あの日、そして明日へ

こころフォト

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朝島高弘さん(あさじま・たかひろ/当時40歳)
茨城県東海村

広島県の建設会社に勤めていた朝島さん。東京電力の火力発電所で、煙突の頂上付近で作業していたところ、足場が崩れ落下して亡くなりました。

震災から5年半PHOTO




妻の今日子(きょうこ)さんより

私には、昨日の記憶よりも5年前の記憶の方が鮮明です。

あなたは3月7日に40歳の誕生日を迎えたばかりで、広島から茨城へ4月までの単身赴任でした。
毎日モーニングコールとおやすみの電話をし、1日の出来事や、たわいもない会話をし、月に一度は私が茨城へ行ったりと、寂しい思いをする暇もなく充実した毎日を過ごしていました。

・・・あの日あの時あの瞬間、私には、あなたの私を呼ぶ声が聞こえました。
すぐ携帯にかけたけどつながらず、あなたがどんな目に遭っていたかも知らずに、帰宅してテレビニュースで地震のことを知りました。夕方になって会社からの電話で、あなたと連絡がとれないと聞いて、その夜は一睡もできず、あなたの携帯に電話をかけ続け、そして連絡がくるのを待ちました。
きっとケガをした人たちを助けたり、電話をする暇もないくらい忙しいのだろうと・・・
落ち着いたらきっと連絡が来ると信じて待ちました。

次の日、居ても立ってもいられなくて、周りの反対を押し切って広島駅に向かい、私と息子は行き止まりのJR取手駅までの切符を買い、そこからはバスを何度も乗り継ぎ、ヒッチハイクをし、2日かけて茨城へ向かいました。
テレビ画面に何度も流れるテロップに、あなたの名前を見た時は頭が真っ白になり、あなたの顔を見るまでは、この手であなたに触れるまでは何も信じないと心に決めて、あなたに会いに行きました。

・・・あの日から私は、色のない景色の中、空っぽの毎日を過ごしています。
思い出すのは、あなたがいつも私を笑わせてくれたこと、いつも私の心配をしてくれたこと、次の休みは家族でどこに行く?と、私達との時間を大切にしてくれたこと・・・
5年前のあの年も、映画や海水浴や約束が沢山あったのに・・・

世の中の5年はとても早く、中2だった息子の誠(せい)もこの春、大学生です。
そんな現実に、5年が過ぎたのだと気づかされます。
息子の学校行事の1つ1つに参加するたびに、本来なら私の横にはあなたがいて、一緒に目を細めていたはずなのに・・・と、寂しい気持ちになります。

周りの人にはあなたの姿は見えなくても、私の横にはあなたがいるでしょ?
私はいつも、あなたの腕時計をはめて学校行事に参加しています。最近は、誠があなたの腕時計をはめて、いろんな行事に参加しています。
あちこち連れて行かれて忙しいでしょ?

私と誠は1日もあなたを忘れた日はありません。
1日もあなたへの感謝の気持ちを忘れた日はありません。
今でも毎日、会いたいです。

HPをご覧になった神奈川県の歌代由紀さんより

煙突作業①海風に気をつけて 煙突作業②螺旋階段は何段あるのかな? 煙突作業③履き替えてご安全に! 出張先の旅館でモコちゃんと 3人でうどんを食べた

令和6年3月11日(月)
朝島高弘さんへ奥様からの〝こころフォト″
このページが偶然目にとまりました
3.11煙突の上から転落死とあり もしかしてと吸い寄せられるように見入ってしまいました
嗚咽を抑えて読み終えると「朝島高弘さんへのメッセージを募集」とあったので 奥様に向け何かメッセージをと思わず入力しています。

主人は青森〜山口 火力発電所の煙突に上って30年以上 煙突にまつわる業務をこなして参りました。

3.11
「東海村のひたちなか煙突で220mから作業員が落下した。防災ヘリが近づけない同業者に依頼するしかない救助に向かって欲しい」とコスモ石油タンクの爆風を避け高台に避難していた菱光煙突部に無線が入った。
その足で千葉からひたちなか火力発電所へ、ひび割れ液状化した道なき道を救助に向かいました。

綿密な安全対策会議の後
安全帯を身につけ頂上を目指しました
いつもの建築物ではなく生身の人 丁寧にしっかりロープワークして余震がくると何度もストップしながら皆で力を合わせ心をひとつにして地上へ
【煙突からおろした人 広島の方だった家族が来て泣いていた家族に逢わせてあげられて良かった‼︎けど辛いね】と話していました。記憶は新しいのに震災から何年経ったのでしょうか

今日子さんのお気持ち痛感いたします。ヒッチハイクして現場に向かったなんてその時の様子が手に取るようです。みんな必死でした。
現在は煙突下で安全屋という見守り業務をしておりましたが
仕事中めまいで座り込んだ時 歌さん病院行きな とお仲間に言ってもらったお陰で病気がみつかり、仕事中に倒れて迷惑をかけずに
地元に帰って検査入院し家族と過ごす時間ができました

その間1ヶ月
手術日も決まり術後はリハビリ頑張って早く復帰するんだ!と意気込んでいたのに 私もふと安心してしまい1人にさせてしまう魔の時間ができてしまった1人で逝かせてしまった助けたかった
突然死から1ヶ月も経ってないけど
いつものように出張で家を空けてるような 次の夏休みには帰るような 頭が勝手に悲しみと逆を考えさせる
三菱重工の火力発電所煙突実績にはパパが話してくれた仕事の内容ばかりが載っていて、職場の人達に恵まれて良い仕事をさせてもらったね!幸せだったね!
頑張ってくれてありがとう! お疲れさま!を繰り返しています。
ポッカリ空いた穴はきっといつになっても塞がらないと思う
パパが毎日毎日ラインで ご安全に運転気をつけて事故なくね‼︎ って送信してくれた画面を出して運転してる。
そして仕事帰りにはパパの好物選んでお酒と一緒にだして話しかけて泣きはらして。。。それでいいよね

朝島高弘さんへのメッセージ・写真を募集しています。

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