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広島から世界へ 女性杜氏が挑む“蔵人ダイバーシティー“ 

「吟醸酒発祥の地」と呼ばれる瀬戸内海に面した広島県安芸津(あきつ)町で30年近くにわたって酒造りに打ち込む女性がいます。

英BBC「今年の100人の女性」に選ばれたこともある今田美穂(いまだみほ)さん。

かつて “女人禁制”と言われた酒造りの世界に飛び込み、女性や外国人、科学の専門知識をもつ人など多様な人財を生かし、次々と新しい酒を開発しています。

“蔵人ダイバーシティー”で世界をめざす女性杜氏(とうじ)の挑戦を取材しました。
(広島放送局 ディレクター 青沼太郎 ※所属は取材当時)

体力勝負で“美しい” 酒造り

朝方の今田さんの蔵 右端に見える巨大なステンレスの筒は米の蒸し器

酒造りの最盛期を迎える冬期、今田美穂さん(60歳)さんの蔵の1日は朝6時から始まります。この時期にしかできない「蒸し米」の作業があるからです。

80分かけて蒸しあがった酒米1トンを数回に分けて布の上に広げ、蔵の扉を一気に開けて朝の新鮮な空気にさらして冷やします。

米を指で触って蒸し加減を確認

蒸し加減でお酒の出来が決まるため、今田さんは指で触って水分の量や乾燥具合などを確認。そのあと雑菌に触れないよう、急いで別の蔵にある高さおよそ2メートルの巨大なタンクに移して麹(こうじ)と混ぜ合わせます。

酒米と麹(こうじ)を混ぜ合わせる今田さん

先端に小さな板の付いた長さ2メートルの棒、「櫂(かい)」を使って15分かけて混ぜ続けます。酒米は水分を吸うと重くなるので、混ぜるのに腕、腰、脚など全身を使います。

今田美穂さん

「気持ちこめる余裕ないです。もう混ぜるだけです、ひたすら」

これを30日かけて発酵させると、日本酒の元になる「もろみ」ができあがります。

今田さんは酒米と麹(こうじ)を混ぜ合わせる作業に続いて、翌日の仕込みに使う600キロの米を手作業で洗う「洗米」を行います。水の吸い具合を確認しながら水に漬ける時間を微調整するために、10キロずつ かごに入れて計量器の上に置いて水分量を測る作業などを繰り返します。

お昼の休憩までの6時間ほぼ立ちっぱなし。午後も夕方まで事務作業や翌日の仕込みの量を決めるなど酒造りは一日中続きます。

それでも今田さんは、酒米を蒸す蒸気の香りや毎日変化するもろみの香りがたまらなく好きだそうです。

今田美穂さん

「日本酒を造る仕事ってすごく楽しい面もあるんです。体力的にというか時間的にはきついんですけど、すごく美しいものでもあるんです。浸かっている原料米を触ったときの感触とか、お水とか、麹(こうじ)の香り、手触り、お酒の香りとかすごく美しい。本当に美しいな、きれいだなと思うものが多くて。それが魅力じゃないかな」

酒造りの原点

今田さんは明治元年から続く酒蔵「今田酒蔵本店」の長女として生まれました。33歳で酒造りを始め、41歳で酒蔵を仕切る杜氏(とうじ)になり、父親から会社も引き継ぎ 4代目社長になりました。

しかし自ら望んで酒造りの世界に飛び込んだわけではありません。

幼い頃から昼夜を問わず働く両親の姿を見て「家業は継がない」と心に決め、東京の大学に進学。卒業後も百貨店などで働いていましたが、バブルの崩壊で職を失い、やむを得ず ふるさとに戻り、後継者のいなかった実家の酒蔵で働き始めたといいます。

今田美穂さん

「(最初は)“とにかくやってみる”という感じでした。できるかどうかわからない、ダメだったら東京に帰ろうと思って、マンションを買ってローンも払っていたんです。帰れる場所を残してあったんです。

(周りも)2、3年やったらやめるんじゃないかなって思っていたんだろうと思います。なかなか自分の技術が進歩しないと悩んでた時期は『やめたら?』と言われたこともありました」

転機となったのは同じ安芸津町出身の杜氏(とうじ)、池田健司さんとの出会いでした。80歳近くの今でも高知県内の酒蔵で杜氏を務め、今田さんが「杜氏の中の杜氏」と慕う大先輩です。

当時、思い悩んでいた今田さんに池田さんは自分の蔵を見せ、酒造りについて熱く語っていたことが忘れられないといいます。

今田美穂さん

「30分か1時間ちょっとお話を聞かせていただいて、現場を見せていただいたら、それでいいと思ったんですけど、杜氏(とうじ)さんがお話を始めて、全然やめないんですよね。

3時になって、5時になって、『今日は遅くなるからね』と言われたのが夜8時頃でした。私はそのときにカツを入れられた、肝が座ったっていうか。これだけの情熱をもってやっていらっしゃるんだなと本当にびっくりしましたね。

『人柄以上の酒はできません』と言われました。そうだろうなと思いました」

池田さんはお昼の1時から夜8時まで、7時間にもわたって酒造りについて語ってくれたといいます。

その後も酒造りにひたむきに向き合う先輩の姿を目の当たりにして、今田さんは次第にその魅力にのめりこみ、実家の酒蔵で杜氏(とうじ)を務めていた男性に8年間、指導を受けました。味の向上を目指して試行錯誤を繰り返す中で、製法のポイントや秘訣などを記したノートは40冊にも及びました。

蔵を支える多様な仲間

今田さん(左端)と従業員のみなさん(2022年2月撮影)

今田さんの蔵を支える従業員は7人。半数は女性で、子育てをしながら働く人もいます。イギリス人もいます。年齢は20代から70代まで。酒造りの経験も最短3年から最長50年以上と実に多様です。

中にはお酒が一滴も飲めない人もいます。しかし早起きは得意、そして経験は誰よりも豊富。早朝からの仕込みには欠かせない大切な人財です。

(左)酒造り50年以上、お酒が飲めない男性従業員 (右)今田さんの酒蔵は笑顔が絶えない

今田さんが幼い頃から目にし、経験してきた男性職人の多い酒造りの現場は常に緊張が張り詰めていました。異なる性別や年代の人々がいるだけで、そうした空気が和らぐと今田さんは感じています。

今田美穂さん

「(酒造りを共にしている時間が)長い間の中でピリピリしすぎちゃうっていうか。お互いの存在が嫌になってくるみたいなことがあるんです。そういうときにおじいちゃんがひとりいるとかね、女性がひとりいるとかね。するとそこで空気がすっと抜けるんですよ。

また、とんでもないことをポンと言う人がいたり、全然違うベクトルで考えている人がいたりとかいうことのほうがかえってバランスが取れるような気はします。

あまり同じ方向ばかり向いてキリキリ集中しすぎると、息がつまるというか、そうじゃないほうが私はなんか居心地がいい」

蔵人の個性を生かして新酒を開発

今田さんは自身のお酒造りの経験と多様な人財を生かして、自分たちにしか造り出せない個性的な酒を次々と開発してきました。

蔵を代表するお酒、富久長(ふくちょう)もその一つです。 “幻の酒米”と呼ばれる広島固有の「八反草(はったんそう)」を復活させて造りました。

八反草は香り高い酒ができるという特徴があります。しかし稲が成長すると高さは160センチ、通常の稲の倍近くになり、倒れやすいことから栽培が難しく、明治時代に途絶えてしまっていました。

2001年、今田さんは広島ならではのお酒を復活させたいと頼ったのが、当時 入社して6年目だった杉浦弘真(ひろまさ)さんでした。

八反草の復活を手がけた製造部長の杉浦弘真さん

杉浦さんは東京生まれの東京育ち。京都大学で米の育成や肥料について研究していました。広島には何の縁もありませんでしたが、同級生の多くが大企業や研究者の道へ進む中で、今田さんの酒蔵に就職しました。

杉浦弘真さん

「ちっちゃい会社に行ってそこを盛り上げていくほうが大企業の中で出世するより、楽しいじゃないですか。お酒を造っている人ってかっこいいなという思いもありました」

杉浦さんは八反草を復活させるにあたって自らも田んぼを借り、酒米を育てて種もみを増やしたのち、酒米農家に栽培を依頼。5年かけて八反草の復活に成功しました。

杉浦弘真さん

「(米のことを)何も知らずにこんな米を作ってくださいと農家さんに言ってもやっぱり無理がかなり出てくるので。(酒米を作った経験は)ある程度プラスになっているかなと思います」

農家と話す杉浦さん(左)

杉浦さんは今も定期的に酒米農家を訪問しては栽培方法について相談しながら改良を繰り返しています。

今田さんは杉浦さんの存在があったからこそ「蔵人ダイバーシティー」が生まれたと考えています。

今田美穂さん

「父の代だとやっぱり地元のおじさんたちが酒造りをずっとやってきているので、東京生まれ、東京育ちで酒造りの職人になりたいとうちに入ってきたとき、周りの人たちびっくりしたの。なんで?って。その当時からすごい異質な感じだったと思うんですよ。

でも、一度そこでベースができあがってしまうとね、(いろいろな人が)アクセスしやすい、入ってきやすかったのかなと思います」

ダイバーシティーで世界へ

今田さんは多様性を強みに、海外向けの販売も強化しています。

近年、日本酒が海外でブームになる中、コロナ禍にもかかわらず、昨年の海外での売り上げは前年の1.7倍に上りました。

改良を重ねた富久長はフランスのワインソムリエが選ぶ国際的な賞を受賞するなど、世界へ広がっています。

海外進出のカギを握るのはイギリス・スコットランド出身のアンドリュー・ラッセルさんです。

英スコットランド出身のアンドリュー・ラッセルさん

アンドリューさんはもともと車のセールスマンでしたが、黒澤明監督の映画『用心棒』などを見て日本の文化や歴史への興味が芽生え、8年前に留学で来日。そのときに出会った日本酒の香りや酒造りの工程の奥深さに魅了され、今田さんの酒造に就職しました。

アンドリューさんはHPで日本酒の新たな楽しみ方を紹介している

ヨーロッパなど海外のお酒事情にも詳しいアンドリューさんは自身がつくったHPやSNSを使って日本酒の新たな楽しみ方を外国人ならではの視点で発信することで、世界中にネットワークを拡大。その幅広い人脈を駆使して、日本酒が世界でどのように受け入れられるか今田さんにアドバイスしています。

この日は海外で開催されるイベントの打ち合わせに参加。アンドリューさんの存在は今田さんにとって現地の人々がどんなお酒を普段飲み、好んでいるのかを知る重要な情報源となっています。

海外のイベント関係者とオンラインで話す今田さんとアンドリューさん
アンドリューさん

「ヨーロッパ人、アメリカ人、いろいろな国の人は知り合いなんですけど、その国の情報はちょっと調べて誰がいいかと考えてその後アプローチする。富久長のおいしさとかを伝えられるとベストと思います」

酒を試飲するアンドリューさんと今田さん

アンディさんは「きもと造り」と呼ばれる伝統的な製法の復活に挑戦しています。

自然の力だけで発酵させるため温度管理が非常に難しく、江戸時代の酒造りの製法が事細かに記された本を読み込みながら、試行錯誤を重ねています。

アンドリューさん

「酒造りの一番面白いポイントはやっぱり造り方ですね。古いやり方、伝統的な造り方
特に江戸時代の造り方はすごく大事だと思う」

酒造りの伝統を重んじるアンドリューさんと、良い味を生み出すことに心血を注いできた今田さん。時に議論になることもありますが、そうした意見のぶつかり合いが新しい発想を生み出しているといいます。

今田美穂さん

「アンディがいると広がりがあっておもしろい。海外が身近に感じます。

すごい日本酒オタクで、『スコッチもおもしろいけど日本酒のほうが造り方は全然おもしろい』って。伝統文化的なもの、古来の手法で、”おもしろい”っていうことを、すごく大切に考える。

『いや、“おもしろい”よりは“うまいだろう”』って、私たちは喧々囂々(けんけんごうごう)になることもあるんです。でもそういう話をすること自体が必要なことだろうし、そこを揺さぶってもらえるのはいいかなと思います」

ダイバーシティー 生かすために必要なものとは

取材の最後に、今田さんが酒造りの中で大事にしている言葉を教えてくれました。

今田美穂さん

「『和醸良酒』。和をもって、良い酒を醸すって、うまい酒を醸すって、昔からいいます。

思いやりとか寛容さがすごく大事。いろんな失敗もあり、いろんなぶつかることもあり、それを修正したり許し合ったり。相手の気持ちを考えてみる。

お酒は土地とも結びついていますが、お酒は人とも結びついています」

取材を通して、今田さんをはじめ蔵人の皆さんが笑顔で楽しそうに働いていた姿が非常に印象的でした。

多様な人がいればぶつかることも当然あります。ですが、ぶつかることを恐れず、相手の気持ちを考えながら受け入れ合うことが大切であることを教えてもらいました。

ひとりひとりが生き生きと活躍する社会を実現するために欠かせない“人の和”。その他にどんなことが必要か、今後も取材を続けながら みなさんと考えることができれば幸いです。

※取材した内容は2022年3月、ラウンドちゅうごく「“蔵人ダイバーシティー”で世界へ 女性杜氏の挑戦」で放送しました(広島県・山口県・鳥取県域)。

関連動画はこちらから

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