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三浦敏子さん(みうら・としこ/当時60歳)宮城県気仙沼市

職場から自宅に帰る途中に津波に遭い、避難した建物ごと流され、今も行方が分かりません。

震災から5年を迎えて

義理の姉の小山はつえさんより

義妹はいまだ行方不明です。

残された一人娘はしばらく放心状態でしたが、
やっと仕事についてがんばっています。

震災から3年を迎えて

義理の姉の小山はつえさん(63)より

敏子さんの遺体が見つからないので、実感がないのですが、震災の年の9月に葬儀をしました。

私達は少しずつ死を受け入れていますが、娘さんがまだ受け入れられないでいる様子がかわいそうです。

敏子さんは、娘さんをとてもかわいがって、何でもやってあげたり、時には厳しくしたりしながら、暮らしていました。

家は残ったので、そこに住んではいますが、多分、母のことを思い出して辛いのだろうと思います。
仕事も辞めて、友達のところに行ったり、旅行に行ったりしながら暮らしています。

私達も何もしてあげられませんが、ただ乗り越えてくれることを願うばかりです。

義理の姉の小山はつえさんからのメッセージ

敏子さん、本当にいろいろお世話になりましたね。
主人はよけいに、敏子さんがいないことが信じられない様子です。
見つかってくれればと思う所と、見つからなければ、どこかで生きているのではと望みをつないだり、ゆれています。
娘の愛ちゃんのこと、どんなにか心残りだったでしょう。
私達もかわいそうで、どんな声をかけても、むなしいだろうと思います。
でも、生きていかなくてはなりません。
どうぞ愛ちゃんを見守って下さい。
愛ちゃんがひろって、敏子さんが連れてきてくれた猫の“はな”は、
私達と一緒に逃げて、今、仮設で元気に暮らしています。
私達にとって何よりのなぐさめというか、支えです。
本当にありがとうございました。
ただただ、敏子さんに会えないことがくやしいです。
『息止めて 顔を洗へば義妹の 波にさらわる姿がうかびぬ』
去年、つくった歌です。悲しいけれど、生きている限り忘れません。

三浦敏子さんへのメッセージ・写真を募集しています。

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