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19のいのち

菊地原理枝さん(40歳)

菊地原理枝さん(40歳)

更新2023年07月 更新

母親

重い障害がある理枝を育てることが本当に大変だったことは事実です。ただ、苦労はたくさんしましたが、不幸ではありませんでした。理枝がニコニコして喜んでくれることが、私たちの幸せにもなっていたのだと思います。

理枝は、最後まで人生を全うはできませんでしたが、自分の人生をやりたいように生きたとは思っています。事件に対する思いはほとんどありません。ただ、理枝が今ここにいないことがショックなのです。

2歳のころの理枝さん
中等部のころの理枝さん プールが大好きだった
成人式にあわせ自宅の庭で撮影
理枝さん37歳 この少し前にやまゆり園に入所 一時帰宅した際に撮影

※2023年7月 母親が「忘れて欲しくない」と理枝さんの写真を寄せてくれ、サイトを更新しました。

更新2023年07月 更新

別の施設で理枝さんを担当した元職員

私にとって理枝さんは笑顔がかわいいアイドル的な存在でした。特に、休憩時間にコーヒーを用意すると、ニコニコして近寄ってきて、飲みたいという顔をしていたことをよく覚えています。逆に、何をするにも彼女のタイミングがあって、嫌なときは悲しい顔をしたり、ときには涙を流したりして、話すことができない分、自分の感情を行動で表現して伝えていたと思います。

理枝さんが事件で命を奪われたことは今も受け入れられません。理枝さんと共有した時間は本当に楽しかったですし、障害者が不幸を作る存在だという差別的な主張には強く違うと言いたいです。私が理枝さんの思いを汲み取ろうとするのと同じように、理枝さんも私がどんな人で、信頼して思いを伝えていい人なのだろうかと常に見ていたように思っています。意思を通わせるにはお互いの信頼が何よりも重要だということを、理枝さんは改めて自分に思い起こさせてくれる存在で、理枝さんのことを忘れてはいけないと思っています。

更新2021年07月 更新

法廷で代読された母親のことば

植松被告には死刑を求めます。障害者だからといって、命を奪うなど絶対に許されることではありません。娘は40歳でした。健康な娘はまだまだ生きて、楽しいことや、帰宅して両親・弟と一緒にゆったりした時間を過ごしたり、好きな揚げ物やピザ、手作りのプリン等を食べ、そして大好きなコーヒーを飲んだりして、笑顔を振りまいてくれたことでしょう。

娘の笑顔は周囲の人を幸せな気持ちにしてくれました。そして癒やしてもくれました。 生活面で全介助が必要だった娘は、たくさんの方々にお世話になりました。ご迷惑をかけたかもしれませんが、かわいがっていただきました。愛された子でした。

親の体力の衰えや死後の事を考え、娘が35歳のときにやまゆり園への入所申し込みをしました。何年先の事になるかと思っていましたが、37歳の時に入所できることになりました。お嫁に出すような気持ちで送り出しました。娘は毎月帰宅する時は、車が家の近くまで来るとニコニコして声を上げて笑い、喜んでいました。家に入るとまずコーヒーメーカーに向かいます。飲みたくて仕方ありません。まず飲んで、いつものお気に入りのソファーに座ります。家の中を確認するように動き、またソファーに戻ります。何気ないこんなことが娘にとっては喜びであり、私たち家族にとっても喜びでした。

今はそのささやかなこともできません。毎朝娘の写真にコーヒーを供えてあげることしかないのです。何か特別なことを望んでいた訳ではありません。穏やかな日々を過ごし、毎月元気に帰宅をして一緒に過ごし、長生きしてくれる事が普通のことだったはずです。突然の別れは未だに信じられない思いです。娘の笑顔に会いたい。

更新2020年03月 更新

法廷で読まれた母親の調書から

娘が突然殺されてショックです。娘は両手足の自由がきかず、成長とともに悪化していったので、全ての行為に人の助けが必要で、目的にあった行動ができませんでした。しかし、興味をもてば不自由ながら歩くことはでき、寝たきりではありませんでした。障害があっても、何があってもちゃんと育てていこうと、本当に大切に育ててきました。入所するまでの36年間、大変だったことも難しいこともありましたが、娘は人なつこくかわいい存在でした。できることなら自宅で生活をともにしたかったですが、私たち夫婦が引退する世代になってしまい、娘の手助けが出来なくなってしまいました。私たちが死んだ後のことなどを考えやまゆり園でお世話になることにしました。

事件当日はテレビのニュースを見て、園に電話をすると状況を確認中だと言われ大急ぎで車で向かいました。焦るばかりで何時間にも感じる長さでした。園は普段ののどかな風景と全く違い、救急車やパトカーが集まり、カメラを持ったマスコミやヘリコプターが詰めかけていて、他の世界で起きている出来事のように感じました。娘の部屋は目と鼻の先でしたが、娘の部屋の扉の前でも警察が鑑識作業をしていたので、娘に何かあったのかもしれないと思い、胸が締めつけられるような思いがしました。ホーム長を見つけて質問すると、ただ涙を流すだけで何も答えてくれませんでした。名簿の娘の名前の横に「×」印が書かれていましたが、最初は意味が理解できませんでした。検視が終わって娘に会えたのは午後5時ぐらいだったと思います。本当に苦しそうな痛みをこらえている様子でどれだけ無念だったか表情にあらわれていて、涙があふれました。

娘はやまゆり園に入って4年目ですが、一時帰宅は月に1度は必ずしていて、月に1度の一時帰宅ではお気に入りのソファーに座って離れようとしませんでした。意思疎通は難しい面がありましたが、家族の間には確かな絆がありました。私たちがいとおしく思っているのは通じていて、娘はまぎれもなくかけがえのない大切な家族でした。娘が自宅に戻ってきたときに苦痛の表情は少し和やかになっていて娘も喜んでいると感じて家族全員で泣きました。

7月8日から9日の最後の一時帰宅の時、大好きなピザや揚げ物を用意して食事しました。近くのカフェにも行き、小さい頃から知っている人たちにも会って喜んでいる様子でした。まさかこれが最後で娘に会えなくなるとは誰も思っていませんでした。そのときに娘が喜んでいる様子を写した写真があります。私たちはもう2度と娘の笑顔を見ることはできなくなりました。奪われた命がどのようなものか、家族が癒やされていた娘の笑顔がどのようなものか知って欲しい。被告に娘の笑顔を見せて悪魔のような行為を自覚させたい。
奪った命が写真にうつる娘のものだと伝えて欲しい。この日が本当に家族4人が過ごした最後のときでした。私たち夫婦でどちらかが死んだときに入るために買った、街が見下ろせる霊園にまさか娘が先に入ることになるとは思っていませんでした。被告には19人の命を理解して全員に心からの謝罪と、死をもって償うことを希望します。

更新2020年01月 更新

母親(事件直後のコメント)

非常に悲しいし、つらいです。まだ信じられません。今は娘の魂が安らかに眠って欲しいと願うばかりです。遺族としても、落ち着くまで静かにして欲しいと思います。ただ犯人を許すことは絶対にできません。

更新2017年01月 更新

施設関係者

あなたの笑顔に会いたくて、ホームを訪れる人もいました。毎日の食事をおいしそうに食べ、お散歩やドライブ、ひとつひとつを楽しみながら過ごしていました。

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