本文へジャンプ

記憶を失いながら生きるとは、どういうことなのか

2012年11月27日(火)

11月29日(木)放送の「みつえとゆういち~親子で紡ぐ“認知症”漫画~」
の担当ディレクターです。


今回番組にご出演いただく長崎在住の漫画家・岡野雄一さんとの出会いは、
私が敬愛する名匠・森﨑東監督の撮影現場にお邪魔したのがきっかけです。

森﨑さんは、
『ロケーション』、『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』、
『ニワトリはハダシだ』などで知られる日本の喜劇映画の第一人者です。

社会の片隅で懸命に生きる人々を撮り続けてきた森﨑監督。
今年85歳になられた森﨑監督が、
もしかしたら監督人生最後になるかもしれないという作品を、
しかもご出身の長崎でお撮りになるとお聞きし駆けつけました。


その森﨑東監督作品の原作が、岡野さんが描いた
『ペコロスの母に会いに行く』という漫画だったのです。

mitsuetoyuichi_3.jpg
「ペコロスの母に会いに行く」岡野雄一 著、森崎東監督の約8年ぶりとなる新作映画


撮影現場で長崎弁の方言指導などをされていた岡野さん。
漫画の主人公「ゆういち」とは違って、目の前の「雄一」さんは、
これまで多くの苦労を積んでこられたような哀愁が漂っていました。

なぜこの方が、あんなユーモラスが漫画を描けるのだろうかと興味が沸き、
岡野さんにその場で取材を申し入れました。


岡野さんは、「『ペコロス』は介護漫画ではない!」と言い切ります。
確かに、作品では認知症や介護の様子が描かれてはいますが、
今まさに介護に悩みを抱えている人に役立つ“具体的”かつ“実践的”なノウハウは
記されていません。

『ペコロス』を読んだからといって、
明日から介護が楽になる!なんてことはないかもしれません。
なぜなら、岡野さんが作品を通じて見つめているのは、
その人をその人たらしめているはずの「記憶」について、だからです。
記憶を失いながら生きるとは、どういうことなのか――。
岡野さんは、漫画を描きながら、日々その難問と向き合っているのだと思います。


そんな岡野さんの漫画には、
「記憶を失うのは悪いことばかりではないのではないか」という
メッセージが込められています。

一方、岡野さんの漫画を原作に映画を撮ることになった森﨑監督は、
「記憶は愛だ!」とおっしゃいます。
もしかしたら森﨑監督は、
「記憶を失うのは悪いことばかりではない」などとは思っていないのではないか。

そんな疑問を岡野さんに投げかけると、
「きっと監督は『ペコロス』を使って、
漫画とはまったく別の表現がしたいのだと思う。
そして私はそんな監督が撮る映画を楽しみにしている」

とのお答えが返ってきました。
 

記憶を失いながら生きるとはどういうことなのか。
そもそも「記憶」とは何なのか。
取材を終えた今も、岡野さんの問いかけが頭の中をぐるぐると巡っています。

mitsuetoyuichi_2.jpg

コメント

31歳、5歳の息子がいる専業主婦です。
7年前より夫の実家で72歳の舅・65歳の姑の介護をしています。
二人とも認知症です。
私のことがわからなくなった姑に、口汚く罵られたり、叩かれたりすることもありました。
記憶を失くした姑にとって、私は「家にいる見知らぬ人間」でした。
辛かった……。
「辛いのは、介護ではなく、介護している自分が鬼になってしまうこと」という田口ランディさんの言葉、本当にその通りだと思います。
本来であれば優しくありたい…でも、繰り返される同内容の会話や失禁失便の世話にあけくれているうちに、優しさを失っていく自分。それが辛いのです。自分の闇との闘い。本当に本当に厳しい闘いです。

番組を拝見していて涙があふれました。
ツイッターで、NHK_PRさんが「ハートネットtvでとりあげられていることは、いつ自分の身に起きてもおかしくないこと」とおっしゃっていました。
これからも「当事者の目線」での番組づくりを期待します。

投稿:佳子 2012年12月06日(木曜日) 15時30分

先日、拝見しました。後半のインタビュー自分と重なりました。
なんとも言えなかったです。

投稿:フリーダム 2012年12月01日(土曜日) 17時04分

番組を拝見させていただきました。岡野さんとお母さんのやりとりが、自然体でとても優しい気持ちになりました。
我が家は3世代同居で、『介護×育児×仕事』同時進行中ですが、介護のプラス面もたくさん見えているので、番組にも共感する場面がたくさんありました。このような特集をしていただき、自身の介護を振り返ることができました。ありがとうございました。

投稿:しげる 2012年11月30日(金曜日) 21時27分

11月29日放送
「みつえとゆういち ―親子で紡ぐ“認知症”漫画―」 拝見しました。

込み上げるものを抑えきれず、目から鼻から
ぐしゃぐしゃになりながら...
(いい年したセンチメンタル恥ずかしいです)

映像が すばらしい
人間の美しさがダイレクトに響いてきました。
映像の流れこむままに、私の内から感情があふれ流れ
温もりに満ち浸りました。

私も、あの場面のように母に顔を近づけて目を見詰め合うことがあります。
頭に手を入れて治せるものなら治したい。
目の奥を通して 心に 脳に 海馬に 
問いかけるように お願いするように 互いの心の解放を
奇跡を広げるように...

私はまだ施設利用には抵抗がありますが、施設利用云々など理屈抜きに、
苦悩、愛情、相まみえる ふれあいの大切さに改めて共感いたしました。

番組を見た後、母を抱きしめました
ごめんね ごめんね 何の力も無いダメな自分 
私:今日は?
母:○○日○曜
私:よう出した。 しっかりやろう!
母:やるぞー!

ごめんね...


私は製作者様の まごころを信じます
そして、
希望への思いを握りしめて今日を生きています。

出演された皆さん、伝えていただいた皆さん、
その中で今を生きている皆さん

本当に ありがとうございます。

投稿:recovery 2012年11月30日(金曜日) 17時16分

みつえとゆういち ―親子で紡ぐ“認知症”漫画―

今日は、初めて番組を見ました。私も認知症の母を施設で見てもらっています。今年の2月まで母は、一人暮らしをしており、毎日見に行っていました。ディサービスや、ヘルパーさんに助けてもらい、なんとか今年の正月も実家で暮らすことができました。テレビを見ていて、涙がとまりませんでした。母は、私が来るのをとても楽しみに待っていてくれたり、帰る時は、私が見えなくなるまで見送ってくれたり、それはそれはとても寂しかったと思います。家で生活できなくなるのは私自身がさびしく、また、さみし思いをさせていることや、自分自身をないがしろにしている自分もいて、毎日、葛藤でした。母は、認知症になってから、怒らなくなり、根クラな性格も一変して、明るく過ごしています。施設では、いやなことを言う利用者の方もいますが、何食わぬ顔で過ごしているのを見ると、認知症になった母を尊敬すらします。父が小さいころ病気で亡くし、女手一つで育ててくれ、また、母の弟が長いこと患い、苦労続きだった母ですが、記憶を失って楽しく暮らせるのもいいものではないかと思います。私にとって介護経験は、良い経験をさせてくれていると思います。これからの事も不安ですが、いま、この時を母、自分が生きることを大切にしてきたいと思いました。ありがとうございました。

投稿:さるきち 2012年11月29日(木曜日) 22時17分