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群馬出身 ヤクルト・丸山和郁 サヨナラ打の裏に恩師のことば

  • 2023年01月04日

高崎市の旧倉渕村に生まれ、前橋育英高校出身のプロ野球・ヤクルトの外野手、丸山和郁選手。

ルーキーだった昨シーズンは、セ・リーグ2連覇を果たした試合でサヨナラタイムリーヒットを打ち、その知名度を一気に高めました。ただ、開幕当初はプロの厚い壁に跳ね返され、2軍のベンチで1人、涙した時もあったといいます。
苦しんでいた時、支えとなっていたのは、高校時代の恩師のことばでした。

きのうよりきょう、きょうよりあした

シーズンを終えて地元・群馬に戻った丸山選手が、単独インタビューでたっぷり語ってくれました。

(前橋放送局記者 中藤貴常/2022年12月取材)

興奮しすぎて覚えていない

ーーーサヨナラタイムリーでの優勝決定。当時はどんな気分でしたか?
あの時は興奮しすぎてあまり覚えていないです。セカンドベースまで行って、ベンチを見たらみんなが駆け寄ってきてくれていて、そこで勝ったんだなという実感が湧いてきました。打った瞬間は正直ヒットという感覚ではなかったので、本当に勝ったのかなという不思議な感覚はありましたね。

ーーーそこに至るまで、ルーキーシーズンはどんな1年でしたか?
1年間ケガなく無事にシーズンを終えられたということは、自分の中では評価できるポイントかなと思っています。1年目の目標を「ヒット20本」としていましたが、そこはクリアできたのでよかったと思っているんですけど、その中でフォアボールを選べなかったり、バントのミスも多々あったりして、打率自体低かったので、そういうところも課題かなと思っています。

ベンチで泣いた

ーーー学生時代とプロの差はありましたか?
スピード感やボールのキレ、プレーの質も高校・大学に比べてかなりプロは高いので、そこでギャップは感じました。1番の課題はバッティングでした。

ーーー特に壁を感じた場面はありましたか?
2軍にいたとき、ピッチャーは(日本ハムの)金子千尋投手だったんですけど、全く自分の思うように体が動かなくて、バットも出てこない、ボールも見えない。それが2打席、3打席ぐらい続いて、それで三振して…何をやってもうまくいかなかったんです。本当にあの時期はバットをどう振ったらいいかわからなくて、本当に情けなくて、ずっとベンチで泣いていたんですよ。どん底とまでは言わないですけど、入りたてなんで。ただやっぱり楽しくないなという風には、その時思いましたね。

支えられた恩師のことば

ーーーその後1軍に再昇格するわけですが、2軍時代の壁はどう乗り越えましたか?
前橋育英の荒井監督から常々言われていたことばなんですけど、“きのうよりきょう、きょうよりあした”ということばがあるんです。(高校時代)大会が少ない中でどうやって練習をするかって言われれば、目標が遠いんで“きのうよりきょう、きょうよりあした”の自分を超えるという意識で練習をしようという風に言われていて。そのことばを高校、大学、プロと、そういう思いを持ってやっていました。当時は早く1軍に上がりたいというよりは、早く自分がレベルアップしたいという風に思っていて、常に、きのうの自分を超えて、その結果として活躍して、チームが勝てばいいなというような思いでやっていました。

恩師は“いち丸山ファン”

前橋育英高校で今も指揮を執る荒井直樹監督にも、丸山選手のインタビューの前に取材をさせていただきました。荒井監督にとって、多くの教え子の中でも丸山選手の印象は特別なものでした。

ーーー当時の丸山選手の印象はどうでしたか?
まっすぐな生徒だったなというのがすごく印象的で、まずは中学時代に初めて見させていただいた時に、軟式で部員が10人ぐらいしかいなくて、1回戦を勝つかどうかという学校だったんです。その中で彼は目立っていたんですけど、周りのそんなにうまくない子に対しても、すごくを良い接し方をしてるな、というのがありました。そういう所を見て、「一緒に野球をやりたいな」と、そう思わせるような選手でした。

前橋育英高校時代の丸山選手

ーーー特に印象に残っていることはありますか?
高校3年の時の地区大会決勝で健大高崎さんと対戦した試合で、途中、空振りした時に肩を脱臼したんですね。それでも試合に出続けた。それが良いか悪いかはありますが、勝利に対する強い気持ちというのは当時からすごいものがあったなと覚えています。

ーーー選手としてはどう見ていましたか?
強気というか、試合でもセンターを守っていてピンチになるとベンチを見て、肩を回してそろそろ行きましょうか、みたいな。ピンチの場面でも逆にそういう時の方が燃えるというか「最後はこの子で打たれたらしかたがないな」と思わせるような、そういう選手でした。プレーを見ていても、すごくワクワクするというか、サインも関係なく盗塁したり…それでも全然オッケーなんですけど、そういう意味ではすごく見ていて楽しい選手でした。当時は、ミスをしても全部自分の責任という風にできましたが、プロになるとそうもいかないと思うので、正直今は見ていて少しハラハラします(笑)。今は教え子というよりも“いち丸山ファン”として見てるという感じですかね。

ーーー丸山選手へのメッセージをお願いします
丸山和郁くん、君の成長、また活躍を楽しみにしています。体には十分注意して、ハッスルプレーで暴れ回ってください。頑張ってください。

助けてくれる“お父さん”

このメッセージを、丸山選手に見てもらいました。

思わず笑みがこぼれる

ーーーいかがですか?
恥ずかしいですね、こういうの、言われたことないんで。でもうれしいです。ずっと困ったら荒井監督に電話していて、本当にいつも助けてくださる方で、これからもお父さんというか、自分が信頼する監督の中の1人です。これはなんか上から目線ですね(笑)。お父さんのような存在なので、お父さんのように接していきたいという風に思います。

もう1人の“師匠”

ーーー目指している選手像はありますか?
青木宣親選手です。小さいころから野球を見て、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)を見ていたんですけど、そこに青木宣親さんがいて、かっこいいな、と思っていて。自分はヤクルトと言えば青木宣親だという風に思っていましたね。

ーーー小さいころからの憧れの選手と一緒にプレーして、今はどんな存在ですか?
本当にチームのことを第1に考えていて、40歳を超えているんですけど、それでも自分が最前線に立って引っ張るという意思というか気持ちというのは、自分たちにも伝わってきます。その1打席1打席にかける思いとか、本当にまねしないといけないなということは多いですね。2年目で(シーズン)200本を打っている方で、今でもストイックに追い込んでトレーニングしていて、そういうバッティングだったり、フィジカルだったり、トレーニング面でも青木さんが持っているものを全部盗めるようにしていきたいなと思っています。

同じユニフォームで“青木2世”に

ーーーシーズンオフに「青木塾」に参加すると聞いています。どういう経緯で参加することになったんですか?
まず青木さんに誘われて。「このオフどうするんだ」という風に言われて「特にありません」と言ったら「なら、俺の所くるか?」と言ってもらえて。そこで「お願いします」という風にお願いをしました。元々行きたいと思っていたので、秋になったらお願いしようかなと思っていたんですけど、先に声をかけてくださったのがうれしかったです。

ーーーどうして誘ってもらえたと思っていますか?
よくノリさんが常々言ってるのは“フォルム”が似ているって(笑)。そういうところもあるのかなと思います。来年はノリさんとまったく同じ着こなし、ユニフォームのサイズ感にするので“青木2世”とまではいかないですけど、青木さんみたいな選手にはなりたいと思っているので、格好からまねしていきたいと思っています。

ーーー格好はどう変更していくんですか?
ことしの自分の着こなしが、ズボンがちょっとピチピチで、上がちょっとダボダボしていて「ミスター社会人」と言われていて、着こなし的に。社会人(野球)の方はそういう着こなしが多いんですけど、ノリさんに「それやめろよ。ことし1年は“ミスター社会人”でいいけれど、来年はどうするんだ」って言われて。「じゃあ、ノリさんのまねをしていいですか?」と言ったら、「じゃあ全部俺がサイズ頼むわ」と言ってくれて、ユニフォームの会社の人に頼んでくれたんです。結構、人によってはダサい着こなしになってしまうんですけど、でもノリさんと同じと思えば全然いいんです。正直まだサイズをよく知らなくて、届いてからのお楽しみなんですけど、どうやって着ようかなって今から悩んでいます。

ーーー理想の選手なんですね
青木選手のように背中で引っ張るのもそうですけど、誰がどう見てもスーパースター、バットでもチームを引っ張って、背中でも引っ張って、本当にすごい方なので、そういう選手になりたいです。

“登場曲”に込めた 群馬県民として恥ずかしくない行動を

ーーー丸山選手の登場曲は、※BOØWYの「DREAMIN’」。なぜその曲に?
登場曲を大学のコーチと考えていたんです。その人もSUBARU(群馬県太田市)で野球をしていた人なので「群馬だからBOØWYでいいんじゃない?」と言われて。そこから一緒に動画を見ながら、どれがいいかなと考えていました。それで「DREAMIN’」を聞いたときに、すぐにこれがいいなと思って。もともとお父さんとお母さんの影響で聞いたことはあったんですけど、改めて聞くと、すべてがかっこいいなと思って決めました。
(※BOØWY=丸山選手の地元・高崎市出身のメンバーを中心に結成された伝説のバンド)

ーーー郷土愛ですか?
群馬からこうやってプロ野球選手になる人は少ないと思いますし、特に小・中・高校と過ごしてお世話になった群馬に少しでも恩返ししたいという思いはあります。やはり、群馬県民として恥ずかしくない姿というのが僕が本当に目指しているところなんです。「どこどこのOBとして」とよく言われるんですけど、明大OB、育英OBとして恥ずかしくない行動を、とよく言われるんですけど、自分はその中でも群馬県民として恥ずかしくない行動をしていきたいなと思っていて。自分が活躍すれば地元も盛り上がってくれるので、恩返しをしたいですね。

ーーーふるさとの思い出の味はありますか?
※「おっきりこみ」ですかね。きのうも食べました。家族や知り合いと食事に行く機会があって、昔からの行きつけの店なんですけど、最後にサービスの締めとして「おっきりこみ」を出してもらって、結構久しぶりに食べたんですけど、おいしかったです。あとは、ばあちゃんの家にいったら、すごい豪勢なご飯が出てくるんです。ばあちゃんも気合いを入れて作っちゃうんで、食べ切れないんですよ(笑)うれしいんですけど。
(※「おっきりこみ」=幅広の麺を県産の野菜などと煮込んだ群馬名物の料理)

レギュラー定着 そして日本一へ

来年への抱負は?

ーーー来シーズンはどんなシーズンにしたいですか?
途中から出るというのも仕事なのでいいんですけど、やはり、野球をやっている以上は1回から9回まで試合に出て、打って、守って、走って、そういった面でチームに貢献したいと思っているので、来年はレギュラーを絶対につかむという思いでいきたいなと思っています。

迷わず「日本一」

ーーー目標は?
日本一です。ことし最後の最後で悔しい思いをして、目の前でオリックスの胴上げを見て、本当にベンチでずっと悔しい思いをしたので。まずはレギュラーとして試合に出て、走攻守ですべてにおいてチームの(セ・リーグ)3連覇・日本一に貢献したいなと思います。
 

  • 中藤貴常

    前橋放送局 記者

    中藤貴常

    警察・司法を担当後、現在は両毛広域支局で行政・スポーツなどを幅広く取材

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