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【専門家インタビュー】澁谷智子さん「子どもが通訳するということ」

2015年02月10日(火)

1月29日放送(2月5日再放送)
WEB連動企画“チエノバ”―障害者の家族(1)誰にも言えなかった苦しみ―の取材の一環で、聞こえない親をもつ子ども・CODAについて研究する澁谷智子さん(成蹊大学 文学部 専任講師)にお話を伺いました。
 

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《澁谷智子(しぶや・ともこ)さんプロフィール》

成蹊大学文学部 専任講師
長年「ろう文化」「手話」「コーダ」について調査・研究を行う。


■自分の親はみんなの親と違う? 子どもが「親が聞こえないこと」を意識する時期
聞こえない親に育てられた子ども(コーダ)が、みんな“悩み”を抱えるかというと、それは人それぞれです。ですが、いつ頃から、こうしたことを意識するようになるかというと、私自身の感覚では、学校教育が始まってしばらくした頃ではないかと思っています。

幼稚園ぐらいまでは、子どもは、親が手話を使っていても違和感なく「そんなもんなのかな?」と思っていることが多いようですが、小学校に入った頃から、少しずつ“自我の意識”が出て来て、周りと自分の親を比べ始めるようです。


また、小学校では、国語など、言語を介した教科の学習にも重点が置かれるようになります。ろうの親は、スポーツや演劇、料理などを得意とする人が多く、それは子どもにとっても自慢ですが、一方で、日本語の音声を聞くことが難しいろうの親は、日本語の「文章力」に苦労することもあります。そのため、子どもは、「うちの親は勉強が得意ではないかもしれない」と感じることがあるのです。「得意ではない」という意味は、決して「頭が悪い」という意味ではありません。ただ、学校で学ぶ「日本語的な思考」や、「学校で求められるようなロジック」は、手話のロジックや視覚的なコミュニケーションと合わないところもあり、そのために、長い文章をまとめるのが苦手と感じるろう者はかなりいます。それは、手話と日本語の言語構造が異なることから来ている面もあります。



■「聞こえない親をもつ子ども」CODA(コーダ)ならではの辛さ
※Children of Deaf Adults・・・聞こえない親をもつ聴者の子ども。
コーダは、思春期の頃には、親に対してイライラすることが多いようです。私が研究を始めた頃は、それは「反抗期」の問題かと思っていましたが、最近は、おそらくそれだけではないと思うようになりました。思春期のコーダの子たちの悩みの中には、「親が聞こえる人とは違う立ち振る舞いをすることが恥ずかしい」とか、「親と思うように話ができない」といったものがあります。聞こえる人のやりとりの仕方と、聞こえない人のやりとりの仕方に違うところがあり、さらに、経てきた経験も違っているために、いわゆる“気持ちの襞”や“感情”を親にわかってもらえない、と感じてしまうのです。「親に言ってもどうせわからない」とコーダが思い込んでしまうと、それがコーダの気持ちの中で事実以上に膨らんでしまって、悩みを深めてしまうこともあります。こうしたコミュニケーションに関する悩みは、やはり、聞こえない親をもつ聞こえる子どもならではの悩みと言えます。



■親や自分は「変なのかもしれない」という恐れ
子どもが親をどう見るかは、ろうの親が自分にどれくらい自信を持てているかとも大きく関わってきます。自信というのは、おそらく、周囲との関係性や、受けてきた教育、持っている情報、知識、コミュニケーション力などによって、支えられているところがあるのだと思います。聞こえない人は、音声言語のやりとりの中では、自分は内容をつかめていないかもしれないと思って、引き気味になってしまうことがあります。一方で、聞こえる子どもに対して手話を使うことも、それで良いのだろうかと迷ってしまう面もあるようです。しかし、声でのやりとりでは、親は自分の言いたいことは言えても、相手の言ったことを充分に理解して、それに合った言葉を返すのは難しいことがあります。子どもは、そのような中で、「うちの親って自信なさげに見える」と思ったり、「トンチンカンな事を言っている」と感じたりすることがあり、思春期には、それが親への苛立ちとなって出ることがあるように思います。

また、コーダは、家の中で慣れている習慣が家の外の感覚と違うということに、戸惑いを覚えることもあるようです。たとえば、「相手の目をどれくらい見ていいのか」というのは、多くのコーダが直面する問題です。聞こえない親とのコミュニケーションに慣れているコーダは、どんな時も相手の目を見て話すのですが、それが、一般の人には、長くじっと目を見過ぎているように感じられてしまい、誤解を引き起こしてしまうことがあるからです。そのため、コーダの中には、逆に気にしすぎて全く目を合わせないようにしている人もいます。また、ろうの親とのやり取りに慣れているコーダは、ついストレートな言い方をしてしまい、それが、聞こえる人との会話で摩擦を起こしてしまうこともあります。

このように、思春期のコーダには、「“家での当たり前”が外では当たり前ではないんじゃないか」という不安が大きくあるように思います。ある程度の年齢になると、「私はこう育ったのだから仕方ない、それはそれでいい。」と思えるようになるのですが、10代の頃は、「普通」であることに敏感な年齢でもあります。でも、こうした不安は、友達にはわかってもらいにくいものですし、親にも言えることではありません。誰に相談していいかもわからず、コーダは人知れず悩むのです。

こうした思春期のコーダが一人で悩まないようにするためには、コーダが「自分だけじゃない」とわかるように、親が、小さい頃から年の近いコーダ同士の付き合いを作ってあげて、それを思春期まで維持してあげることが効果的だと思います。そうすれば、子どもは、「何で僕だけ」にならないで済みますし、そういうつながりを維持できれば、思春期のコーダも、「うちの親は他の親と違って恥ずかしい」と思うことが少なくなると思います。



■子どもが通訳するということ
コーダの中には、聞こえない親とまわりの大人との間で通訳をしたという経験を持っている人も多くいます。最近では、職業的な手話通訳者が増えてきたこともあり、子どもには通訳をさせないようにしている親もいるようですが、子どもに全く通訳をさせないのがいいかというと、そんなことはないと思います。通訳は、子どもが親のことを知る機会にもなっていると思うからです。

しかし、やはり注意しなくてはならないのは、「通訳の内容」と子どもの年齢が合っているかどうかです。たとえば、小学生の子どもがおばあちゃんへの電話で、「お正月、ママは何日に帰るって言ってる」と伝えるとか、そういうのは「あり」だと思います。また、ファミレスに家族でごはんを食べに行って、子どもが「僕がお店の人に注文する」という時とか。子どもが「スパゲッティ3つお願いします」のように頼んだりして、親が「ありがとう」と言えば、子どもは達成感を持つことができます。子どもにしてみれば、いわゆる「お手伝い」ですよね。自分が役に立って、それをこなせた!という感覚を持つことができます。こうした内容を二つの言語で表現すれば、それは、コーダの日本語力や手話の力を伸ばすことにもつながります。

でも、子どもがその年齢に合わない内容を通訳しなくてはならない時は、子どもに負担がかかります。たとえば、病院に行って、お医者さんの説明を子どもが通訳しなくてはならなくなる局面などです。お医者さんは、親に対して説明を細かく書くのは時間がかかるということもあり、子どもに「お母さんに伝えておいて」と気軽に言うのかもしれません。でも、子どもにとっては、病気への対処方法を子どもの語彙力と知識で親に伝えるのは難しいところがあります。親のほうも、子どもの言っている内容が果たして正しいのか不安になってしまいます。こうした通訳は、やはり、子どもにやらせていい種類の通訳ではないと思います。

さらに、コーダの「子どもとしての感情」を気遣うことも大切だと思います。つまり、子どもが親に敬意をはらえるようにするための配慮です。これは、コーダに限らず、少数言語を使う親子すべてに言えることのようですが、子どもが通訳をするということは、親の権威を損ねてしまうリスクを孕んでいます。なぜなら、情報を握って取捨選択するのが子どもになってしまうからです。「何を伝えて何を伝えない」とか、「どう判断する」とか、そういう部分を子どもが担うようになると、子どもは、親に対する敬意を持ちにくくなってしまいます。コーダの通訳に関しては、そういうことも踏まえて考えていくと良いと思います。


もう一つ、コーダの通訳について触れておきたいのは、子どもが複数いる家庭では、「通訳をよくする子」と「しない子」ができて、親との近さに関する格差が出てきてしまいがちになることです。よく言われるのは、特定の子がその家族の中で中心的な通訳役割を果たすようになり、親も他のきょうだいもその子に頼ってしまうという構造です。これが積み重なっていくと、通訳をあまりしなかった子は、親に対して、直接話したくても話せなくなってしまうことがあるようです。それは、通訳の技術や言語力だけでなく、「親と会話をしてきた長さ」や「親密感」にも関わってくる問題です。たとえば、自分が親に言ってもあまり伝わらなかったことを、お姉ちゃんが「この子はこういうふうに言ってて」と通訳すると、親はお姉ちゃんのほうを見て「なるほど」と大きく頷く。本当は自分の話なのに、それをお姉ちゃんが伝えることに口惜しさを感じたり、自分と親の間にいつもお姉ちゃんが入っているように感じたりしてしまうと語ってくれたコーダもいました。

実際、通訳を担う子が、家族の中でだんだん親の役割に近くなっていくこともあるみたいです。そして、家の中で、その役割が決まってしまうと、その子が就職で家を出ていなくなってしまうなど、よほどのことがない限り、変わらないようです。でも、もう一人のきょうだいは、急に親と向かい合っても、すぐにたくさん話せるわけではなく、親子の関係性はぎこちないままだったりします。逆に、通訳をずっとやってきた子が通訳をしていなかった子に対して、「面倒くさいことは全部こっち、弟はいつも甘やかされていてずるい」などと思っていることもあります。

このように、通訳役割によって、それぞれのコーダと親との関係の「近さ遠さ」ができてしまうことに、親はもっと敏感になった方がいいと思います。



■コーダは手話を身につけるのが当たり前か?
子どものコーダが手話を身につけるかどうかは、親が手話にどれだけ価値を置いているかが、大きく関わってくると思います。私が話を聞いたコーダの一人は、小さい頃は手話を単語レベルでは使っていたけれど、親が「この子は聞こえる子だし、日本語が上手になってほしい」と考えて、あえて声を出しながら手話をして、手話はあまり身につかなかったと語ってくれました。

実際、手話が圧倒的な少数派言語である社会において、コーダが手話を「自然に」身につけるのは、かなり難しいところがあります。最近の、特に都市部の若い親の中には、「子どもにきちんとした手話を伝えよう」という意識を持ち、「普段の生活の中で言語として手話を子どもに見せられるのは自分だけ」という自覚を持って、子どもに手話で話しかける親もいますが、全体を見ればこういった意識がない人の方が多いと思います。現実には、聞こえない人と聞こえる人が暮らす普段の生活では、言語は混ざっていることが多いです。お互い、「通じればいい」という感覚なので、手話が壊れていても、日本語の言い回しが多少変でも、いちいち直すことなく、会話が続いていきます。

日本語については、コーダは、いろんな日本語にふれ、いろんな人と話し、学校などでも授業を受ける中で、どんどんレベルが上がってきます。しかし、それに比べると、手話は、コーダが生活の中で接する相手が限られています。そうすると、やはり、親が家の中で手話を自覚的に使うということが大きな意味を持ってきます。親がどれだけ手話で話しかけ、どれだけ手話表現を見せていたか、そのインプットが大切なのです。親だけでなく親戚にも聞こえない人がいる家庭では、手話に接する機会はより多くあります。また、家にたくさんろう者が来るような家庭でも、子どもは親以外の手話を見る機会を持つことができます。さらに、コーダだけでなく聞こえない子もいる家庭では、家で使う言語が手話になりやすい状況が生まれますので、そうした手話環境においては、コーダも手話を身につけやすいと思います。

このように、多様な手話にどれだけ触れる機会があるか、子どもが1日何時間程度手話を見られるか、お母さん、お父さんが話してくれた手話がどういうものであるかによって、子どもが手話を身につけるかは変わってきます。子どもが、手話は魅力的で、これを覚えるともっと楽しいことがあるという予感を持てるということが、大切になってくると思います。



■共感してもらうことの大切さ
今回お話した内容は、あくまでも私が見聞きしてきた範囲のことに基づいていますので、コーダの中には、まったく違う経験や感じ方をしている方もおられるかもしれません。コーダやろう者も多様であることは、強調しておきたいと思います。ただ、現実として、コーダがストレスを感じやすい構造があるのも事実だと思います。こうしたストレスの一部は、聞こえる人と聞こえない人とのやりとりのズレの構造を理解している大人と話せば、かなりの程度、軽減されるものでもあります。ろう者の世界についてよく知っている聴者や先輩コーダと話して共感してもらったり、親とは関係ない自分の人間関係の中で出会ったろう者と話をしたりすることで、コーダは自分の体験してきたことの意味を掘り下げて考えられるようになります。より広い視野を持って、親は変ではない、自分も変ではない、と安心することは、思春期のコーダにとって、とても大切です。大人になっていくコーダが経験するこの時期の葛藤をうまくやり過ごせるように、そうしたつながりができていけばいいなと思います。

周囲の人には口にできない、ネットだからようやく言える…。本当のつらさを誰もわかってくれない…言えない…。押しつぶされそうな思いに、向き合いたいと思います。


WEB連動企画“チエノバ” Eテレ・夜8時生放送
「障害者の家族」
1/29(木) (1)誰にも言えなかった苦しみ
2/25(水) (2)バリバラコラボ!解決へのヒントを探る

コメント

私は両親がろう者のコーダです。独立して大分経ちますが、渋谷さんのお話はとても良くまとめられていて共感しました。幼い時から体験してきたことが言語化され、とてもスッキリしました。是非親との関係に悩んでいるコーダや子育て中のろう者の方々にも読んで頂きたいです。

投稿:匿名 2017年01月21日(土曜日) 22時03分