消防団員だった勇輝さんは、海の近くで住民の避難誘導をしていて、津波に巻き込まれ、亡くなりました。
家族4人でご飯を食べながら話をしている時、「お兄ちゃんが居たらここでツッコミを入れていたんだろうな」とか、サッカーの試合をTVで観ている時、お父さんはきっとお兄ちゃんと話したいんだろうなとか、みほが仕事の事で相談してきてくれた時、絶対お兄ちゃんの方がいいアドバイスくれるよって思ったり、お母さんに厳しく当たってしまった時、お兄ちゃんならもっと優しく言ったりできるのに私でごめんねって思ったり。私のそばにはいつもお兄ちゃんがいるよ。私が畳屋を手伝うと決めてから、心の中でいろんなことをお兄ちゃんに話してきたよね。そのおかげで、前よりも落ち着いて物事を判断できるようになってきたよ。やっぱりお兄ちゃんだから、こっちにいなくても頼りにしてる。
訓練校に行って先生方や同期生さんから話を聞いて、私も当時お兄ちゃんから聞かされていた話を思い出しました。ボウズになるのも本当に嫌がっていたし、朝起きるのもやっぱりずっと苦手だったんだね。でも同期生さんたちと一緒に映画に行ったりゲームしたり旅行に行ったりできて、苦しい思いも薄まるくらいみんなと過ごすのが楽しかったんだよね。訓練中は真面目で一生懸命だったと聞かされたよ。実家に帰ってきてからも夜な夜な練習してたのを思い出したし、何よりも訓練校から頂いた、お兄ちゃんが2年の時に作った六角畳二畳台の縁の合わせ目にその努力が出てたよ。ひと針ひと針が丁寧で抜け目がなくて、どっしりとしていて自信がある感じ。落ち着きも感じたんだよね。実際にお兄ちゃんは訓練校で学びながら家を継ぐことを決めたみたいだったけど、この畳を作った頃にはもう決めてたのかな?気になるから後でこっそり教えてほしいな。
私もやると決めたから、あとはやるだけ。まだまだ全然自信ないけどとにかく笑顔で元気に畳屋を続けて行くつもりだよ。
震災があってたくさんの人たちに出会い、たくさん助けてもらいながら6年きました。関わってくれている全ての人たちに感謝を忘れずに、そしてお兄ちゃんの分まで親孝行しようと思っているよ。どうかこれからも見守っていて下さい。お母さんが全然夢に出てきてくれないって寂しがってたから、たまには出てきて話してあげてね。
いつもありがとう。