あの日、そして明日へ

こころフォト

トップページ 写真一覧 こころフォトに寄せて 動画を見る

佐藤帆高くん(さとう・ほだか/当時10歳) 杏慈ちゃん(あんじ/当時7歳) 成子さん(せいこ/当時58歳)
宮城県石巻市

3人は避難所に指定されていた北上総合支所にいましたが、津波に流され、亡くなりました。

「こころフォト」ニュースリポート

  • 2017年3月7日放送

    残された家族の6年

    (ニュースウオッチ9)

震災から8年を迎えて

佐藤富士夫さんより

三男と同居、なにかといそがしい毎日ですが、夜になると一人でいる事が多く淋しくなるので、昨年2月より真っ黒いねこを飼い癒やされています。名前はクウです(オス)。

防災集団移転団地に新築3度目の正月です。一日の始まりは神棚に手を合わせ、お仏壇に、ご飯、水、お茶をそなえるのが自分をささえていると思っています。

妻は時々夢に出て来ますが、二人に孫はなかなか出て来ません。残念ですが、自分を思ってかなと、二人の思いやりを感じています。
(だけど夢で会いたいです)。

毎年3月11日までにお墓の前とか、となりに、花文字で3人の名前をえがくのを恒例にしています。今年も植付の準備が出来ています。

北上小学校移転新築工事、北上にっこり地区拠点施設建設工事の合同安全祈願祭が1月20日に行われます。この事により2020年度末には、北上地区の復興は、ほぼ完工するのではと思われます。

震災から7年を迎えて

帆高くんと杏慈ちゃんの祖父・富士夫さんより

震災当日の朝、いつものように、杏慈、帆高ふたりをバスに送りに、バスに乗って元気に学校へ行くのを見届け、別れたのがこの世の最期でした。
兄妹仲良くランドセルを背負って学校に行く姿が、脳裏から離れることはありません。

妻の成子とは、当日の昼は一緒に家にいましたが、地震直後に妻は2人の孫を迎えに行き、北上総合支所で大津波の犠牲に。
仮設住宅から、今でも3人の遺影とともに眠っています。

自立再建して1年が過ぎました。昨年2月末に3人の7回忌法要を済ませることができ、なにか肩の荷がおりたようです。
今は、自分の家で毎朝お仏壇に手を合わせることができ、満足しています。

いろんな役職で忙しい毎日ですが、時間がとれる時は、ほとんどお墓へ。季節ごとの花を咲かせるようにしています。
自立再建、公営住宅などの入居は、ほぼ終了しました。

復興工事が進むにつれ、以前の地域や集落の記憶が薄れつつあるように思われます。
これまでご支援くださった全国の皆様方に、ただただ感謝あるのみです。

震災から6年を迎えて

佐藤富士夫さんより

あんじ、ほだか、そしておばあさん

三人が津波で突然亡くなってから今日まで悲しさと寂しさとの闘いの中で一日も早く、小さくてもいいから家を建て新しいお仏壇を買い、お線香をあげるのが夢でしたが、夢が叶いうれしいです。

おばあさんと、いっぱいいっぱいスーパーに買い物に行っていればよかったと今は反省しています。ごめんなさい。

昨年12月、念願であった自分の家が完成し、震災から6年、心の整理がつき、年賀状を書くことができましたが、長い長い道のりだったと思っております。

帆高君へ
二人で船で漁に出かけたかったです。また帆高君が運転する車でどこかへ出かけるのを楽しみにしていたのに残念でなりません。夢でいいから会いたいです。

杏慈へ
震災とは言え、突然の別れにつらいつらい毎日でした。かわいく元気で何でもできましたね。今はただただ写真を見て、ありし日を思い出す日々です。2年前に妹、のどかが生まれました。日増しにあんじに似てきてかわいいです。杏慈の成人式での晴れ姿を見ることができなくなり、悲しいです。

佐藤帆高くん、杏慈ちゃん、成子さんへのメッセージ・写真を募集しています。

写真一覧へ戻る