「違和感を感じる」?

公開:2024年1月1日

Q
「違和感を感じる」という言い方は、おかしいのでしょうか。
A
「どんな場合であろうと、おかしい」と考えるのは、やや行き過ぎであるように思います。調査の結果では、この言い方は「間違った言い方だとは思わない」という人が全体の3分の2程度を占めています。

この「違和感を感じる」が「おかしい」と言われることがあるのは、「感」という字が2回出てきている〔=重複表現〕からです。そのため、「違和感を覚える」「違和感を抱く」あるいは「違和を感じる」と言うべきだという意見があります。

ただし、「重複表現」に該当するという理由だけをもってすべて「おかしい」と考えるのは、必ずしもおだやかではありません。以前のこの欄でも取り上げたことがありますが、「歌を歌う・踊りを踊る・掛け声を掛ける・犯罪を犯す・たばこの火が引火する・○○賞を受賞する」や、「旅行に行く・相手の立場に立って考える・期待して待つ・前の車との車間距離・被害を(こうむ)」などは、「おかしい」と感じる人はそれほど多くないように思いますが、いかがでしょうか。

その一方で、「頭痛が痛い・馬から落馬する・日本に来日する・食事を食べる」などのように、おそらく多くの人が「おかしい」と感じるような重複表現もたくさんあります。

では、重複表現において、「おかしくない」と「おかしい」の「境目」は、いったいどこにあるのでしょうか。こうした語感は個人個人で異なるのであまりはっきりしたことは言えないのですが、一つの目安として、

ある『字』が重複して使われていたり、あるいは意味の上で相互に重なるところがある『語』が複数用いられていたりする場合に、その重複する部分のそれぞれが、ほんとうに『同じもの・同じこと』を指しているのかどうか

という観点があるのではないかと考えています。

たとえば、「旅行に行く」は確かに「行」という字が重複していますが、「旅行」という語における「行」の字に対して、聞いた瞬間、あるいは見た瞬間に「行く」という意味を毎回感じるか、ということを考えてみてください。「旅行」ということばの語源には「行く」の意味がおそらく含まれているものの、現代語で使う場面では、「行く」の意味をそれほど強くは意識しないのではないでしょうか。
また、「旅行に行く」ではなく「旅に行く」あるいは「旅行をする」と言うことももちろんできますが、それぞれの表現は、それぞれやや違うニュアンスを帯びているように感じます。つまり、「旅行に行く」としか表現しようのない場合も、あると考えます。

一方、たとえば「頭痛が痛い」は、「頭痛」の「痛」の字はまさしく「痛い」ということを表すもので、現代でもその意識は強いと思います。
また、これを「頭が痛い」あるいは「頭痛がする」と言いかえても、ほとんどニュアンスは変わらないのではないでしょうか。
そのため、「頭痛が痛い」は「重複表現」であり一般的には「おかしい」言い方だ、ということにつながるのだと思います。

なお、「筋肉痛が痛い」などは「頭痛が痛い」よりもやや受け入れられやすいように感じるのですが、それは、「筋肉が痛い」あるいは「筋肉痛がする」だと少々ニュアンスが変わってきてしまうからではないかと考えています(このあたりの考え方は、今後の課題です)。

さて、ここでやっと「違和感を感じる」ですが、「感」と「感じる」は、それぞれ国語辞典で次のように説明されています。

かん【感】㊀その〔もの・場〕の雰囲気から受ける、ある種の判断を伴った印象。「やや性急の感がある」「不徹底の感が否めない」「今昔の感を深くする」「安心感・満足感・無常感・解放感」 <以下略>

かん・じる[感じる]㊀〈なにヲ感じる/(なにヲ)なんだト感じる〉感覚器官を通して、暑さ・寒さ・痛さなどを知ったり 善悪・美醜などを判断したり する。「痛み(ショック・危険・疑問)を感じる」 <以下略>

(『新明解国語辞典(第8版)』)

この説明を土台に考えるとするならば、「ある印象〔=「感」〕」を「知る・判断する〔=感じる〕」わけですから、字として「感」が重複しているとは言っても、意味の上で重なる部分はそれほど大きくないものと考えられます。
ただしこの場合、「感」という字が重複していることに加えて、「かん」という読み方も同じ(重複している)なので、「おかしい」と感じる人も少なくないのだと思います。
それでも、たとえば「責任感を感じる」などだと、これは「責任を感じる」や「責任感を覚える」とはかなり違うニュアンスを受けるのではないでしょうか。

さて冒頭で記したとおり、この「違和感を感じる」は「間違った言い方だとは思わない」という人が、全体の3分の2程度を占めています。

このように、人によって感じ方が異なるグレーゾーン的な例であることを意識したうえで、場面によっては、「違和感を覚える」「違和感を抱く」のように言いかえたほうがよいときもあるでしょうし、その一方で、「違和感を感じる」という言い方をそれほど強く否定しなくてもよいのではないでしょうか。

ある言い方にそれこそ「違和感を感じる」人が、「自分ではそうは言わないようにする」ということと、「ほかの人のことばづかいをやさしく受けとめる」というのは、両立できることだと思うのです。今回はまじめなまま終わることができそうで、満足感を感じます。

注:「いま現在?」(2004.08.01)
https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/083.html

メディア研究部・用語 塩田雄大

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