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知覧特攻平和会館 若手学芸員が新たな視点で展示に取り組む

  • 2023年07月07日

 

6月23日は太平洋戦争末期の沖縄戦で組織的な戦闘が終結したとされる「慰霊の日」です。沖縄戦では、沖縄県民の4人に1人が戦闘に巻き込まれて犠牲となった一方、鹿児島県の知覧などから出撃した多くの特攻隊員が戦死しました。その知覧にある特攻平和会館で、新たな視点での展示に取り組んでいる、若手の学芸員に思いを聞きました。 (鹿児島放送局記者 熊谷直哉)

羽場恵理子さんとは

羽場恵理子さん、28歳です。知覧特攻平和会館で17年ぶりとなる20代の学芸員で東京の大学で「飛行機と戦争の歴史」をテーマに研究していた羽場さん。3年前、大学の恩師のすすめで特攻平和会館にやってきました。資料の管理を担当しているほか、展示会も企画しています。

羽場恵理子さん

卒業論文と修士論文で扱った飛行機の一面である特攻に使われたということは、自分が論文を執筆する中で得てきた、深めてきた知識を生かせるような博物館施設なんじゃないかなと思って

展示に新しい視点を

羽場さんが、この3年間で企画した展示会は8回。

2年前には特攻によって沈んだアメリカの軍艦の資料をもとに、当時の詳しい状況を伝える企画展を開きました。アメリカの駆逐艦「エモンズ」が特攻の攻撃を受けて60人戦死したことや海底にある「エモンズ」の3D解析などで5つの飛行機から攻撃を受けていたことが判明したことなどが紹介されました。
特攻へ向かう直前の遺書などが展示の中心となってきた中で、新たな視点を模索してきたといいます。

羽場恵理子さん

今まで平和会館の企画展の歴史のなかで扱ってこなかったテーマを少しづつ探していって形にしていくというのは意識しています。

特攻隊員は自分と同じような若者

企画を練るため資料を読み込む中で、強く関心を持つようになったのが、日常生活をつづった特攻隊員たちの「手紙」でした。

かつては、いまの時代とはかけ離れた存在だと思っていた特攻隊員が手紙を読むことで自分と変わらないような若者だったと分かったのです。そして、同時に感じたのが、そうした若者の命が理不尽に奪われる戦争の現実でした。

羽場恵理子さん

特攻隊員は短い生涯になってしまいましたけど、彼らの人生の歩みを知れます。特攻隊員がいたというだけではなく、ひとりひとりの人生があったというのを知っていただきたいです

6月末まで特攻平和会館では、羽場さんが企画した士官学校同期の3人の隊長について伝える展示会が開かれていました。黒木國雄大尉と荒木春雄大尉、それに桂正大尉は陸軍士官学校の同期生で、当初、戦車などを扱う機甲兵として養成されていましたが、戦局が悪化する中、航空兵としての教育を受け、卒業後、特攻隊長に命じられ、昭和20年5月11日出撃して戦死しました。

のちに、特攻隊に配備されるとは知らず切磋琢磨した学生時代の卒業アルバムや、「温順で優しい」と慕われた女学生からの手紙も展示されました。3人の若き隊長たちの夢は、この知覧で絶たれたのです。
羽場さんは特攻隊員の手紙を若い世代に伝えるための工夫も続けています。そのひとつが、手紙に書かれた昔の漢字や文章を現代風にわかりやすく書き直し、パネルにした上で手紙に添えて展示することです。

知覧にやってきた3年前は、コロナ禍で来館者が少なかったそうですが、最近は修学旅行生に加えてクルーズ船の外国人観光客など、多くの人が来館するようになっています。
平和への思いを、手紙を読むたびに強くするという羽場さん。これからも、さまざまな視点から、多くの人に歴史を伝えていきたいと考えています。

羽場恵理子さん

2度と起こしてはいけないし忘れてはいけないというのは、すごく平和会館で働いていて感じるところではあります。私が出来ることは、その手紙や特攻隊員の人生をありのままにただしくお伝えするということで、そこから来館者のみなさまが特攻とはなんだったのかを考えられるように正しくきちんと伝えるということに努めています

取材を終えて

鹿児島に来てまもなく1年半となりますが、特攻についての取材はまだ十分にできていないと感じています。そうした中、知覧特攻平和会館の学芸員に同世代の羽場さんがいると知り、ぜひインタビューをしたいと考えました。
私は現在25歳ですが、当時自分よりも若い世代が無謀な作戦によって命を落としていったと考えると、言葉にならない思いです。特攻を風化させないためにも、私も特攻の歴史をさまざまな角度から伝えていきたいと思います。


 

  • 熊谷直哉

    NHK鹿児島放送局 記者

    熊谷直哉

    2020年入局 京都府出身 事件事故や経済を担当 首都圏局での営業部門を経て去年から鹿児島局記者。

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