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ウクライナ人ディレクター カテリーナが見た故郷のいま

ロシアによる侵攻開始から2年。

日本でウクライナのことを伝え続けてきたウクライナ人のNHKディレクター、ノヴィツカ・カテリーナが、侵攻後 はじめて故郷に戻り、2年におよぶ戦争が身近な人たちや慣れ親しんだ街をどう変えたのか取材しました。

(国際放送局ディレクター ノヴィツカ・カテリーナ)

ウクライナ出身のNHKディレクターが5年ぶりに帰国

私はノヴィツカ・カテリーナ(28)、ウクライナ・キーウ出身。

幼いころから日本のアニメが大好き(初めて見たのは『美少女戦士セーラームーン』)で、趣味はコスプレです。

5年前に来日し、NHKでおもに海外向けのニュース番組のディレクターとして、日本のサブカルチャーなどについて世界に発信してきました。

2022年2月24日、ロシアが私の故郷ウクライナに侵攻しました。私自身、そしてウクライナにいる家族の人生は、一変しました。妹は日本に避難し、父と母はキーウに残る選択をしました。両親はもう2年もの間、ミサイルの下で暮らしています。

私自身は日本に留まり、ウクライナ人の声を日本人に届けることに専念しました。「ウクライナを伝え続けることが、私にできることだ」と感じたから。でもずっと、心に引っかかっていたことがありました。

「私自身は戦渦に巻き込まれたウクライナで1分も過ごしていない。戦争をこの目で見ていない自分が、戦争を語っている、ウクライナ人の気持ちを語っている…」


「ウクライナ人は今どんな生活を送っているのか、どんなことを感じているのか、その場所に、その瞬間に一緒にいて、感じて、知りたい。自分の伝える言葉にしっかりと自信を持ちたい」

そんな思いで、私は去年10月から約1か月、ウクライナに帰国しました。日本人ディレクターとカメラマンも同行し、時には自分でカメラを回して、家族や友人など私の身近な人たちの日常や本音を記録、取材することにしたのです。

正直に言えば、久しぶりの里帰りは、怖いというよりワクワクする気持ちにあふれていました。こうして、私の“故郷の戦争を知る旅”が始まりました。

生まれ育った街キーウへ

現在、ウクライナ上空は飛行が制限されているため、陸路で向かうしかありません。キーウにたどり着くまでに、これまでの3倍の時間がかかりました。

道のりを簡単に説明するとこんな感じです。

日本→ウクライナの隣国ポーランドまで飛行機→ウクライナとの国境を徒歩で越える→ウクライナ西部の街リビウから夜行列車に乗る→キーウに到着。

ポーランド・ウクライナ国境を初めて歩いて越える私

ウクライナに入って、まず気づいたのは避難者の数の多さです。侵攻前は、観光客でにぎわっていたリビウ駅も、子どもを連れたお母さんたちであふれていました。

駅のホームに、大きな馬のぬいぐるみを抱えた女の子がいました。気になって、お母さんに声をかけてみました。

母親

「娘とチェコに避難中で、今は、2週間だけお父さんに会うために家に戻るところです。娘にはこの避難について、“これは女の子の冒険だよ。女の子だけが旅をして、男の子は国や家を守っているんだよ”と伝えました」

カテリーナ

「あなたにとっての平和とは何ですか?」

母親

「平和は、すぐ逃げられるように娘の荷物や靴、水はどこにあるのかを気にすることなく、娘を安心して寝かせられることだと思います」

リビウ駅のホームで出会った避難先から一時帰国中の親子。ウクライナでは侵攻が始まって以降、総動員令が出され、18~60歳の男性は原則、出国が禁じられているため、父親とは離れて暮らしている

キーウに向かう夜行列車に乗った私は、乗り合わせた人たちにも声をかけてみました。一見、普通の旅行者に見えた3世代のこの一家は、自宅のある街アウディーイウカが激戦地となり、2年近く避難生活を続けていました。

「故郷では毎日、600回もの砲撃があると聞いています。消火設備もなければ、消防士もいません。残っている人たちは自力で火を消し、人を救助しています。ただ、今でも、がれきの下敷きになった遺体を収容できないままだと聞きました」

「きょう、街を歩いている時、自分のベッドで眠れて、自分の家のお風呂に入れる人たちがうらやましくなりました。どこで人生を築き直せばいいのか分かりません。でもいつか故郷に帰るという夢も捨てられません」

夜行列車で出会った激戦地から避難中の一家

戦争とは「街で偶然出会った誰に声をかけても、想像を絶する話を聞くことになること」なのだと私は初めて知りました。

家族と再会、実家へ

故郷キーウの駅で私を待っていたのは、花束を持った母 ナタリヤと父 オレグでした。戦争のただ中での再会は、奇跡のようでした。

父と母と戦時下での再会

しかし両親も、5年ぶりに帰った実家も、戦争で大きく変わっていました。

私が住んでいたころ、大きな鏡や絵が飾られていた玄関の壁は、何もなくなっていました。

「この玄関が私たちのシェルターだからね。爆発で割れてけがをしそうな物は、すべて壁から外したんだ」

首都キーウでも、ロシアによるミサイルや無人機の攻撃が続いていました。攻撃が始まると、空襲警報が発令され、スマートフォンにも通知されます。警報が解除されるまで、窓のない玄関など、少しでも安全と思われる場所に避難します。

「大規模な攻撃の時には、警報は4~5時間続くよ。その場合は、廊下に布団を敷いて寝ているの」

「怖くないのは、最初の爆発を聞くときまで。一度その音を聞いたら変わってしまうよ」

「私も前は怖くなかったの。でも、近所の病院にミサイルの破片が落ちた時、建物が揺れて、うちに当たったと思った。それ以来攻撃があるたびにパニックになる」

たくさんの料理を用意して、嬉しそうに出迎えてくれた両親の様子も戦争前とは違っていることに気づきました。

「私はこの2年で、まったく泣くことができなくなってしまった」

カテリーナ

「どうして?」

「どうしてか分からない。泣けば楽になると分かっているのに、泣けないの」

「代わりに俺が泣くようになったね。いろいろと価値観が変わったと思う」

「まったく変わった。今まで気づかなかったささいなことに気づくようになった。花が咲くとか、鳥のさえずりとか。前はそんなこと気にも留めなかったのに」

私と妹がシェアしていた部屋の隅で、カレンダーを見つけました。日付は、2022年2月。妹が国外に避難したあと、誰にもめくられることなく、時間が止まっていました。

“軍服姿”に変わった私の故郷

キーウの街に出ると、店やレストランは営業していて、友人や家族と過ごす人の姿も多くありました。一見平和そうに見える街。でも、戦争前の姿を知っている私には、はっきりと違って見えました。あちこちに軍のポスターが貼られていました。集合住宅の窓は、攻撃で割れないようにテープが貼られていました。

近所でも爆発で窓が吹き飛ばされた場所がありました

私は母校を訪ねることにしました。ウクライナの子どもたちは、日本でいう小・中・高校の11年間、同じ校舎で、同じクラスで、同じクラスメイトたちと勉強します。第二の家のような存在です。私は2013年に卒業しました。

学校に入ったとたん、カメラに興味津々の子どもたちが集まってきました。

カテリーナ

「何年生ですか?」

生徒たち

「7年生です。」※日本では中学1年生にあたる

カテ

「みんな何歳ですか?」

生徒たち

「13歳か、12歳の子もいます」

母校の生徒たちは、攻撃の時にどう行動すべきかきちんと知っていました。私の学生時代とは比較にならないほど、たくさんの知識を身につけていました
カテリーナ

「戦争で学校は変わりましたか?」

生徒

「はい、すべての教科書は、オンラインになりました」

生徒

「海外に避難した生徒もいます」

生徒

「うちのクラスから3人は、海外に避難しました。もう戻らないかもしれない」

生徒

「いまは何もかもが、どんどん変わっています」

生徒

「子ども時代がどんどん過ぎていくし、大人に近づいていくけれど、思い出に残せることがありません。戦争が始まったからです」

子どもたちの中には、日本のアニメが好きな子もいて、お別れのあいさつをするときに、日本式のおじぎをしてくれました。

明るそうにふるまっていた子どもたち。

でも、学校の掲示板には、私の学生時代にはなかったポスターがたくさん貼られていました。すべて、精神的ケアについてのものでした。

ポスターの内容:
『実際には、警報がないのに、聞こえてしまうあなたに』
『不安で眠れない?』
母校の壁には、今までなかった戦時下における子どもの精神的ケアのポスター

母校にはもうひとつ、大きな変化がありました。学校の地下室はシェルターに改装されていました。校長に案内してもらいました。

地下室に入ることは、私にとってとても不思議で信じられないことでした。この学校で勉強していたころ、この地下室はずっと、一般の子どもたちは入れない、扉がいつも閉まっている、『秘密の部屋』のような場所だったからです。

でも今は、空襲警報が発令されるたびに教員たちは生徒をこの部屋に避難させ、授業を続けています。シェルターとして長時間避難できるように、トイレや換気設備の工事も進んでいました。

「ここには、400人の生徒が避難できます。でも、学校の生徒数は400人以上なので、全員一度にシェルターに入れないのです。だから1年生から7年生までの生徒たちは午前のクラス。午前中に小学生の授業が終わると、上の学年の生徒たちが授業を受ける、2部制に変わりました。一時期、ここにベッドを整備することまで考えていました。本当は、こうした状況が短期間で終わり、こんなものは全て使う必要がないとよいのですが」

シェルターを案内してくれた校長

でも現実には、今もこのシェルターは使われ続けています。空襲警報が多い時には、1日に3回以上、避難することもあるそうです。

10年後の同窓会

私はこの学校を2013年に卒業しました。まだ戦争の大きな足音は聞こえない、平和で夢にあふれているときでした。

小・中・高校時代をともに過ごした同級生たちは、この10年をどう生きてきたのか、戦争の影響は受けてないのか、ずっと気がかりでした。

卒業式の時、私たちは「10年後にまた集まろう」と約束して別れました。それからちょうど10年。同級生たちに声をかけると、久しぶりに母校に集まって同窓会をすることになりました。

24人のクラスメイトのうち、この日集まったのは11人。担任だった生物担当のリペツカ先生も駆けつけてくれました。

卒業してから10年 懐かしい教室で開かれた同窓会
当時担任だったリペツカ先生

「今日の授業は、人生についてです。人生について話しましょう。あなたたちはどうしていましたか。今、何をしているのでしょうか」

10年たっても女性たちは全く変わっていないのに対し、男性たちは髭を生やしていて、
10年の歳月を感じました。

アリーナ

「10年たっても、みんな変わらない」

カテリーナ

「ね、誰も変わってないね」

当時担任だったリペツカ先生

「まあ、男子たちはちょっと…」

アリーナ

「変わりましたね。ヒゲが確実に変わりました」

ロマン

「当時ヒゲなんか生やしたら、校則違反で学校に行けなかったでしょ(笑)」

当時担任だったリペツカ先生

「セルヒーもヒゲを生やしているのね」

セルヒー

「やっと生えました(笑)」

10年たっても変わらない、クラスメイトや先生との懐かしいやりとり。

当時担任だったリペツカ先生

「今、アンドリーとヤロスラヴは、私たちを守るために戦っていますね」

でも、戦場にいるクラスメイトの話になった瞬間、それまでわいわい騒いでいた教室は、一気に静かになりました。

いつもクラスの中心にいたアンドリーと物静かなヤロスラヴ。同窓会に来られなかった二人は、侵攻が始まってから志願して兵士となり、戦場でロシア軍と戦っていました。

アンナ

「キーウでこんなことが起きるなんて、考えもしなかった」

当時担任だったリペツカ先生

「爆発音にはいつまでたっても慣れない。そんなのは不可能」

アリーナ

「どうだろう、私はある程度慣れた気がする」

ロマン

「爆発の音に?ずっとストレスを感じ続けるのは大変すぎるから、無意識に、自分を守るために恐怖を感じなくなっているのかも。とてもよくないよ」

アリーナ

「もちろん、最初は反応してしまうけど、時間がたつと慣れてしまう。ちなみに、うちの猫ですら避難することを覚えたよ。毎日午前5時に砲撃があった。だから猫は、毎朝5時になると、廊下に避難するようになったよ」

当時担任だったリペツカ先生

「皆さん、これを何というか分かりますか?『条件反射』ですね。生物学で習いましたね(笑)」

同窓会にも、戦争が入り込んでいました。

戦争によってどんな価値観の変化があるのか、クラスメイトたちに聞いてみました。

アリーナ

「戦争は私の人生を大きく変えた。避難するかどうかの選択を突き付けられた時、ウクライナ、キーウ以外の場所には住みたくないとわかった。家を出るくらいなら、爆発やミサイルと共に暮らす道を選ぶ。自分がどこに住みたいのか、人生において自分が何を求めているのかを見つめ直した。今までやりたいこと、興味のあることをたくさん後回しにしてきた。でももう『後』はないんだと思った。『今』しかないんだと」

アンナ

「戦争が始まった時、私は妊娠していたから、色々なことがもっと大変になってしまった。特に記憶に残っているのは、生まれたばかりの娘を抱っこしてる時、輸送機が飛んでいて、うるさかった。私は娘を抱っこしながら、歌い続けた。その輸送機の騒音ではなく、私の声が聞こえるように。戦争が始まって、色々価値観が変わったと思う。お金を稼ぐことより、家族と自分の時間がもっと大切になった。平和な時代に生きたい。ワンちゃんと子どもがたくさんいる、大きな家族で」

カーチャ

「以前よりも、家族、両親ともっと親しくなった。もっと話せるようになった。物質的なものはそれほど重要ではなくなった。自分の家族も作りたいけど、今の世の中を見ると、未来の予定を考えるのが怖い。1週間後でさえ、どうなるかわからないから」

カテリーナ

「戦争がある中で、子どもを産むことは怖くない?」

カーチャ

「怖い。それも結構いま悩んでいる。まあでも、子どもを産んで何とかやっている人もいるから。避難してどこかに行くことになるかもしれないけど…」

当時担任だったリペツカ先生

「次の10年、生徒たちにはもっと色々なことを成し遂げてほしいです。悲しみや苦しみなしで、もっと幸せに、笑いながら生きていてほしいです。とにかく、生きていてくれればいい。特に、今戦場で戦っている子たち。生きていて、健康で、幸せでいてほしい、それだけです」

「また10年後、みんなで集まろう」と願いながら、同窓会は終わりました。

今のウクライナの若者の暮らし

クラスで一番の親友だった同級生ポリーナの自宅を訪ねました。私たちは日本のアニメが好きだったことから仲良くなり、今も連絡を取り続けています。

ポリーナの家はアニメグッズであふれていました。そのすぐそばには、たくさんのロウソクやモバイルバッテリーが置かれていました。

カテリーナ

「ここにあるのは何?」

ポリーナ

「緊急時に必要な備えを色々入れているの。光を反射させるもの(反射板)は、必需品。例えば、私は黒い服をよく着ていたんだけど、冬に攻撃による停電が続いていた時、交通事故が増えたの。街灯がなく真っ暗だったからね。だから、こういうものを身につけるようになったよ」

ポリーナ

「あと、ラジオね。通信が途切れても、ラジオなら受信できる電波がある。手に入れるのはとても大変だった。ラジオを買いに走る人が殺到して、値段もすぐ高騰した。停電になると、ネット回線は使えないから、ラジオは正確な情報を得られる唯一の方法になる。例えば、核攻撃の時には、身を守る時間はたった10分しかない。10分の間に必要なものをまとめて地下鉄まで走らないといけない。地下鉄の入り口は、10分後には閉鎖されるから。だから少しでも早く情報を得ることが必要なの」

ポリーナ

「無人機が飛ぶ音や、ミサイルが飛ぶ音も聞き分けられるようになった。ミサイルの種類が分かれば、自分のところに到着するまでの時間も分かる。兵器の種類にも詳しいよ。ウクライナ人はみんな今『小さな戦争の専門家』になっている。詳しくなればなるほど、安心できるからね」

2022年2月24日。最初の大きな爆発で起きたポリーナはしばらく恐怖や無力感で食事も喉を通らず、髪の毛やまつげまでたくさん抜け落ちました。今も実際には空襲警報が出ていないのに、音が聞こえてしまうなど、戦争の精神的な打撃に苦しめられています。

ポリーナ

「チャイムの音が嫌いになった。誰かが家に来る時も、『鳴らさないで』とお願いしている。音が大きくて、空襲警報に少し似ているから」

今、ポリーナの支えとなっているのが仕事だと言います。ポリーナはキーウ市内にあるウクライナのアプリ開発企業でデザイナーとして働いています。仕事は、今多くのウクライナ人がさいなまれている無力感を少しでも和らげる役割を果たしています。

ポリーナ

「戦争が始まって、“ウクライナが存在しないことがあり得るんだ”という考えが初めて頭をよぎった。私が今ここに座っていられるのは、前線で戦っている人たちや海外からの支援のおかげ。だから私もウクライナのために、ウクライナ軍に寄付して、頑張らなきゃ。働いて国に税金を納めて、軍に寄付しなきゃ。寄付は日常のルーティンになってきた。地下鉄に乗る時も、どこかに行く時も寄付するし、知り合いに助けてほしいと言われたら、寄付する」

ポリーナの仕事はアプリのデザイン
ポリーナ

「そして、ウクライナ軍に寄付したというスクリーンショットを会社に提示すると会社がそれと同額を寄付するの。とても支えになっている取り組み。今ウクライナで就職先を選ぶ時の新しい基準にもなっている。ウクライナを支援しない、寄付しない会社で人は働きたがらない。私にとってもとても大事なことよ」

突然の同級生の死

同窓会から9日後、携帯に連絡が入りました。戦場で私のクラスメイトの1人ヤロスラヴが亡くなったと。私は彼が亡くなる少し前、同窓会の出欠についてやり取りをしていました。「行くかもしれないけど、まだわからない」というのが彼の最後のメッセージになりました。

寡黙でいつもクラスの端っこにいたヤロスラヴ。言葉を交わすことは多くなかったけれど、優しい人という印象でした。卒業式で、私たちは二人並んで入場していました。

私が10年ぶりに見たクラスメイトの顔は遺影だった

その連絡から3日後、私はヤロスラヴのお葬式に行きました。ほかの同級生も来ていました。彼は兵士のための墓地に埋葬されました。

彼と私は誕生日が同じ日でした。彼は28歳になって、わずか5日後に命を落としました。

私はヤロスラヴのお母さんに話を聞きたいと連絡を取りました。彼がどんな風に生きてきたのか、少しでも知りたかったからです。

取材に応じてくれたヤロスラヴのお母さん
カテリーナ

「彼はいつ前線に行くと決めたのですか?」

「私には何も言わずに、志願しました。ある日、軍の施設の近くで彼を見かけて『ここで何をしてるの?』と聞いた。すでに彼はすべての手続きや準備をすませていて、その日の夜には、行ってしまった」

「息子の誕生日には、連絡がつかなかった。私は、『今日はお誕生日だね。ケーキを買ってお祝いしたよ』とメッセージを送った。次の日に彼は、『ケーキおいしかった?』って電話をくれた」

「つらいです。まだ彼の死を受け止めきれません。お墓に行っても、息子のお墓だなんて思いたくない。みんなが彼をたたえてくれた。彼はたしかに英雄だとは思いますが、私は彼のために生きてきた。生きる意味が分からなくなってしまった」

キーウの中心部にあるマイダン広場では、侵攻が始まって以降、犠牲者を悼むための旗が立てられるようになりました。旗には、ロシアが命を奪ったウクライナ人の名前が記されています。そこに私はヤロスラヴのための旗を立てました。

マイダン広場の旗は今も増え続けている

私は今回ウクライナに行く前は、故郷の戦争を伝えるためには、戦争に影響を受けた場所や人を探す必要があると思っていました。

でも実際には、戦争は激戦地に限らず、一見平穏に見える場所にまで、はるかに広く、深く、隅々までウクライナ人の人生に染みついていました。探す必要はなかったのです。

幸せに、平和に生きていた人たちは今深い傷を負わされ、自分の将来はどうなるのか見えず、けれどその中で懸命に生きている。それが、私が見たウクライナの今でした。

(国際放送局ディレクター ノヴィツカ・カテリーナ)

同行した日本人ディレクターからみたウクライナ

左:同行した永田彩香ディレクター 右:カテリーナ

カテリーナと一緒に彼女の故郷ウクライナを歩き、約1か月間カメラを回しました。

皆さんは「ウクライナ」と聞いてどんな光景を思い浮かべますか。激しい戦闘、破壊された街、死、悲しみに暮れる人々…。

日本人の私がこの2年見てきたウクライナの映像はこうしたものが大半でした。でも実際に現地に入り、街を見渡した時、正直に言えば、大きな戸惑いを覚えました。

最初に見たウクライナ(西部の街リビウやキーウ)は、カフェテラスで家族や友人と楽しそうに過ごす人、笑顔で自撮りする若者たち、賑わっているレストランやお店…というものだったからです。

「何て美しい街だろう。これはいつもテレビで見ている、あのウクライナと同じ場所なの?」

けれどよく見ると、激戦地から離れた街でも、軍服を着た兵士が歩いていたり、ドローンの操縦士を募集するポスターが貼られていたり、美しい教会の前に破壊された戦車が置かれていたり、昼食やお風呂の最中に突然空襲警報が鳴ったりと、戦争が人々の日常に深く入り込んでいました。

そして、人々の心の中に、戦争は見えない傷をたくさん残していました。戦場だけが戦争ではないのだと、出会った人たち一人一人が教えてくれました。

「明日が来るか分からないから、今を精いっぱい生きようと思うようになった」「自分は何を大事に生きていきたいか、この戦争で気づいた」。多くの人がそう話していました。

街で私がすれ違った人たちは皆、ミサイルの下で2年もの間生き抜いてきた人たちなのだ、笑っているのは、大切な人たちとの今この瞬間を精一杯生きているからなのだと、街の見え方がどんどん変わっていきました。

ほんの2年前まで、ミサイルなど飛んでいなかった美しい空。ほんの2年前まで、私たち日本人と同じように普通に暮らしていた人たち。けれど今、ウクライナ人のほとんどが知り合いや大切な人を亡くしていると言います。

カテリーナの友人の一人が私たちに伝えてくれた言葉を紹介します。

「私たちがどんな風に暮らしてきたのか、本来のウクライナを知ってほしい。今、ウクライナで起きている『死』や『破壊』だけでなく、私たちウクライナ人が『生きている姿』に目を向けてほしい。そしてそれが今、戦争で脅かされていることを知ってほしい」。

私が見たウクライナは、今この瞬間も、大切な人たちとのささやかな日常や“ウクライナ人らしさ”を守りながら生きたいと願う人たちの姿でした。

(国際放送局ディレクター 永田 彩香)

関連番組のお知らせ

2024年2月21日総合「あさイチ カテリーナが見たウクライナのいま」
2024年2月23日総合「私の故郷 ウクライナ」(再放送)
2024年3月28日BS「BSスペシャル 私の故郷 ウクライナ(拡大版)」

担当 ウクライナからの声の
これも読んでほしい!

みんなのコメント(77件)

感想
まる
40代 女性
2024年3月29日
いま番組を見終わったところです。
ウクライナの素敵なみなさん一人ひとりのお顔、声、気持ち、生々しい傷、ウクライナの美しさが伝わってきて心を打たれました。
ニュースとは違うこのような番組を届けてくださってどうもありがとうございました。
感想
ralphpapa
60代 男性
2024年3月20日
番組を、拝見しました。とても濃厚なドキュメンタリーで非常に評価できると思います。ウクライナにいるご両親やお友達の無事を、心よりお祈りしています。ぜひ日本に避難をされているウクライナの方々の日常も貴女の目線で追う番組を作ってください。健闘を、祈ります。
提言
クロ
60代 男性
2024年3月10日
この戦争が終わったら犠牲者の責任を取ってゼレンスキー大統領は辞任し、ウクライナの復旧、復興、発展の為、若いリーダーにバトンタッチしなければならない。
オフィシャル
ノヴィツカ・カテリーナ
NHK国際放送局 ディレクター
2024年3月8日
みなさま、番組を見てくださったこと、また、この記事を読んで、時間を割いてご感想まで書いていただけたこと、私は心から感謝しています。

ほんの2年前まで、日本のみなさんと同じく、平和に日常を送っていた私の家族や友人に起きた変化を通して、“今の時代に、このような侵攻が起きるなんてありえない”と思っていた自分が、「戦争とは何なのか?」を初めて実感していくプロセスを見ていただきたかったです。

番組を通して、遠い国で起きた遠い人たちの出来事ではなく、そこで生きる人たちのことを少しでも近く感じていただけたらと思ったからです。

伝え続けることは、私にとって正直とてもつらいことです。でもそれこそが、ここ日本にいる自分にできる、大事なことだとも思います。みなさんお一人お一人がくださった励ましのお言葉と、「伝え続けてほしい」というお言葉はとても力になります!頑張ります!どうもありがとうございました。
提言
ウクライナを守ろう!
60代 男性
2024年2月24日
ロシアによる侵略が始まり毎日、私ども日本人としてもこのままウクライナが敗戦をするのを黙って見ている事しか出来ないのであろうか?先日日本政府がウクライナ政府関係者を日本に招き官民の支援対策についての会議を開催していたか、いま戦争後の復興について話合っても絵に書いた餅でないか!いまウクライナは弾薬が不足しており、日本が出来る支援は殺傷力のある武器が駄目なら、せめてドローンを無力化する装置を開発した企業がある事から政府が買い上げ提供すべきだ!民間人や兵士の命を守るなら何も問題はないと思われます。毎日尊い人命が奪われている事実があるのを忘れてはならない。
感想
ヤマモトさん
60代 男性
2024年2月24日
タイバンコクで番組を拝見しました。日本人です。生きるための普通の生活がなくなること、それが1番ダメ。自然災害は復旧出来ますが戦争は絶対ダメ。早くウクライナに普通が訪れる事。そして何より早く復旧できるよう応援します。亡くなった方の想いを叶えられますように祈っています。
感想
はち
40代 女性
2024年2月24日
幼い頃、太平洋戦争の話を祖母が話してくれたことがあります。それはとても生々しくて、今でもその時の気持ちを思い出します。
そんな体験者からの話を直接聞いて育った世代ですが、今まで、戦争って日常から非日常へ切り換わってそこに存在するような感覚でいました。
カテリーナさんの番組をみて、戦争は日常に入り込み、上書きされ、過去の思い出にも暗い影を色濃く落とすんだと、戦争になるとはこういうことなのかと、少し知れた気がします。
感想
オカメインコの父
60代 男性
2024年2月23日
2024.02.21のあさイチも拝見しました。カテリーナさんがお話された「戦争とは破壊だけではなく
若者が全く将来を想像できなくなること。将来について聞かれると涙が出ること。戦場の同級生と連絡をとるのが怖くなるということ。私の言った一言がその人が聞く私の最後の言葉になるかもしれないから。何を言えばよいのかわからなくなる。幸せだった場所の記憶が悲惨な場所の記憶に上書きされるということ。」胸が締め付けられました。一刻も早く皆さんに平和が訪れますように。
後半で紹介されたアンナさんの故郷バリシウカ村の美しさ。紹介していただきありがとうございます。海外にはまだ一度も行ったことがありませんが、ぜひこの村で夕日を見たいと思いました。
感想
のりすぅ
50代 男性
2024年2月23日
1回目の放送と再放送、拝見しました。カテリーナさん、とても辛く悲しい思いの中、ニュースなどでは分からないウクライナの方の生活や苦しみを伝えてくれてありがとうございます。明日の朝起きて生きてるか分からないのに10年後を考えられないという同級生の言葉が心に残りました。きっと戦時中の日本でも私の祖父母達は同じように考えていたのだろうと思いました。この戦争が終わりウクライナの方が安心して過ごせるようになる日が早く来ることを願っています。
感想
咲希
30代 女性
2024年2月22日
カテリーナさんの見たウクライナは夕日等の美しい日常がありました。
その反面、戦争の痕跡がそこかしこにあり、戦争もまた、日常として存在している現実がとても哀しいです。
私は戦争前はウクライナもロシアもポーランドもヨーロッパの方にある寒い国で似たような文化圏の国という程度の認識しかありませんでした。
でも、今回や前回のカテリーナさんの取材から見たウクライナという国は日本からは遠い場所ではあるけれど、同じように日常があり、独自の文化があり、沢山の美しい風景があるいつか行きたい場所になりました。
今はまだ行けないですが、戦争が終わったら、美しい黄葉や夕日、教会等を観に行ってみたいと思います。
カテリーナさん、現実を見せてくれてありがとうございます。
感想
みひろ
60代 女性
2024年2月21日
戦争はなぜ終わらないのか。
色々見聞きするほどに、そんなに簡単な問題ではないと知り、ニュースを見るのも虚しくなってしまったり自分周辺の問題でいっぱいいっぱいになり、つい忘れがちになったり。
今朝の「あさイチ」でウクライナの人々の緊張に強いられながらもそれに慣れざるを得ない日常を垣間見て仕事中も忘れられず。今日1日ウクライナ侵攻についての特集が色々と組まれていたので、NHK+で、ひと通り見てみました。どうしてもウクライナに寄り添いがちですが、BSの「国際報道2024」で見たロシアの女性達が「家族である動員兵を返して」と強く訴えはじめた姿は印象的でしたし、一方「クローズアップ現代」では、ウクライナで、なかば無理やり兵士に動員されていく様子にはとても複雑な気持ちに。
米欧各国の支援疲れ。アメリカ大統領選の影響。日本の立場。色々な角度で伝えてくださったことで今日1日とても考えさせられました。
感想
AK
20代 女性
2024年2月21日
私にもウクライナ人女性の友達がいます。その子に出会ったのは1年前で、すでに戦争が始まっていた時でした。その子に出会う前まではウクライナの戦争は私にとって遠い国の話でしたが、実際にその子から戦争の話を聞くことで、今では自分の問題になり、様々なシチュエーションも自分に置き換えて考えるようになりました。きっとカテリーナさんの取材をみて同じように自分に置き換えて戦争について考えるようになる人がたくさんいるはずです。大切な家族や友達をウクライナに残してまでも、日本のために活動してくださってありがとうございます。
私の友達は今日本でウクライナの将来の復興のために建築の勉強をしています。私も何か少しでも役に立てるように、考えて行動していきたいです。
感想
みくちゃんさん
50代 女性
2024年2月21日
カテリーナさん
今日はあさイチに出て下さりありがとうございました。
人間はどこまで傲慢なのでしょう。
この宇宙に私たちは生かされているのにこの世は人間のものであるかのように。。
ウクライナの方々は他の国の土地は1センチとして要らない、ただ自分たちの土地を守りたいだけと仰ってます。
日本の方々、これは他国のことではありません。自国のことだと思い、今ある日本に感謝したいです。
感想
MM
60代 男性
2024年2月21日
カテリーナさん、悲しい、辛い、もどかしい気持ち、ひしひしと感じます。日本人として、何も出来ない私も、とても悲しいです。
ウクライナの人々と、カテリーナさんが、1日も早く幸せな心に戻れることを、心から祈っています。
絶対に負けないで!
感想
みっちゃん
60代 女性
2024年2月21日
今日のテレビを見て、涙が止まりませんでした。とても心が痛みます。早くみんなが平和になることを願っています。
感想
はっちゃま
70歳以上 女性
2024年2月21日
以前ウクライナの美しい町並を見て、重厚な歴史ある美しい建造物や劇場など‥何時か訪れたいと思った国でしたから、戦争が起きて人々の幸せを奪った独裁者が、憎いとおもいました。
素敵な民族衣装衣装を身につけたい!ウクライナに平和が早期に訪れるように.心から願います。
ウクライナに平和を、故郷のご両親の健康を祈ります。
涙なしにはみられなかったです。現状を知り合った平和の幸せを大切にしたいです。
今日は人の身 明日は我が身を心して、世界を見て日本の現状も考えて行きます。
素晴らしい番組を有難うございました。
感想
とんちゃん
60代 女性
2024年2月21日
今日のあさイチを見て毎日のウクライナの戦争状況のニュースとはまた別のウクライナを知ることが出来て良かったと思います。僅かですが、ウクライナの人々の中に希望があると感じることが出来たからです。カテリーナさんのお母さんがボルシチを作って娘を迎えている姿を見てこの国はきっとまた素晴らしい国になると感じました。これからもずっと諦めずに支援していこうと思います。必ず平和な世界が待っていると思います。
提言
Tommy
70歳以上 男性
2024年2月21日
南北朝鮮は戦争中ですが一時休戦している状態かと認識しています。
理不尽なロシアの侵攻では有りますが たくさんの尊い人命が日々失われ 貴重な建造物も破壊されています。
できるだけ早い機会にラインを決めて まず休戦すべきだと思います。
人の生命より大事なものは この世にはありませんから 英断すべき時です。
感想
白ウサギ
70歳以上 女性
2024年2月21日
カテリーナさん「ウクライナの今」現地取材お疲れ様でした。途中、声を詰まらせて一生懸命に伝えてくださってありがとうございました。束の間の再会は楽しく切ないものでしたね。ウクライナにロシア軍が侵攻したというニュースを聞いた時ショックと同時に、映画を見ているようで、どこか他人事でした。日本も四年に及ぶ第二次世界大戦を経験しています、、、が私は祖父、父母などから話を聞いているだけで「戦争を知らない子供達」と言われた世代です。
お母様が泣けなくなり、何があっても泣かなかったお父様が泣くようになった、、、と言う話に涙が出ました。平和な日本にいて早く戦争が終わればいいのにと願うだけの自分に情けなさや後ろめたさを感じています。
カテリーナさん、私達にできることは何なのでしょうか?日々、考えようと思っています
感想
マリヤ
40代 女性
2024年2月21日
日本でもシェルター建設の話が出ているし、日本が他の国に攻撃、侵略されてもおかしくないけれど、実際にロシアから攻撃を受けているウクライナの方々はとても現実的に、信念を持って行動されていると感じました。国際社会の協力、支援により、一刻も早くウクライナに平和が戻ることを願っています。
感想
Mスクエア
50代 男性
2024年2月21日
番組を見させて戴きました。同級生、それも同じ誕生日の方が戦死されて、お辛いでしょう。
そして、それが国民の殆んどにそのようなお辛い経験が蔓延しているとは、残念と言うか無念です。
今迄、日本は平和な日々を続けて来られたのは、たまたま、世界の中で稀なだけだったと、つくづく感じています。
しかしながら、日本もロシアの隣国ですし、僅か80年前にも日本も同じ立場にありました。
そして、特攻隊や学徒出陣で、多くの若者を失ってしまいました。
どうか、これからもウクライナの苦難の現実を、平和ボケした日本に知らしめ続けて下さい。
感想
瀬崎ぴろ
50代 女性
2024年2月21日
ロシアの東の方から東南には、北方領土と北海道がある。
いつ日本にも襲いかかるかわからない。
他人事として見る事は、出来なかった。
軍事施設やネオナチを狙ってと言う最初のロシアの口実は、今はどこへやら、
アメリカの占領政策で、戦争を仕掛けなければ、平和が続くと言う事を戦後日本で教育してきたので、日本人は、理不尽な侵略に遭ったら、どうするのだろうか?
日本語の通じない人たちに話し合いが通じるのだろうか?
明日は我が身と思って拝聴した。
感想
たーちゃん
60代 女性
2024年2月21日
カテリーナさんお帰りなさい。お疲れ様でした。今のウクライナキーウの事がとても良くわかり同級生の戦死、まだ兵士となって戦っている同級生の無事なことを祈るばかりです。戦争はやってはいけないもの。
悲しみしか残らないこと色々母親祖母から聞いてはいましたが、あってはならないことだと。
かつて日本も戦争をしていたなんて思えないほどの今、たくさんの方々に観て欲しい映像です。
また、カテリーナさん辛いとは思いますがお話聞かせてください。
感想
マウントフジ
50代 男性
2024年2月21日
ウクライナの方々はこの恐ろしい状況下で過ごされているのですね これは他人事ではないような情勢になってきました 我々は遠い日本で見守ることしかできませんか。
感想
えり
50代 女性
2024年2月21日
ウクライナの今を教えてくれてありがとうございます。戦争が始まって2年が経ちます。ウクライナの90歳のおばあちゃんが、毎日、家族が健やかに過ごせるように祈っていると言っていました。国が違っても家族を思う気持ちは私達と同じ…そしてウクライナの美しい夕日、しかしすぐ隣にある死の恐怖…どれだけの心の疲弊があるかと思います。大切な故郷を想う気持ちは誰もが一緒。どうかこの戦争が1日も早く終わる事、ウクライナの皆さんが心から穏やかに過ごせる事を祈ります。カタリーナさんが時々言葉に詰まりながらも笑顔で故郷の状況を知らせてくれる姿に涙が出ました。
感想
ママ
70歳以上 女性
2024年2月21日
毎日、毎日多くの人、建造物などが破壊される様子を見る度、人間である人々が何故話し合いで多種多様あるかの問題を解決できないのか残念で怒りしかありません。
一日も早い終戦を祈るばかりです。
感想
らら
30代 女性
2024年2月21日
冒頭から最後まで涙無しに見ることができませんでした。カテリーナさん、そしてご家族や友人の皆さん、大変な中こうして色々なお話を私達に聞かせてくださり有難うございました。私の友人にウクライナにルーツを持つ方がいるのですが、お祖母さんは昔戦火を逃れて決死の思いで移住したと言う話を聞きました。ウクライナの戦争が、この悲しみが一日も1秒も早く終わりますように心から願っております。いつか戦争が終わったらウクライナに行くのが私の夢です。
感想
女性
2024年2月21日
戦争に正義などありません。
どちら側にも家族や友人達が居て悲しみや憎しみしか生まれません。
戦争を止められる人はただ1人です、正気に戻ってほしいです。
感想
フィアット
40代 女性
2024年2月21日
今日のあさイチを見て、初めて投稿しようと思いました。カタリーナさん、こんな大変な状況の中、日本に残る決断をしてくれて、ウクライナの現状を私達日本人に伝える決断をしてくれて本当にありがとうございます。あなたの決断を誇りに思います。ウクライナの人々が少しでも癒やされますように、警報音や爆発音のしない平和な日常が1日でも早く訪れますよう微力ながら毎日お祈りいたします。
感想
ひかる
70歳以上 男性
2024年2月21日
カテリーナさんから、この戦争により戦争と瓦礫に包まれた日常が同居し、空襲警報に鈍感になってしまうことや、将来の夢が考えられず今をどう生きるかしか考えられなくなること等を伺い、ウクライナをはじめ、今、地球のあちこちで起きている戦争(紛争)が国連等世界の意見によって早く収まれば良いのにと思います。また、小さな地球で生きている皆が何故仲良くできないのだろうかと歯がゆくなります。
感想
shige ちゃん
70歳以上 男性
2024年2月21日
ウクライナに関する報道を注視しています。
“戦争が何気なく見える人々の日常に深く入り込んでいた 戦場だけが戦争ではないのだ 出会った人たち一人一人が教えてくれた!”
このメッセージに感動しました。
感想
希望
男性
2024年2月21日
カテリーナさんが故郷のキーウに帰省し家族や同級生や先生との同窓会、同窓生の戦死とその母の悲しいインタビュー、ロシアのミサイルで破壊された街等の中で必死に取材していました。ロシアの不法侵攻と南部をロシア国土に編入した事は許せない。
独裁者プーチンを壊滅し一刻も早いウクライナの平和を祈ります。またカテリーナさんの真の笑顔を早くみたいと望みます。
感想
kumaやん
60代 男性
2024年2月21日
カトリーナさんが、日本に来てからの葛藤を特集した番組を観ていました。
ウクライナと日本の国は違っていても、人を愛し、平和を求める心に違いはありません。人への感謝と思い遣りを大切にしていれば戦争は起きないのに。
ロシアは許せません。一日も早く撤退すべきです。
カトリーナさんにお願いがあります。
これからも、日本から「PEACE and LOVE」を日本国内と世界に発信続けてください。
我が家の庭には、一日も早く平和が戻るようにウクライナ旗を揚げています。
毎朝、その旗の8000キロ先のウクライナに向かって一日も早い平和が訪れるようにお祈りしています。
カトリーナさん、あなたは一人ではない。
母国にも日本にも応援者がたくさんいる事を忘れないでね。
感想
ヒデさん
70歳以上 男性
2024年2月21日
私は75歳、前回のカテリーナさんのウクライナ現状を見た時からカテリーナさんのファンになりました。今回は祖国に5年ぶりに帰ることができ、取材をして、その報告、ありがとうございました。ウクライナの方の心境が良く解るものでした。私は戦争を知りません、知りたくもありません。現実に合われているウクライナのかたには、無事を祈り、早く終戦を向かえることを願います。
感想
みーちゃん
60代 女性
2024年2月21日
キーウに帰られ、家族に会えて良かったですね。お父様が泣いたことなかった方が、泣くことが多くなった。お母様は、反対に、泣かなくなったと話されていたが、長い戦争の結果だと思います。いつ日本も、起こるかわからないです。早く平和になるように。
感想
宗助
30代 男性
2024年2月21日
昨年末、「私の故郷 ウクライナ」のドキュメンタリーを観ました。そして今日のあさイチも拝見しました。番組内で紹介された記事も今読みました。ディレクターのノヴィツカ・カテリーナさん、永田彩香さん、ウクライナ同行のカメラマンさん、NHKのスタッフの皆様、ウクライナのことを伝えて下さりありがとうございます。

思い出の場所が、変わってしまうつらさはよく分かります。カテリーナディレクターがあさイチで、こう仰っていました。「戦争は、若者に将来について聞いて悲しい涙が出るのが戦争なんです。戦争は、戦場にいる同級生に怖くて連絡できなくなるのが戦争です。自分の言葉が最後になるかもしれないから。戦争は幸せな思い出であふれていた場所が上書きされてしまうのが戦争です」

この言葉を忘れません。

人権侵害がなくなり、
人が人の命を奪うことがなくなるよう、人生を選択して生きていきたいです。

ありがとうございました。
感想
つね
40代 男性
2024年2月21日
本日あさいちでカテリーナさんの映像を見ました。日常に戦争が入り込んでしまう。思い出が上書きされていくという事を聞き、当事者ではないですがとてもつらいだろうなと感じました。ウクライナ侵攻が早く終わる事を願っています。世界で唯一の平和憲法を持つ日本だからこそできる世界平和への活動をしていかなければいけないと強く思いました。
感想
ハイビスカス
女性
2024年2月21日
テレビで流れるロシア・ウクライナ戦争の映像や新聞報道を見聞きする事が、日常のひとコマになりつつある今の世界は大変危険で怖い事です。戦時下のウクライナから放送を前回・今回と視聴し、戦争と共に生活を強いられ過さざるを得ないウクライナ市民は様々な葛藤の中にいることでしょう。戦争は全てを破壊するだけでいかなる理由も通用しません。尊い命が失われる戦争という地獄は、一刻も早く終わらせる事に世界の指導者や人々は全力を尽くし行動をと考えます。
感想
サザンコ
50代 女性
2024年2月21日
胸が打たれる放送と記事でした。
日常と戦争が同時進行しているという現実を突きつかさました。
コロナ禍をキーウで過ごしている方のインスタをたまたま目にし、インスタライブで目にしたキーウの街並みの美しさに、いつか行ってみたい国に一位となったウクライナ。その時に見た教会もまた見ることが出来ました。その方は、日本人の方ですが、戦地に行きウクライナの為に今も戦っていらっしゃっています。
侵攻を撤退するしか、戦争を終わらせる方法はないと思うのですが、命をかけて国を守らなければいけない状況に言葉がありません。侵攻さえなければカテリーナさんのご友人も同窓会で笑顔を見れたのに、と悔しく思いました。
将来の計画を立てることが出来ない。という若いご夫婦がサラッと言っていたことがまた胸を締め付けられました。
早く笑って過ごせる日が来ますように祈っています。いつも忘れません。
感想
たかお 牛(うし)
70歳以上 男性
2024年2月21日
1965年 8月 オデッサ(当時の呼称)の港近くでお会いした老婦人の事がロシアの侵攻以来頭から離れません。かなりの年月が過ぎましたが、元気で過ごされていることを期待しています。
無理でしょうね。60年の年月が過ぎました。お元気で バーブシカ 、武者絵柄の風呂敷改造のスカートが素敵でした。姉妹港の横浜から来た船の船員に頂いた物と嬉しそうに教えてくれたことはまだ、記憶に残っています。
感想
たりちゃん
70歳以上 女性
2024年2月21日
あさイチの放送に釘付けになりました。テレビのニュースで伝えられる内容は正直なところ、ああまたか、見たくないと思いますが、今朝は見ながらカテリーナさんの思いが伝わってきて時間が短かったです。お母様が涙が出ないのとの気持ち、今の私もそうなので分かります。23日も録画します。これからもカテリーナさんのウクライナについての放送を続けてください。お願いいたします。
感想
たくや
60代 男性
2024年2月21日
本当に、早くウクライナに、平和な日が、来ること祈るしか無いのかなと、考えさせられました。何かできないのかな。
感想
とみこ
50代 女性
2024年2月21日
カテリーナさん、ありがとうございます。
日本のサブカルチャーが好きで日本語を学び、NHKのディレクターとなって文化の発信をされていたのに、まさか故郷の戦争を伝えることになるなんて想像すらしなかったことと思います。
今回、カテリーナさんの語るウクライナは、報道では伝えきれない生の市民の声でした。
恐怖と隣合わせの中でも日常を保とうと努める皆さんの強さを感じました。
黄葉や夕陽の美しさもしっかり受け取りました。
ウクライナの人々が、明日や週末の予定だけでなく、もっと先の未来を普通に語れる日が必ず来ると信じています。
感想
四葉
50代 女性
2024年2月21日
生き延びて精一杯生きて居るウクライナの人々の姿に 胸が締め付けられました。
報道では分からない生身の生活が 恐怖や不安の中にある事を実感しました。伝えて下さって ありがとうございました。
感想
バァバ
60代 女性
2024年2月21日
心に深い悲しみを持ちながら、今日を精一杯楽しく生きているウクライナの人々に涙が自然とあふれました。
あの澄み渡るきれいな夕陽をウクライナの全ての皆さんが平和の象徴として眺められる様願ってやみません。
感想
ももちゃん
70歳以上 女性
2024年2月21日
ニュースで見る戦争の場面、少し見ただけで後は目をそらせていました!
今日は戦争と日常生活が一緒にあるという驚きでした!紅葉の季節、黄色に染まったお祖母様の住んでいる家、綺麗な夕焼けの映像に1日も早く戦争が終わって、ウクライナの人が安心して暮らせる日を望んでいます。
感想
のんパパ
70歳以上 男性
2024年2月21日
大変つらい日常生活、私も現在は平穏ですが、家族の入院手術後は苦しい状況になりました。
ウクライナやガザとシリヤ等の戦争が早く終了します様に祈ります。
感想
まっけん
50代 男性
2024年2月21日
カテリーナさんが語った戦争は、、、同級生と連絡取るのが怖い、、、全てが上書きされてしまう、、、という言葉を忘れてはいけないと思います。辛いことも含めてしっかり伝えてくれてありがとう。私たちはいつも皆さんと一緒にありますよ。
感想
若百合(ワカユリ)
60代 女性
2024年2月21日
死と直結の戦争。一番尊い人の命を奪い希望ある未来まで。そして僅か5歳の子どもの心までをも。
どうかどうか一日もはやく戦争が終わることを祈るばかりです。
感想
サラ
70歳以上 男性
2024年2月21日
テレビを見て同じ地球で愚かな争いが起こりなんの利益があるのか、(戦争を仕掛けた国のトップたち)なんの手柄があるの私の考えでは意味が不明です、世界のトップたちが争いを起こした国(トップ)を徹底的に罰する方法の決め事をのぞみます。非難だけの応酬は聞き飽きました、争いを起こした国に服従させる厳罰の議論を早急に決めて下さい。
感想
Sofia
60代 女性
2024年2月21日
ウクラニアの皆さんにとてつもない深い傷を負わせている戦争、かけがえの無い様々なものを失いながらもそれぞれの希望と、新しい喜びを必死に探して生きてらっしゃる姿をカテリーナさんの取材で知りました。ひたすら早くこの戦争が終わる様お祈りいたします。
提言
日本の青年
70歳以上 男性
2024年2月21日
20世紀で人類は、第二次世界大戦で戦争は、もうしないと決意したはずなのに、国際連合を中心として、人間同士が殺し会う、無駄な争いはすべきでない。即刻休戦して、国の指導者同士が、人々の生きる権利を奪わない為にもっと努力すべき。基本的人権を、厳守するリーダーを望みます。
感想
ユッコさん
70歳以上 女性
2024年2月21日
何時もウクライナのニュースは悲惨な光景が多く目を背けていましたが、
今日のカテリーナさんの動画を見させて頂き戦争と共存している様子が手に取るように分かりました。あんなに夕日が美しく空が澄み切って綺麗だった風景が頭から離れません。共存するという事は、何事もなかったかの様に、次の空襲警報までが幸せ!玄関の扉チャイムの音が怖くて鳴らさないで!と来客に伝えてある。最初は髪の毛もまつ毛も眉毛も抜けた!涙が出ないほど怖い状況!涙を出すと楽になるのに涙が出ない。カテリーナさんのお母さんの言葉が脳裏に残ります。
10年後の同級会今居る全員が同じ顔で逢えます事祈らずにはいられません!!
感想
まゆまゆ
40代 女性
2024年2月21日
カテリーナさんからのウクライナのレポート、心に響きました。

1日でも早くウクライナに平和が戻るように、心から願います。

ウクライナの自然と人々の美しさと、戦争の惨さが伝わるリポートでした、カトリーナさんか祖国を愛する気持ちがとても伝わってきました、大変なかリポートをありがとうございました!

国同士尊重しあわねばならないと思います、ロシアのウクライナ侵攻は決して許されることではありません!

ウクライナの皆様と、カトリーナさんに心からの平和で幸せな生活に早く戻れるためにも、自分に何ができるか考えていきたいと思いました

カトリーナさん、ウクライナの皆さんどうかお身体をお大事にお元気に過ごされてください!
感想
ブリスケ
50代 男性
2024年2月21日
今、改めてこの時期にウクライナへの支援を行う必要性を認識しました。
自分に出来ることは限られていますが、色々な面で支援をしたいと思います。
提言
こうちゃん
70歳以上 男性
2024年2月21日
たった1人の独裁者により、戦争が起きてる。 民主主義の有り難さを感じてる。最近、自分させ良ければ、他者を思わない風潮がアメリカをはじめ各国に蔓延し始めた。この様な人を指導者にしてはならない! 
感想
カコママ
70歳以上 女性
2024年2月21日
画面には戦争で破壊されたニュースで見ていた画像は何も無かったですが、毎日が危険と隣り合わせでの生活があるのだと感じ、将来の夢が持てない事、今の時間を過ごすだけの毎日は辛いですね。
世界中の国の力でなぜロシアを止めることができないのか、人の力とは何が必要なのか、どうすれば良いかを本当に考えて欲しいと思います。
感想
Jun.
70歳以上 男性
2024年2月21日
ウクライナの今の状況(建物の損壊等)をロシアの国民が、本当に判ってるんでしょうか。自国が同じように空襲されたらどうなんでしょう。戦争は指導者のイデオロギーで国民が犠牲になります。本当にあってはならない事と思います。
質問
こてつ
50代 男性
2024年2月21日
ウクライナの方々は強いと思いました。一方的に戦争を仕掛けられている中、しっかりと日常生活を送られ、愛国心を持って戦っておられる。日本だったらパニックになってしまうだろうと思います。ウクライナに平和を。日本人に今、何が出来るか、教えて下さい。
感想
イナムーン
60代 女性
2024年2月21日
あさイチの中でも紹介されていましたが、戦争の残酷さだけでなく、ウクライナの日常の姿や大切に思う気持ちを知る事で戦争の悲惨さをより身近に感じる事が出来ました。
感想
さくらじまんま
60代 女性
2024年2月21日
ウクライナ侵攻終わりが見えない中、カテリーナさんのレポートに胸が痛いです。今から15年ほど前に鹿児島大学に留学していた学生さんを探しました。大使館への問い合わせ、SNSでの発信もしましたが、わからないままです。何もできない自分にモヤモヤするだけです。とにかく、1日も早く、終わりが来ることを願わずにはいられません。最近では、他国の戦争などもあり、ウクライナでの報道が少なくなってきているのでは?
決して忘れてはいないよ!と伝えるためにもこういう報道は大切だと思います。
感想
青と黄色の戦士
60代 男性
2024年2月21日
悲しいけど、外国から侵攻された場合、物理的に戦争に勝利するしかないんですよね。今のウクライナを見て、つくづくそう思います。強力な軍事力=侵攻抑止力は非常に重要で必要です。戦争は怖いと平和ボケしている日本人がいますが、国が亡くなり、自由と民主主義がなくなるのは更に怖いことです。平和ボケの日本人にも、その現実を感じてほしい。NHKも感傷的な内容だけではなく、国(自分達の自由で豊かな生活の基盤)を亡くす恐怖に防衛力の重要性・必要性を深掘りして欲しいです。
感想
ピーターバーバ
70歳以上 女性
2024年2月21日
自国が無くなる恐怖、戦争に対する今までの思いにないものを感じました。このリポートは皆んなに見て欲しいです。
感想
ハナハナ
70歳以上 女性
2024年2月21日
私のウクライナは戦争でボロボロの街 でもカテリーナさんが見せてくれた町 村はのどかで綺麗で素敵な処でした。
1日も早く戦争が終わったウクライナを訪ねたいと思いました。
感想
とくちゃん!
60代 男性
2024年2月21日
戦争は絶対悪です。戦争では何も解決しない。対話によってのみ平和をもたらすと思います。一日も早く戦争の終結を祈っています。世界ご平和な国になる様に。全世界の人々が幸福を感じる世界を祈っています。
感想
もも
40代 女性
2024年2月21日
今、自分が直面している問題がたくさんありますが、カタリーナさんのお話をききながら、強く生きる、今を生きるヒントをたくさん頂きました。また、戦争の怖さと同時に、同じ時間を共有している子どもたちに向けてのメッセージも、大切なものを思う気持ちを、ちゃんと言葉にして伝えていこうと思います。刺繍もかわいくて、欲しくなりました。今日のテーマで、ウクライナの方々の生活、生き方に興味を持つようになりました!またとりあげてもらって私達にメッセージを送ってください!!
感想
むい
40代 女性
2024年2月21日
前回のカテリーナさんのあさイチでの放送がずっと心に残っていました。
今回、戦争という日常がどういうものなのか、ご友人への取材を通じて肌感覚で少しわかった気がしました。飾りを全部撤去しなければならない切なさ、絶えず空襲警報と不安にふりまわされ、限界ギリギリの精神状態のなか続けていかなければならない日常など。
また、ウクライナの方々の今の暮らしをみて、昔ながらの暮らしの豊かさ、いまを生きるという、本来だれにとっても大切なことなど、そのある意味本質的な豊かさも見せていただけた気がしました。ご友人、ご家族皆さまを含め、本当の姿を私たちに見せて下さり本当にありがとうございました。
感想
マコヤン
60代 男性
2024年2月21日
毎朝、ウクライナ、ロシア、争いが速やかに終戦となるように、お祈りしています。カテリーナが語る現状を見て胸が痛みます。91歳のおばあちゃんがフェンス側に腰掛けて別れの挨拶をしているのを観て、つい手を振って挨拶しました。
ウクライナ、平和を。
感想
やまじゅん
70歳以上 男性
2024年2月21日
カテリーナさん、ありがとう。
あなたの勇気に称賛を。
戦争の真実に気づかせて頂きました。
戦争の真実は戦場だけにあるのではないのですね。
感想
次郎
70歳以上 男性
2024年2月21日
ウクライナ現実
普通の生活環境が、たいせつさを日本人も、理解しているだろうか。
ウクライナの現状は、厳しい、大変の一言では、いいあらわせないと感じました。
ウクライナに平和を。
感想
ヨンキチ
60代 男性
2024年2月21日
本当に同窓会でさえ、友達全員逢えないし、また友達も戦地亡くなり、本当に戦争は残酷なんだなあと思いました。カテリーナさんも本当つらかったと思いました。本当に日本が平和で良かったと思いました。
感想
デコ
70歳以上 男性
2024年2月21日
カテリーナ希望を持って生きて下さい。今の日本人は恵まれています、ウクライナ人に幸あれと願っています。
感想
りんれおママ
40代 女性
2024年2月21日
番組をみて、涙が止まらなくなり胸が締め付けられました。カテリーナさんが見せてくれた故郷の現状を世界中の人が改めて認識して、平和のために行動できる世の中に色々変わりますように。
ウクライナ、綺麗な国。いつか行ってみたいです。
感想
エコパエコパ
70歳以上 男性
2024年2月21日
頑張って下さい
感想
とこ
50代 女性
2024年2月21日
カテリーナの見た故郷
私達は幸せだ。日本も戦争になったら、自分の故郷が戦場になってしまったら。
心が痛かった。
けれど、とても暖かな気持ちにもなりましたよ。
質問
福岡のナマケモノ
50代 男性
2024年2月21日
おはようございます。カテリーナさんの、祖国ウクライナのドキュメントを拝察し、戦時真っただ中なのに、故郷キーウの皆様、毅然・平然・明朗としておられるのを拝察し、頭がさがります。さて、日本人として出来ることですが、募金以外であれば、お聞かせ下さいませ。
質問
コンチータ
男性
2024年2月20日
開戦当初から理不尽だと思っていましたが市民でも男性のみ国外脱出禁止を報じていることを批判するのはタブーなんですか?これを批判しないメディアにジェンダー平等なんて語る資格無いと思います。