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【放送を終えて】僕にしか見えない"感動"を写す―写真家 齋藤陽道―

2015年02月12日(木)

ブレイクスルー
File.23 僕にしか見えない”感動”を写す―写真家 齋藤陽道―、の放送を終え、担当したディレクターに話を聞きました。


放送が終わって今どんな気持ちですか?
陽道(はるみち)さんのような人と出会うのは初めてでした。耳が聞こえる聞こえない関係なく、いい意味で。人のいろんな機微を見透かしているような。そんな人間力のある人でした。


放送を見ていて、陽道さんは静かに言葉を紡ぐ方だと思ったのですが、そのなかで印象的だったことはありますか?
ゲイの人の作品について、その写真を見て話していたときに、「これは男ですか?女ですか?」ってあえて聞いたら、「どっちでもいいんじゃない」って。聞いた私がステレオタイプな人間だとはねつけられた一言でした、筆談ですけど。あれはパンチが効いていましたね。


すごいですね、人をまっすぐ見ているというか。
いろんな“偏見”や、社会的な地位とか、お金持ちだろうが、障害があろうがなかろうが、そんなことも何も関係なく、ひとりの人間として人と向き合える人だなと思いました。
だから逆に自分のズルさとか、撮影で企んでいる計画とか、全部それを見透かされているようで怖かったですね。なので、こちらから何かを意図的に作っていくのではなく、彼の撮りたいように・・・私たちは彼の撮るものにたいしてちょっと離れてロケをしていました。基本的に誰とどこでどう撮るということだけ決めて、あとはついて行く。場を設定して、あとはなすがままについて行くという感じで。



深夜バスとかも一緒に乗っていましたね、あれは何人くらいで乗ったんですか?
音声さん、カメラさん、私、陽道さんの4人でした。
 

どうでしたか?
最初はみんなでビール買って「お疲れ」とか言っていたけど、これが陽道さんの仕事のやり方なんだなって。まあ予算的なことも当然あると思いますが、あえて時間をかけて会いに行くという、“相手に対して期待感とか想像とかを膨らませていく時間”なのかなと思いました。毎回バスだと本人はきついでしょうけどね。
あとロケ中にびっくりしたことがあって、新潟に行って、次の日にロケが決まったんですけど、いきなり「ごめんなさい金沢に行きます」ってドタキャンになったんですね。で「それは何で?」と聞いたら、「友達の親が亡くなったのでお葬式を撮りに行く、友達はあえて言わないけど、僕に来てほしそうなんです。だからごめんなさい、新潟から金沢に明日そのまま行きます」って。止められないんですよ、でもそれが“陽道さん”なんだなって思って。本当にカメラマン魂、自分が今撮るべきものはなにか、それを何が何でも最優先する信念があるな、と思いましたね。


陽道さんにとってすごく大切な友達だから、これは撮るものなんだとピンときたのもあるでしょうね。
そうでしょうね。あと果てない好奇心だと思うんですね、彼にとって。その現場に人間の何があるのだろうということを、多分とことん追求しているんじゃないかと思います。


このロケは一週間くらいとのことですが、そうとは思えないくらい濃く、不思議な世界でズッシリ感じました。
ありがとうございます。私が少なくとももう気づかなくなった“本当にきれいなもの”とか、はっとするものを、いつも陽道さんは気づく。多分稀な力があるんだと思います。だから枯れ草の中にも美しいと思えるし、月を空の穴だと言ったりするし、見る視線というか、“心の目”が“誰にも持っていない目”を持っているんだろうなって思います。美しいものも悲しいものも全て人以上に見つける。



今回の「ブレイクスルー」の中で一番伝えたかったことはどこですか?
一番伝えたかったのは、補聴器をつけても会話ができなくて、高校に入るまで孤立してしまった陽道さんが、カメラマンになって、ファインダーを通していったい“何を見た”のか、何を見つけたのかということを追究したかった。それと、彼は人が好きだから人とつながっていたい、人なしでは生きていけない自分というのを、彼のカメラを通して訴えている、ということですね。


「僕は孤独だ」と自覚された瞬間から、自分は何がほしいというのがわかったのでしょうね。
そうですよね、番組にもありましたけど、中学の時に漫画を読んで会話ってこういうものなんだ、僕は会話のピンポンなんてしたことがない、会話って一方通行で自分から発信するだけの事だった、って。そんなことってあるのかっていうくらいギャップがあったんですよね。陽道さんってそういう世界を生きてきたのだと思います。だからそういう人が何を撮るのだろうかというのはすごい興味がありました。
そして最後のVTRで、プロレスに勝っても負けても、傷だらけになっても一緒に戦った相手と肩を組めるのは、やっぱり彼は人が好きなんだな、と思います。



最後になりますが、次にやってみたい番組はありますか?
私はいつか自閉症の世界を描きたいとずっと思っているんですけど、いまだに作れていないです。自閉症の人だとスタジオに呼べない、じっとしていられない、場所が変わるとパニックになる。そういう彼らも“生きづらい”と思うけれど、彼らの特別な世界、特別な能力というものに、ぜひ近づいてみたいと思っています。すごく人間の可能性というか、普通に生きていて普通に生活している人には、全く想像できない“嬉しい”発見があるんじゃないかと。


今回の番組を通して“陽道さんの世界”が見ることができたと思うので、また“新しい世界”を見せていただきたいな、と思います。
(陽道さんのように)好奇心はやみませんので(笑)。

コメント

どこに出していいか迷いましたがここならたぶん大丈夫だと思ったので書かせて下さいブログをすべてやめるのはどうしたらいいですか?
私にはやッパリ無理です。心も体もつかれちゃいました。
こんなバカな私に友達になってくれた皆さん本当にありがとうございました。

投稿:ねこみみ 2015年05月20日(水曜日) 18時41分

私は心と体に二つの障害を持っています。たから陽道さんの優しさに
包まれた写真が大好きです。でも私は写真に撮られるのがまだ怖いんです。体の障害は隠せないけど心の障害は鍵をかけたままです。
人に話したらみんな逃げて行きそうで一人には慣れているけど本当は
一人なんて大嫌いです。だからいつも笑っています。
でも陽道さんを見ていたら自然と涙がこぼれました。胸が熱くなって
素直に泣けました。だからいつまでもその優しさと純粋な気持ちを
持っていてくださいね。そしてまた素敵な番組を見せてください。
待っています。ありがとうございました。

投稿:ねこみみ 2015年03月31日(火曜日) 10時50分

とてもおもしろく拝見しました。
写真もさることながら、氏本人の魅力的な人柄に興味をひかれました。

ただ、「耳がきこえないカメラマンが撮った写真」ということを知る前に、彼が撮った写真を見てみたかった。そのとき私は同じようにいい写真だなーと思えたかどうか。

私は、障がい者による作品を目の当たりにすると、自分の感性が試されているような気になります。本当に色眼鏡で見ていないか。

大事なのは、単純に作品そのものにグッとくるかどうか。
作者の背景などは本当はどうでもいい。

とはいえ、番組見ちゃってそれはもうかなわないので、九州で写真展とか開かれないかなーと思っています。

そのときはできるだけまっさら気持ちで鑑賞したいです。

投稿:ai 2015年03月30日(月曜日) 16時58分

放送を見た時、どうなるか気になって目を離せなくなりました。見終わったら泣いていて、なんでだろう?と考えました。
陽道さんの撮った写真を見て、生きてて良かったんだよ、と言っている気持ちを感じ、撮られた本人も、じっと見て、そう受け止めていたからかなと思いました。
漫画を見て、これまで会話をしてなかった、と気づいたところでは、私も傍目から見ると人見知りもせず話慣れしていると見られるけれど、どこかでもう一人の自分が、本当にこういうことを話したいのか、この人は何を考えてるの?と人との会話に自信が持てない不思議な感覚がずーっとあって。そんなことを思い出して、心にしみたのかな、と思いました。
陽道さんの写真をもっと見たいから、本屋さんに行ってみます。
実際に陽道さんに会ってみたいとも思いました。
このプログラムが見られて良かったです。

投稿:なおみ 2015年03月23日(月曜日) 20時53分

齋藤さんは、ひょうひょうとしていて、好奇心あふれ、地にしっかりと足の着いた、自由な方だと思いました。魅力的な方だなーと思いました。息子と拝見しましたが、息子も彼のファンになったようでした。あそこまで、孤独を味わう人はそんなにいないと思います。ひととひとが出会うことを知っておられる方。彼は本当のセラピストでもありますね。彼のこれからの進まれる道に幸あれ!わたしもやるぞー!と勇気をもらいました。ありがとう!

投稿:ケロ 2015年03月23日(月曜日) 20時43分