あの日、そして明日へ

こころフォト

トップページ 写真一覧 こころフォトに寄せて 動画を見る

中村健二さん(なかむら・けんじ/当時78歳)宮城県仙台市

「自分の家を守りたい」と、地震で壊れた自宅に1人で残り、4日後に亡くなりました。

震災から5年を迎えて

娘の小番有貴子さんより

日々の忙しさに埋没し、日常に戻ったような気持ちになるこの頃ですが、やはり、ふいに思い出す事もあります。
涙が止まらないことも・・・

忘れて前に進まなくてはいけないのかもしれないとは思いますが、時間が止まったままのような気もします。
いつになったら、おだやかな気持ちで受けとめられるのだろう・・・受けとめたいと思うこの頃です。

あの日、10歳近く年をとってしまったように見えた母も、喜寿を迎えました。
もう少し、いっしょに父を偲んでいたいから、まだお迎えはいいからね、と伝えています。

震災から4年を迎えて

娘の小番有貴子さんより

父を亡くして半年後くらいから、友人の勧めで先祖供養を始めました。毎日、朝夕30分位、お経をあげています。
供養できている、という実感はありませんが、心、気持ちの安定にはなっていると感じます。

亡くなる前日、父は「こんな大変な地震じゃ、リハビリは無しになるかなぁ。でも迎えに来てくれたら嬉しいなぁ」と、月に2度のリハビリを楽しみにしていました。

行く前は、絶対に行かないと言い張っていたデイサービスでしたが、行き始めてからは、サービスの方々との会話・行動を楽しみに、どんどん生き生きしていっていました。
行き始めてすぐの、サービスの外出で撮った写真の笑顔。こんな表情、見たことがありませんでした。それが、こころフォトに送った写真です。いつもこの笑顔を見たくて、遺影にしました。
この笑顔には、生きている間できなかった話をたくさんできます。生きている間に、こんな風におだやかに話したかった。

町で父に似た感じの人を見かけると、ハッとして涙が出ます。失ったものが大きすぎて、もう4年も経ったとは、全く考えられません。心の痛みはなくなりません。
少しは私達の悲しみがうすらぐように、そう願いながら、日々、仏壇にお経をあげます。

娘の小番有貴子さんからのメッセージ

こんな事で家族の1人が突然欠けてしまうなんて、思ってもみない事でした。
今でも本当の事とは思えません。
怒りっぽく、わがままな父でしたが、失ってみると、やはり父がいたから家族のつながりがあり、安心して暮らしていたのだと思います。
今も生きていてくれたら、と願わない事はありません。
そしてあの震災がなかったら、きっともっと長生きしていたと思います。
もっともっと長くいっしょにいたかった、と思います。
送った写真と同じものが、小さな仏壇にも飾ってあります。
穏やかな表情を見ると、つい話しかけたくなり、日々の出来事などを話しています。父とケンカばかりしていた母も、朝夕、話しかけています。
父にはこれからも、家族の平和を見守ってほしいです。

中村健二さんへのメッセージ・写真を募集しています。

写真一覧へ戻る