『あの柊平が』 ~期待値ゼロから日本代表にのぼりつめた男~
- 2023年02月07日
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ことし9月、ラグビー日本代表が再びワールドカップの戦いに挑む。
熾烈なメンバー争いに去年、1人の男が名乗りをあげた。
ラグビーが盛んとはいえない宮崎で生まれ育った男。特別な才能に恵まれたわけでもない。
しかし、男はこれはと決めた道をいちずに進んだ。
人生には才能や環境よりも大切なものがある。
(宮崎放送局記者 新堀潮)※文中敬称略
夢の時間
去年6月、日本 対 ウルグアイの強化試合。
後半20分、竹内柊平は桜のジャージに身を包み秩父宮ラグビー場のピッチに立った。
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体の大きな外国人選手の間を力強く突進していく。
スクラムでも押し勝ち、「ヨッシャー!」とスタジアムに響きわたるほどの雄叫びをあげた。
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日本代表のデビュー戦は上々のできと言ってよかった。出場時間は20分ほど、竹内は自身のツイッターに「夢のような時間でした」とつづった。
日の丸を背負った人は誰もが初めはそう思うのかもしれない。
ただ、竹内の歩みを知ればそれがいかに「夢の時間」だったのかがよく分かる。
先生についたうそ
竹内が”ラグビー”というものに触れたのは小学6年生の時。
わんぱくで好奇心旺盛な少年は休み時間のドッチボールが何よりの楽しみだった。
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竹内が通っていた宮崎市の小学校に学生時代、ラグビーをしていた教諭がいた。
だからといって、はなからラグビーをやろうと思ったわけではない。
(竹内選手)
普通のドッチボールに飽きちゃって、ラグビーボールでやったら面白そうだと思って先生に貸して欲しいとお願いしに行ったんです。
そうしたら『お前、ラグビーに興味があるのか』と聞かれて。『ない』って言ったらボールを貸してくれないと思ったので『あります』って答えたんです。
とっさについたうそが竹内をラグビーの世界に導く。
(竹内選手)
『次の土曜日、動ける格好で来い』といわれて、近くにあった中学校のラグビー部の見学に連れて行かれました。走る、ぶつかる、倒れる、起き上がる、ボールを蹴る。こんなに何をしてもいいものがあるんだとすごく輝いてみえました。
竹内のラグビー人生が始まった。
特別な招待状
『体も小さいし、運動能力も高くない。こんな鈍くさい子がやっていけるんだろうか』
竹内が中学生まで通った「宮崎ラグビースクール」の当時の指導者の印象だ。
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今でこそ身長183センチ、体重115キロの竹内だが中学3年生になっても160センチ、60キロと線が細かった。
体格も、実力も同級生とどんどん差がつき、試合に出れば弱点として狙われることもあった。
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スクールのコーチだった井俣康典によると当時のチームメートの親たちが最近の竹内の活躍を話すとき、きまって口にするふた文字があるという。
(井俣さん)
『あの柊平が』って必ず『あの』というふた文字がつくんですよね。それくらい選手としては目立ちませんでした。
勉強は苦手だったという竹内。高校はラグビーの強豪校に入りたいと思ってはいたが誘ってくれる学校はなかった。
ただ1人、地元、宮崎工業の監督の佐藤清文だけが声をかけた。
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宮崎ラグビースクールは平日は宮崎工業のグラウンドを間借りして練習していた。佐藤は竹内のプレーを目にする機会もあったが、うまい選手とは思っていなかった。
なぜ、竹内に声をかけたのか。
(佐藤さん)
当時、部員が10人そこそこ。15人制のラグビーでは試合にも出られません。だから、とにかく経験者の新入生が欲しかった。中学生のころの竹内は下手なのに誰よりも声を出して楽しそうに練習をしていたんですよ。どこかでその『好き』が生きる。やる気があればどこかで花が咲くだろうと。
全国大会の「花園」とは無縁の学校からの誘い。
それは竹内には特別な招待状に思えた。
(竹内選手)
ラグビースクールの同級生はみんな声がかかっていたのに僕だけ声がかからなくて、ラグビーを続けることを半分、諦めていたんです。
そんなときに佐藤先生が『一緒にラグビーをしないか』と言ってくれた。ラグビー人生で初めて人から求められた。
めちゃくちゃ嬉しかったです。
この人の”誇り”になる
入部してみると、練習の厳しさは想像以上だった。
基礎体力をつけるメニューに比重が置かれ、夏場にはパスをつなぎながらダッシュを続ける「ランパス」というメニューで徹底的に走り込まされた。
チームで一番足が遅かった竹内にとっては今でも忘れられない、きつい練習だったという。
それでも竹内は佐藤の指導に食らいつく。
細身だった体を大きくするため1食で3合の米を詰め込むこともあった。
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3年生のころには体重は入部当初から20キロ以上増え、40キロのバーベルを持ち上げるのがやっとだったベンチプレスも100キロ以上を持ち上げるほどにたくましくなっていた。
竹内に触発されるようにほかの部員たちも力を伸ばしていった。
『花園も狙える』
そう思って臨んだ高校生活最後の県大会だったが勝負の世界は甘くない。
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負けたことのない相手に足元をすくわれ、初戦敗退。
ラグビーを諦めかけていた自分を救ってくれた恩師の期待に応えられなかった。
涙をみせず選手たちに語りかけた佐藤の顔をみながら思った。
『いつかこの人が、『竹内は自分の教え子だ』と誇れるような選手になろう』
決断
大学は全国的には無名だがトップリーガーも輩出している九州共立大学に進む。
高校時代に抱いた思いはさらに強くなっていった。
(竹内選手)
佐藤先生にも、大学時代の監督や先輩にも本当にお世話になってラグビーを続けてこられました。プロとして、トップ選手、日本代表になることで母校の名をあげて恩返しがしたい。自分が有名になるには上に行くしかない。
大学2年生を終えるころ、気持ちは固まっていた。
ただし、プロを目指すには問題があった。
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それまで竹内は主にナンバーエイトというポジションでプレーしていた。
ボールを持って走りディフェンスを突破したり、タックルでピンチの目を摘んだりとプレーの幅が広い。パワーにスピードを兼ね備えた万能型の選手が任され、レベルが上がるほどもって生まれた才能や体のサイズがものをいう。
(竹内選手)
トップリーグとか日本代表の試合をすごくみるようになったんですけど、そのレベルではナンバーエイトは自分のサイズでは通用しない。技術で勝負できるかというとそれも厳しい。ポジションを変えて挑もうと思いました。
目を付けたポジションが「プロップ」だった。
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スクラムの最前列で相手と組み合うプロップはとにかくスクラムで押し負けないこと。
スクラムで押し込み攻撃を有利な形に持ち込むことこそが与えられたもっとも重要な役割だ。
専門職ともいえ、経験豊富な職人肌の選手が多いポジションでもある。
素人同然の竹内が転向するにはリスクがあったが、「自分の体幹や足腰の強さが生かせる」と懸けた。
おもしろいね、君
一般的に大学のスター選手はスカウトされてトップチームに入団する。そうでない選手が入団するにはトライアウトで関係者の目にとまる必要がある。
竹内もトライアウトに参加した。
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プロップでエントリーしたので、当然、スクラムのテストがある。
ところが竹内がまともにスクラムを組むのはこれが初めてだった。
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関係者のひとりとして参加していた斉藤展士は第一印象をこう語る。
(斉藤コーチ)
スクラムで、素人感全開の選手がいて、それが竹内でした
斉藤は国内最高峰のトップリーグで長年プロップとして活躍し、引退後は古巣のコーチになっていた。
竹内に近づいて、言った。
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君、ちょっと組み方が変だよ
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すみません。8人でスクラムを組むのはきょうが初めてでよくわからないんです
普通ならあきれるところだろう。だが、斉藤は他の選手にない魅力を感じた。
(斉藤コーチ)
よくよく聞いたら、トライアウトに合格するためだけにポジションを変更したと言うんです。この選手、おもしろいなと思いました。
(竹内選手)
正直に言ったら爆笑されて、『おもしろいね、君』って。それがファーストコンタクトでした。
(斉藤コーチ)
驚いたけれど、情熱をもって一発勝負に懸けたところがピンときました。
もちろん、そのユニークさだけを評価したのではない。
俊敏性も求められるナンバーエイトとスクラム専門のプロップとでは体つきがまったく異なる。
竹内はわずか1ヶ月で、スクラムに向いた腰が重くて、どっしりした体に作り変えていた。
斉藤はそれがどれだけ大変なことかわかった。
竹内が入団するチームが決まった。
竹内柊平=ラグビー
入団から2年あまり。
「むちゃくちゃ、早い」と指導する斉藤が舌を巻くほど竹内の成長速度は群を抜くという。
斉藤によると圧倒的な練習量に加えて、スクラムを組むほかのメンバーと練習中、ことあるごとに意見を交わす姿勢がカギだという。
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(斉藤コーチ)
結局、スクラムは1人では組めないんですよ。
先頭に立つプロップは後ろの選手たちに押してもらって力をうまく伝えられるかが大事です。
そのためにはお互いの動きを深く理解しないといけない。竹内はそこをものすごく理解している。
まだまだ、荒削りだけどそれが急成長の理由だと思います。
日本代表ではデビュー戦のウルグアイ戦に続き、去年11月は世界2位、フランスとの強化試合に出場。スクラムで互角に押し合った。
所属チームでも主力としてリーグ戦の開幕4連勝に貢献している。
今、ワールドカップは手の届くところにある。
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(竹内選手)
今まですごく下り坂とか上り坂とか色々な壁があってそれを乗り越えてやっとここまできました。支えてくれた人たちに恩返しするためにも絶対に目標を叶えたい。
取材の最後に竹内にとってラグビーとは何か聞いてみた。
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(竹内選手)
竹内柊平=『ラグビー』って胸を張って言えるくらいラグビーは僕の生活の中心で、僕自身です。
まっすぐで、力強い言葉だった。