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菊池勇輝さん(きくち・ゆうき/当時25歳)
岩手県陸前高田市

消防団員だった勇輝さんは、海の近くで住民の避難誘導をしていて、津波に巻き込まれ、亡くなりました。

「こころフォト」ニュースリポート

  • 2017年3月7日放送

    残された家族の6年

    (ニュースウオッチ9)

震災から6年を迎えて

妹の菊池沙也加さんより

家族4人でご飯を食べながら話をしている時、「お兄ちゃんが居たらここでツッコミを入れていたんだろうな」とか、サッカーの試合をTVで観ている時、お父さんはきっとお兄ちゃんと話したいんだろうなとか、みほが仕事の事で相談してきてくれた時、絶対お兄ちゃんの方がいいアドバイスくれるよって思ったり、お母さんに厳しく当たってしまった時、お兄ちゃんならもっと優しく言ったりできるのに私でごめんねって思ったり。私のそばにはいつもお兄ちゃんがいるよ。私が畳屋を手伝うと決めてから、心の中でいろんなことをお兄ちゃんに話してきたよね。そのおかげで、前よりも落ち着いて物事を判断できるようになってきたよ。やっぱりお兄ちゃんだから、こっちにいなくても頼りにしてる。

訓練校に行って先生方や同期生さんから話を聞いて、私も当時お兄ちゃんから聞かされていた話を思い出しました。ボウズになるのも本当に嫌がっていたし、朝起きるのもやっぱりずっと苦手だったんだね。でも同期生さんたちと一緒に映画に行ったりゲームしたり旅行に行ったりできて、苦しい思いも薄まるくらいみんなと過ごすのが楽しかったんだよね。訓練中は真面目で一生懸命だったと聞かされたよ。実家に帰ってきてからも夜な夜な練習してたのを思い出したし、何よりも訓練校から頂いた、お兄ちゃんが2年の時に作った六角畳二畳台の縁の合わせ目にその努力が出てたよ。ひと針ひと針が丁寧で抜け目がなくて、どっしりとしていて自信がある感じ。落ち着きも感じたんだよね。実際にお兄ちゃんは訓練校で学びながら家を継ぐことを決めたみたいだったけど、この畳を作った頃にはもう決めてたのかな?気になるから後でこっそり教えてほしいな。

私もやると決めたから、あとはやるだけ。まだまだ全然自信ないけどとにかく笑顔で元気に畳屋を続けて行くつもりだよ。
震災があってたくさんの人たちに出会い、たくさん助けてもらいながら6年きました。関わってくれている全ての人たちに感謝を忘れずに、そしてお兄ちゃんの分まで親孝行しようと思っているよ。どうかこれからも見守っていて下さい。お母さんが全然夢に出てきてくれないって寂しがってたから、たまには出てきて話してあげてね。

いつもありがとう。

埼玉県の川瀬守さんより

こんにちは。毎日寒いですね。
畳屋になろうとした勇輝さん。
職人ばなれの世の中で、すばらしい意志でしたね。
きっとお空の上で畳を縫っているかもしれません。 
きっといろんな所に飛んで行って畳を直しているでしょう。
沙也加さん、がんばってね。

高松市の山下明宏さんより

菊池さんとは、9年前に埼玉県畳高等職業訓練校で1日ですが、一緒に作業台を並べて指導を受けさせていただきました。
当時、彼は畳製作一級技能士を目指して母校で、私は初めての全国大会に向けて卒業生では無いですが訓練校で練習する為に、真剣に畳を縫いました。
当時、訓練校にも縁もゆかりも無く初めて会った私にとても気さくに話しかけてくれて、すごく嬉しかった事や、外見はとてもハンサムで最近の若者な感じなのに、畳を縫っている時の姿はとても力強く正確に縫っていたのを昨日の事のように思い出しています。
とてもお恥ずかしい話ですが、当時の私は自分の事で精一杯で菊池さんのお名前も連絡先もお聞きしておらず、つい最近になって 3・11の震災の津波でお亡くなりになった事を訓練校の方から聞いて、大変ショックを受けました。
ご家族の方々には大変遅くなり申し訳ありません。
心より御冥福もうしあげます。
また、お兄さんの跡を受け継ぎ頑張っておられる妹さん!頑張ってください!
四国から応援してます!

菊池勇輝さんへのメッセージ・写真を募集しています。

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