本文へジャンプ

『重いけど、大事なこと~「尊厳死を問う」舞台を見て~』

2013年01月24日(木)

こんにちは、「ハートネットTV」キャスターの山田です。
インフルエンザが流行しています。気をつけたいですね。
私もかかったら、あさイチの有働先輩のように、一時的にせよ番組“降板”ですので、それは何としても避けたいです(笑)。

さて、私、劇団四季の舞台「この生命(いのち)誰のもの」を見てきました。
「尊厳死は患者の権利か」という、生の自己決定を問う、重いテーマのストレートプレイです。
魂の入った一つ一つの言葉に圧倒され、終演後、席を立てませんでした・・・

inochi-1.jpg
公開舞台稽古でのワンシーン(写真提供:劇団四季)



舞台を見るのが好きな私。でも、こんな経験は、めったにありません。

ざっとストーリーを紹介すると、

「交通事故のため、首から下がまったく動かないという、ほぼ全身麻痺に近い状態にある青年彫刻家。話すことだけが可能な彼が出した結論は「尊厳ある死」。このたった1つの彼の望みは、弁護士や病院の医師たちを論議の渦へと巻き込み、裁判所に見立てられた病室の中で、各々の立場から主張が交わされる。そして彼の望みの深層を解明していくうちに、生きる上で人間が行いうる選択の自由や権利について、また、生と死、医療や法の倫理といった命題が浮かび上がってくる」
(劇団四季ホームページより一部改変)


患者は主観的に「死ぬ権利」を主張し、医師は客観的に「医の論理」で延命を説得

どちらも、もっともな考え方です。
その中で患者が、治療や世話をしてもらいながら

「そのひきつった愛想笑いが、その職業意識が『死にたい』という気持ちになるんだ」と叫びます。

「『もう、くたばってしまえ!』と言われる方が救われるんだよ」という言葉には、愕然としました。

もっと「人間」として対等に向き合いたい、ひいては“自分は人間だと認識したい、尊厳を持ちたい”という叫びではないかと思いました。
人間は、他人という鏡に自分を映し、自分を認識したいとする生き物ですから。


inochi-2.jpg
裁判所に見立てられた病室(写真提供:劇団四季)

対立関係の中で行われた裁判。判事が下した判決後の医師と患者とのやりとりは、涙なしに見られませんでした。医師が「医師」という仮面を置き、「一人の人間」として接したのです。その言葉には、患者を尊重し、受け止める“愛”がありました。

そうなんです、私たちは職業や家庭での立場などを“演じる”ときが多々あります。懸命にその役割を果たそうとします。私も、“アナウンサー”として、“父親”としての立場をまっとうしています。それはそれで大事なことです。でも、そこで自問自答も大事です。

「あなたの行動や発言に、あなたの血は流れていますか」。


今回あらためて、自分の“死生観”を考えるきっかけになりました。

12月の福マガで紹介した、映画「終の選択」も同様のテーマでした。
医療が飛躍的に進歩する中で自分の生の“着地”をどうしたいのか、普段なかなか考える機会がないですよね。結論が出ない、難しいから先送りしよう・・・。だから、きっかけがあったら、いや、きっかけを作って、そこで流さずに考える姿勢が大事かと思います。


私も、考えます。

 

コメント

※コメントはありません