すい臓がんで入院した直後に震災にあい、およそ1か月後に亡くなりました。
復興の遅れは感じていましたが、もう8年にもなるんですね。
私の住んでいる所も急激に家が建つようになり、復興を感じるようになりました。
来年は慰霊碑が立つようで、震災関連死に認定された私の妻も名前が刻まれるようです。
母も3月に96才で亡くなり、今は一人暮らしをしていますが、喪中が済んだら来年から新しい生き方を考えようと思っています。
本当に長い間ご支援ありがとうございました。
鵜住居復興住宅に転居することができ、これからの生活を楽しみにしていた矢先、
母が転倒して車いすの生活になりました。
93歳の高齢でもあり、周りの人の世話で施設にお世話になっています。
週に1度は顔を見せていますが、泣き顔を見ると私もいたたまれなくなり、家に帰って女房の位牌に手を合わせています。
復興は進んでいますが、ラグビーのワールドカップの結果を見ないと実感がわかない思いです。
岩手県立釜石病院で震災にあい、花巻総合病院に移されました。
そこで関わった多勢の方にご支援いただいたことを深く感謝しております。(後で震災関連死と認定される)
今はやっと仮設を出て、復興住宅で93歳になる母の介護に追われる毎日を送っています。
30年ほど前に父母の墓参りに行った愛媛県の伯方島の思い出、屋久島にのぼった時のことが思い出されます。
(「思い出の場所」についてお聞きしました。)
復興住宅入居が安定したことで社協さんのボランティアで引っ越しを手伝う話を聞き早速申し込みした結果、昨年12月16日に転居できました。
部屋も広く、高齢者に配慮した作りでプライバシ―が守られ感謝しています。
母は急な環境の変化で落ち着きがなく妄想に近い言動が見られますが、時間をかけて老老介護を続けていきたいと思います。
私のいる地域は、まだ盛り土が完了してなく、住宅を建てる状況になってません。
93歳になる母を介護しながら、デイサービスやショートステイを利用させてもらっています。
いつどうなってもおかしくない年なので、長時間家を留守にすることができません。
仮設を出て少しでも広いところで最後を看取ってやりたいと願ってます。
91歳の母を介護しているため、身動きがとれず、愛媛県出身の妻を供養するため、四国お遍路を約束したのに、まだ果たせていないことを申し訳なく思っています。
第一に、1日も早く仮設を出て、供養する心のゆとりができるよう毎日手を合わせています。