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板澤美彌子さん(いたざわ・みやこ/当時63歳)岩手県釜石市

すい臓がんで入院した直後に震災にあい、およそ1か月後に亡くなりました。

震災から8年を迎えて

夫の龍太郎さんより

復興の遅れは感じていましたが、もう8年にもなるんですね。
私の住んでいる所も急激に家が建つようになり、復興を感じるようになりました。
来年は慰霊碑が立つようで、震災関連死に認定された私の妻も名前が刻まれるようです。
母も3月に96才で亡くなり、今は一人暮らしをしていますが、喪中が済んだら来年から新しい生き方を考えようと思っています。
本当に長い間ご支援ありがとうございました。

震災から7年を迎えて

夫の龍太郎さんより

鵜住居復興住宅に転居することができ、これからの生活を楽しみにしていた矢先、
母が転倒して車いすの生活になりました。
93歳の高齢でもあり、周りの人の世話で施設にお世話になっています。
週に1度は顔を見せていますが、泣き顔を見ると私もいたたまれなくなり、家に帰って女房の位牌に手を合わせています。

復興は進んでいますが、ラグビーのワールドカップの結果を見ないと実感がわかない思いです。

震災から6年半を迎えて

夫の龍太郎さんより

岩手県立釜石病院で震災にあい、花巻総合病院に移されました。
そこで関わった多勢の方にご支援いただいたことを深く感謝しております。(後で震災関連死と認定される)
今はやっと仮設を出て、復興住宅で93歳になる母の介護に追われる毎日を送っています。
30年ほど前に父母の墓参りに行った愛媛県の伯方島の思い出、屋久島にのぼった時のことが思い出されます。
(「思い出の場所」についてお聞きしました。)

震災から6年を迎えて

夫の龍太郎さんより

復興住宅入居が安定したことで社協さんのボランティアで引っ越しを手伝う話を聞き早速申し込みした結果、昨年12月16日に転居できました。
部屋も広く、高齢者に配慮した作りでプライバシ―が守られ感謝しています。

母は急な環境の変化で落ち着きがなく妄想に近い言動が見られますが、時間をかけて老老介護を続けていきたいと思います。

震災から5年を迎えて

夫の龍太郎さんより

私のいる地域は、まだ盛り土が完了してなく、住宅を建てる状況になってません。

93歳になる母を介護しながら、デイサービスやショートステイを利用させてもらっています。
いつどうなってもおかしくない年なので、長時間家を留守にすることができません。

仮設を出て少しでも広いところで最後を看取ってやりたいと願ってます。

震災から4年を迎えて

夫の龍太郎さんより

91歳の母を介護しているため、身動きがとれず、愛媛県出身の妻を供養するため、四国お遍路を約束したのに、まだ果たせていないことを申し訳なく思っています。
第一に、1日も早く仮設を出て、供養する心のゆとりができるよう毎日手を合わせています。

夫の龍太郎さんからのメッセージ

3月11日、具合が悪いと訴え県立釜石病院を受診、緊急入院となるが、その日の午後大地震が発生し、小雪の降る中避難しました。
その後花巻総合病院に移され、2人だけの静かな時間を持ちました。
4月7日、洗髪してやると気持ちいいと笑顔を見せたのが最後の会話になりました。
8日午前、気配を感じ顔を見ると何か話しかけようとしている様子でしたが、容体が急変。1、2秒目を離した隙に最後の言葉を聞いてやれなかった事を悔やんでいます。
あの時おまえは俺に何を言いたかったのか。ありがとうなのか、さよならなのか、もう一度妻の声を聞きたいと毎日思います。
20年ほど前、盛岡の職場で知り合い結婚しました。妻は釜石の山河を愛しみ、春はこごみ、タラの芽から始まり、わらびと山菜採りを楽しみ、その後は海釣り、秋には栗拾いと好奇心旺盛で行動力のある人でした。
いつも側にいてほしいから、出かけるときはいつも車に写真を乗せています。
これからも思い出の道を2人で走って行こう。

板澤美彌子さんへのメッセージ・写真を募集しています。

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