごい感じた。
その積み重ねで、いまやスペイン・ドイツを倒すような日本代表も出来上がっている?
そう思います。その積み重ね・歴史がないと、たぶんイニエスタ(元スペイン代表)とかも来ないと思う。
これからどうしていくかと考えたら、もっともっと外国籍の選手にとって「来たいリーグ」にならなきゃいけないと思う。
”テゲバウォッチャー”福西さん・前園さん 宮崎への期待
サッカー不毛の地だった宮崎にも3年前、初めてのJリーグクラブ・テゲバが誕生しました。テゲバが、そしてJリーグが末永く発展していくために。2人は、地域との関係を大事に築いて欲しいと言います。
”テゲバウォッチャーの1号”として思うのは、強いクラブは、サポーターの皆さんも最初は「ただ見に来てた」というところから、応援していくうちに、どうやったらチームが強くなるかを本当に考えてくれるようになっていく。いまはテゲバも、これだけのお客さんが来るようになった。もっと応援したいと思わせる結果も残さなきゃいけないし、そうしたサポーターとクラブ・選手との関係は、地域で作っていかなきゃいけない。
これまで30年続いてきたように、次の世代へ、そしてサポーターも次の世代へとつながるような、そういう環境づくりをしていく必要があると思う。
そこから今度は強化。その地域で育った選手が日本を背負うとか、戻ってきてくれるとか、そういう”循環”をさせていくのが大事だと思う。
93年開幕した時、Jリーグの理念は“地域密着”だった。”地域に根付くチーム”を目指すという意味では、宮崎はまだ3年目で、これからだと思う。
Jリーグにはカテゴリーがあり、J3、J2、J1と目指すところがあるので、まず選手はそこを目指してやっていく。ずっと良い時・勝ってる時ではないので、負けている時でも、見てくれる人に伝わるような、「魅力がある」「よくやった」「次につながる」という試合を、毎試合選手たちはやるべき。
サポーター・ファンが来ないとJリーグは成り立っていかない。地域にチームがあると、子供たちの”目の前の目標”になる。子供たちが憧れて「テゲバに入りたい!」と思えるような、魅力ある選手・プレーを目指してほしいと思う。それがずっと、歴史としてつながっていくと思う。
テゲバ色のピンクのポルシェを…
(テゲバの選手にも)誰か乗ってもらわないとね笑
Jリーグがこの先50年、100年と発展していくように、私たちもテゲバの応援を通じて、宮崎から盛り上げていけたらいいですね。
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