ページの本文へ

かごしまWEB特集

  1. NHK鹿児島
  2. かごしまWEB特集
  3. 鹿児島城?鶴丸城? いつから呼び方が2つに?!

鹿児島城?鶴丸城? いつから呼び方が2つに?!

かごしま調査団が調べました!
  • 2023年07月11日

視聴者の皆さんから寄せられた身近な疑問などを調査する「かごしま調査団」。今回寄せられたのは、鹿児島城(鶴丸城)についてです。

子どものころは「鶴丸城」と呼んでいたのですが、最近の展示資料では「鹿児島城(鶴丸城)」と書かれています。なぜ「鶴丸城」ではなく「鹿児島城」なのでしょうか?

なぜ2つの名前が使われるようになったのか、調査すると意外な事実が明らかになりました。

鹿児島局記者 平田瑞季

 

何て呼んでる?鹿児島城?それとも鶴丸城?

鹿児島城と鶴丸城、どちらで呼んでいるのか、街の人たちに聞いてみました。

鶴丸城です!親がそう呼んでいるから、私も呼ぶようになりました。

自分は鶴丸城ですね。周りもみんな鶴丸城と呼んでいますね。

鶴丸城!鹿児島城とか聞いたことないですもん。

ほとんどの人が”鶴丸城”を選ぶなか”鹿児島城”を選んだ人もいました。

今は鹿児島城ですね。御楼門ができたころ資料を見ると鹿児島城と載っていて、鹿児島城と呼ぶようになりました。

 

9割が「鶴丸城」を選ぶ

鹿児島市の繁華街、天文館で行った調査では30人中28人、実に9割が鶴丸城を選びました。さらに、2020年に147年ぶりによみがえった御楼門の周辺を歩いてみると、石碑や道路の表示にも”鶴丸城”の文字がありました。

 

鶴丸高校のホームページ

「鶴丸」でおなじみ鹿児島市の”鶴丸”高校のホームページにも「鶴丸城に由来する」との文字。
 

しかし、国の資料では「鹿児島城」?

 

官報には「鹿児島城」の文字が・・

ところが、ことし3月、国の史跡に追加登録された際の官報には、”鹿児島城”と載っていました。

鶴丸城と鹿児島城、なぜ2つの名前が使われているのでしょうか。

教えてくれたのは鹿児島県歴史・美術センター黎明館の西野元勝さんです。国の史跡登録にも尽力したエキスパートです。

鹿児島県歴史・美術センター黎明館 西野元勝さん

正式名称は鹿児島城になります。いろいろな絵図にも”鹿児島城”と記録されていて、藩主のいる時の城が正式な名称となるため、”鹿児島城”が正式名称となります。

鹿児島城の歴史は江戸時代のころにさかのぼります。もともと、今の城山には「上山城」という城があったと言われています。江戸時代直前になると、城の敷地はふもとにも広がっていきました。その城が江戸時代のほとんどの資料で「鹿児島城」と記録されているのです。

 

なぜ、鶴丸城と呼ぶの?

ではなぜ、「鶴丸城」と呼ばれるようになったのでしょうか。実はよくわかっておらず、諸説あるといいます。

当時、鹿児島城は庶民の間で、藩主がいる場所を示す「御屋形」や「御城」と呼ばれていたと考えられています。時代が明治に変わり、藩主が鹿児島城からいなくなると呼び方が変わっていきました。

 

今の城山が、鶴が羽を広げた形に見えたことから、当時「鶴丸山」と呼ばれ、そのふもとにある城は「鶴丸城」と呼ばれたと考えられています。

「鹿児島城ト云フ」と書かれた明治時代の県の資料

実際、明治17年に書かれた県の行政資料では”鶴丸城”は”鹿児島城”ともいうと記載され、”鶴丸城”が”鹿児島城”よりも上に表記されています。

 

鹿児島県歴史・美術センター黎明館 西野元勝さん

藩の中では城は1つしかなかったため、当時はあえて鹿児島城と呼ばず、その名称自体を知らなかった可能性があります。それが、明治になって城を呼ぶときに背後の山の名前から「鶴丸城」となったではないかと考えられます。

 

昭和ではほとんど「鶴丸城」

 

昭和の鹿児島市史には「鶴丸城」の文字

そして、昭和に入って発行された「鹿児島市史」には「鶴丸城」とのみ書かれ、「鹿児島城」はありませんでした。

鹿児島県歴史・美術センター黎明館 西野元勝さん

今でいうインフルエンサーのような人が、当時の旅行記などで鶴丸城という言葉を書いていて、それがパンフレットなどにも載って、いつの間にか”鹿児島城”を”鶴丸城”というようになったと
考えられています。

鹿児島県民にとってなじみの深い”鶴丸城”という名前。実は、明治になって広まった比較的新しい名前だったということが調査でわかりました。
 

御楼門前の石碑と取材した平田記者

2つの名前をめぐって、西野さんにこんな話も聞きました。国の史跡に指定されたあと、県外から訪れた人に「鹿児島城はどこ?」と尋ねられた地元の人がわからず、黎明館に問い合わせがあったそうです。多くの人に親しまれている”鶴丸城”の名称ですが、この機会にぜひ”鹿児島城”という呼び名も覚えて欲しいと思いました。

  • 平田瑞季

    鹿児島放送局 記者

    平田瑞季

    2018年入局。
    事件事故担当・奄美を経て現在は原発やロケットなど科学技術のほか生き物を担当

ページトップに戻る