あの日、そして明日へ

こころフォト

トップページ 写真一覧 こころフォトに寄せて 動画を見る

山本幸雄さん(やまもと・さちお/当時49歳) 冨弥さん(とみや/当時82歳)岩手県宮古市

幸雄さんと冨弥さんの親子。消防団員だった幸雄さんは、水門を閉めに行ったところ津波に襲われて亡くなりました。冨弥さんは、近所の避難所まで逃げようとして津波に巻き込まれて亡くなりました。

震災から4年PHOTO




震災から4年を迎えて

幸雄さんの長女の永都(ひさと)さんより

お父さん、おじいちゃん。
私は時々、お父さんとおじいちゃんが元気な姿が夢に出てきます。家族みんなで笑い合っている夢です。
どんな内容だったかは目が覚めると忘れてしまいます。だけど、元気な姿で家族みんなで笑っていることだけは覚えています。
震災から4年経ちますが、これが夢ではなく現実だといいのに・・・といつも思います。
私と一緒にテレビを見ながら、流行には敏感だったお父さん。
今でもテレビを見ながら、今流行っている物や旬な芸能人が出てくると、「お父さんにも教えてあげたいな~」と思います。

相撲が大好きだったおじいちゃん。
テレビでふとチャンネルを変えたときや、スポーツ番組で若手力士さんが映っていると「おじいちゃん、どんな反応するのだろう。
1回でもいいから両国国技館に連れて行きたかったなぁ~」と思います。

もっともっとお父さんとおじいちゃんと、やりたいこと、見たいこと、共有したいこと、たくさんあります。
だけどそれができない分、お母さんと一慶と、人生後悔しないように、やりたいように楽しく生きていこうと思います。

お母さんは毎日、“お父さんの分も!!”と言って頑張っています。
一慶は高校で野球を続けています。
私は大学3年になったけど、少し休みたいと思って休学しました。
だけどまた春からもう1度頑張って資格を取って、立派な看護師を目指そうと思います。

大丈夫、家族3人仲良くやっています。これからも3人とも元気で過ごせるように、どうかずっと見守っていてください。

幸雄さんの長女の永都(ひさと)さんからのメッセージ

あの日の朝、いつものように父に田老駅まで送ってもらった。駅まで向かう車の中で、父は「今夜は買い物さ行ぐから、高校まで迎えさ行ぐっけぇ。連絡せぇよ」と約束し、「行ってきます!」とあいさつをして車を降りた。それが父と交わした最後の言葉。
祖父はいつものように玄関の外まで見送ってくれ、そのとき交わした「行ってきます!」の言葉が最後だった。あのときの祖父の笑顔は今でも浮かんでくる。
「なんで私のお父さんだったの・・・?」と父だけがあの場所で津波にのまれてしまったことを母に責めるように問い詰めてしまったこともあった。
私はその年の11月に大学の推薦入試を受験した。
入試の事前提出書に「あなたが誇りに思うもの」を書く欄があった。
私は迷わず「父と母に育ててもらったこと」と記した。
父は自らの命を犠牲にしてまで町民を守ったのである。
確かに、「なぜ父だったのか・・・?」と思ったこともあったが、今ではそんな父を誇りに思っている。
あの時高校2年だった私も大学2年となり、母のような看護師になりたいと思い、日々看護の勉強に励んでいる。
地元を離れ1人で上京し暮らしているが、つらいことや苦しいことがあると父と祖父の顔を思い浮かべながら「いつも見守っていてください」と願っている。
もし、今父と祖父に会うことができたら、私はきっと「ありがとう」と真っ先に伝えるだろう。
そしてこの写真のようにまた家族みんなで笑い合いたいと思っている。

山本幸雄さん、冨弥さんへのメッセージ・写真を募集しています。

写真一覧へ戻る