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「弟がいたから今の私がある」 ケアの経験を生かして

ヤングケアラーの取材を続ける私たちに、ある女性が言いました。
「"ヤングケアラー"ってマイナスな側面ばかりじゃないと思うんです」。

そう話すのは、知的障害のある弟のケアを10年以上担ってきた清﨑鈴乃さん・21歳です。来年の春から福祉系NPOに就職予定の清﨑さんは、大学で臨床心理を学ぶ傍ら、ヤングケアラーが集える場を運営しています。在学中に取得した福祉関係の資格は、ホームヘルパーやガイドヘルパーなど4つ。「弟がいてくれたからこそ今の私があるんです」―――
ケアの経験を生かしながら活躍する彼女に、話を聞きました。

(大阪拠点放送局ディレクター 二村晃弘)

「大丈夫、怖くないよ」弟の”情緒的ケア”

4月のある晴れた日曜、清﨑さんは弟とともに、大阪城公園を散歩していました。
弟の名前は陽斗(はると)君。3月に特別支援学校を卒業したばかりで、この春から作業所で働いています。

歩き始めて5分、陽斗君が突如足を止め、耳を塞ぎつぶきました。「赤ちゃん、CRY。怖いです」。周囲に耳を澄ますと、おぎゃあおぎゃあ、と遠くの方で幼児の泣き声が聞こえてきました。陽斗君は、泣き声におびえていたのです。清﨑さんは「大丈夫、大丈夫。怖くないよ」と陽斗君を優しく手でさすりながら、なだめます。

(左:おびえる陽斗君 右:清﨑鈴乃さん)
清﨑鈴乃さん

「家の中でも、テレビで赤ちゃんの泣き声が聞こえたり、CMでそういう演出があったりするだけでも、彼にとってはパニックになるポイントで。なだめたり、話を聞き続けたりみたいなことをずっとやっていますね」

(陽斗君)

これまで清﨑さんは、主に陽斗君の「情緒的ケア」を担ってきました。陽斗君がパニックになったり怒ったりしたときに、気持ちが落ち着くようなだめるなど、感情面のサポートを行ってきたのです。

相手の気分の浮き沈みに合わせ、根気よく寄り添い続けなければならない「情緒的ケア」は、大きな負担を伴います。とりわけ陽斗君は意思疎通を言葉で行うことが難しいため、より長時間のケアを必要としてきました。例えばこの日、陽斗君は「スポーツ飲料のようなさっぱりした飲み物が欲しい」と思っていましたが、清﨑さんに伝えることはできず、ようやくお金をもらうことで、自分で買うことが出来ました。

言葉によるコミュニケーションが取れない中、清﨑さんはこれまで、単語や身振り手振りで表現しようとする陽斗君を理解しようと努めてきたのです。

清﨑鈴乃さん

「いつ終わるかわからない戦いというか、こっちも言われ続けると、だんだん追い詰められてくるというか、私も私で、どうしたらいいかわからんし、私も私で追い詰められるし、パニックになるし・・・みたいな感じで、お互い気持ちの大変さがあるかなというのは思いますね」

小3から始めたケア

(子どもの頃の清﨑さん・陽斗君)

清﨑さんがケアを始めたのは、小学校3年生の時。3歳下の陽斗君が小学校に入学したのをきっかけに、登下校の付き添いを始めたことが始まりでした。やがて、一緒に手をつないで学校に行ったり、休み時間に支援学級での様子を見に行ったり、放課後、家族が帰ってくるまでに一緒にいてあげたり・・・と「お手伝い」として始まっていった陽斗君へのサポートを、当たり前のこととして受け入れていったと言います。

中学へと進学すると、ケアの負担は増していきました。まず、陽斗君の入浴介助。母子家庭だったため、母の帰りが遅くなるときは清﨑さんが陽斗君ともう1人の妹のために晩ご飯を作ることもありました。

陽斗君が成長し体が大きくなるにつれ、大変さを増していくケア。自分はこれから弟にどう向き合うべきなのだろうか――清﨑さんは相反する2つの感情の中で悩みを深めてきたと言います。

1つ目は「友達など周りの人にケアのことを重く伝えたくない」という思い。

清﨑鈴乃さん

「もちろん友達と一緒に遊べないとか、何かを制限されてしまうつらさはあったんですけど、やっぱり重く伝えちゃうと、初めて障害のある人と接する方たちに対しては、障害者のイメージがすごい重いものになっちゃうので、そうなってほしくはないなと」

そして2つ目は「それでも、ケアによって追いつめられてしまう日もある」という思い。

清﨑鈴乃さん

「家の中にいると、常に弟のことを気にしていけないので気が休まる時間がなくて。例えば、弟の気持ちが高ぶってしまったときに、これがずっと続くと思うと『これからどうやって向き合っていこう』と悩んだりとか…。そんな時、家の中が張り詰めるような感じがつらかったです」

「ケアラーとしての私も私!」

ケアへの向き合い方を悩んできた清﨑さん。しかし清﨑さんには、家族という強力な味方がいました。清﨑さんは、お母さんと陽斗君、そして妹との4人家族。中でもお母さんは常に「好きなことをやったらいい」と言い続けてくれました。中学、高校へと進学する中でも、お母さんや妹と陽斗君のケアを分担することで、毎日練習がある部活にも参加できたのです。

清﨑鈴乃さん

「私の場合は、本当に家族が献身的に私のサポートもしてくれて。本当に好きなことをやったらいいよとずっと言い続けてくれていたので。ケアを一人で抱え込んだり、ケアがあるから何かに挑めなかったり、ということはなかったんです。本当にありがたかったなと思います」

また、周りの友達や学校の先生も良き相談相手となってくれました。例えば、清﨑さんが陽斗君のケアで胸がいっぱいになってしまった時、周囲の人たちはアドバイスするのではなく、ただただ話を聞いてくれたのだと言います。そんなとき、清﨑さんはため込んでいた悩みを吐き出すことが出来ました。

清﨑鈴乃さん

「『そんなことがあったんやね』とか。『泣いてもええんやで』とか。やっぱりため込んで、ため込んでたものが爆発したときに、受け止めて、話を聞いてくれたことが本当にうれしかったんですね。本当に周りの人には恵まれてきたと思います」

福祉の道へと進路を決定したのは、高校3年生の時。受験勉強も始まって将来と真剣に向き合うようになり、これまで行ってきたケアの経験を生かせる学部や職業に進むことを決意したのです。その決意は、家族や周囲の友達や先生たちとの関係性の中で、「ケアラーとしての私も私なんだ」と、自分の経験を肯定することができたからこそなしえたものでした。

清﨑鈴乃さん

「『サッカーが好きなあなたもあなた』だし、『弟をケアしているあなたもあなた』だしと、周りに「私」という人間をいろんな面を含めて知ろうとしてくれる人たちがいたことが大きかったです。自分はヤングケアラーとして得たものも多いと思っていて。例えば『私は障害のある方がいないご家庭の方では経験できないような経験を私はしている』、『誰かのために何かするという経験を幼いころからできるって、めったにない経験だったな』って。家族や友達、先生との関係性の中で、自分の経験をポジティブに捉えたり、プラスな面に目を向けられたりするようになっていったのかなと思います」

多様なヤングケアラーたちの姿

(「かるがも」の集まりを開催)

いま、清﨑さんは大学で発達障害や特別支援について学習する傍ら、学外でもさまざまな活動を行っています。その一つが、自身が主催している「かるがも」。「かるがも」は、清﨑さんが同じく障害のある兄弟姉妹を持つ同世代の若者たちが気軽に集まれる場所を目指して作った会です。取り組みの根底には「弟がくれた自分の強みを生かしたい」という思いがありました。

清﨑鈴乃さん

「私のなかでは弟はすごく特別な存在かなと思っていて、やっぱり彼がいたからこそ、私は障害福祉に関心が向いたわけですし、やっぱり彼がいなかったら、今の私も、今の私の人生もなかったと思うので。本当に私しか歩めない人生を生かしていきたいなと考えて、まずは自分と同世代で似た境遇を持つ人たちが気軽に集まれる場所を作れたらいいなと」

大学生・大学院生が6人参加したこの日の主なテーマは「進路とケア」。大学卒業後、自分たちのやりたいことと、兄弟のケアとの間で、どう進路を決定していくべきか議論が交わされました。会の中盤、就職活動を行っているという参加者が「自分の進路選択は、ケアしている兄弟の存在に影響されているんじゃないかと悩んでいる」と吐露したときに、清﨑さんが背中を押すように答えていた言葉が印象的でした。

清﨑鈴乃さん

「自分たちは障害のある兄弟に影響されてるし、逆に障害のある兄弟もきっと自分たちから影響されているんやろうなって思います。普通の兄弟もそうだと思うんですけど。でも、全てのものって何かの関係性の上に成り立っているから、自分の意見がその関係性の上で成り立っているんだったら、きっと本心と言ってあげていいんじゃないかな」

ケアにまつわる話から日常の話まで、様々なことについて気軽に話すことが出来る「かるがも」は、いま関西圏外からも参加者が絶えないと言います。この日参加者は、時に笑い、時に真剣な表情で、2時間にわたって語り合いました。 ヤングケアラーたちが気軽に集まり、そして願わくは互いの長所を引き出せるような場所を作りたい――清﨑さんは、これからもこうした活動を続けていきたいと考えています。

清﨑鈴乃さん

「もちろんヤングケアラーはマイナスな面もあって、それは無視できないことだと思います。でも逆に人によっては得たものもある人もいると思うので、それを引き出してあげることは、自分がしてきたことは正しかったんだと、自分の肯定にもつながると思いますし、そういったことも発信できていったらいいなと思います」

(清﨑鈴乃さん)

会の後、清﨑さんにこんな質問をしてみました。「いま、国の調査も行われ、ヤングケアラーの負担や将来への影響などが注目されていますが、率直にどう思いますか?」。すると清﨑さんは、こう答えてくれました。

清﨑鈴乃さん

「『そんなしんどい面ばかり切り取らなくても…』とは思います。ヤングケアラーといっても、兄弟のケアをしている人もいれば、親御さんのケアをしている人もいたり、おじいちゃんおばあちゃんのケアをしている人もいたり…といろんなケアラーがいますし、逆にヤングケアラーではあるけど、別に今しんどい思いはしていない人もなかにはいるわけで。いろんなケアラーがいろんなことを感じながら、いろんなケアをしているので、ある側面で語れるものではないですし、もう少しその裏にある多様性にもフォーカスを当てて伝えてほしいし、私自身もヤングケアラーのいろんな面を発信していけたら、と思っています」

「ケアは大変だ」という話を聞く機会が多かったこれまでの取材。しかし今回の取材では、清﨑さんが自身のケア経験をポジティブに捉え、それを生かそうと活動している姿が、とても印象的でした。当たり前のことかもしれませんが、ヤングケアラーの在り方も多様でケアの経験をどう受け取るかは人それぞれなのだと、教えてもらったような気がしました。

また、「家族とケアを分担できたり、ケアの悩みを周りの人と共有できたりしたことが『ケア経験を生かしたい』と思えるようになったきっかけだ」と話していたことも、大きな意味を持つように思いました。その言葉は、「ヤングケアラーと同じ社会に生きるものとして、私たちが何をできるか」という問いに対しての、大きなヒントとなる気がするからです。

誰しもにケアする・される機会が訪れ得るこの社会で、負担や辛さを一人きりで抱え込むのはきっと苦しいものです。他人の痛みを少しでも分かち合えるような、理解したいと歩み寄れるような、そんな社会の一員になりたいと、思いを強めた取材でした。

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