発掘ニュース

No.226

2019.03.15

スポーツ

全日本テニス女子最年少優勝、雉子牟田明子さんから発掘!

今回の発掘提供者は全日本テニス選手権で、いまだ破られていない女子の最年少優勝の記録15歳4ヶ月を持つ雉子牟田明子(きじむた あきこ)さん!雉子牟田さんが13歳、中学1年生の頃に出演した『600こちら情報部』(1981年10月放送)を提供いただきました。

体育の日を前にスポーツシリーズとして、普段はスタジオで司会をつとめる鹿野浩四郎さんが中継でリポート!「女子若手テニス界のホープ、雉子牟田明子さんを追って、このような格好で神奈川に来ております。今日はこの場所からビッグ情報をお送りします。」

この日のメニューの紹介などが終わり、いよいよ『ビッグ情報』のコーナー…!

「今年の全日本ジュニア選手権で高校生選手を相手に見事シングルスで優勝。ヨーロッパや中国の遠征で武者修行を積んで世界に羽ばたく雉子牟田明子ちゃん。今日のビッグ情報はコレだ!」帯淳子さんの決めコールでコーナーがスタート。

鹿野さん「いつ頃からテニスを始めたのかな?」
雉子牟田さん「ラケットを持ったのは(小学)2年生くらいからで、真剣にはじめたのは3年生の秋ぐらいからです。」

雉子牟田さんがバックハンドだけでなく、フォアハンドの時も“両手打ち”であることに注目。
「始めたころは力がなかったので、そのまま両手打ちでやっていたんです。」
鹿野さん「(フォアとバックでは)手の持ち方を変えるんですよね?大丈夫なんですか?」
「よく皆さんから言われるんですが、慣れれば。」

雉子牟田さん、番組の10日ほど前には、史上最年少で全日本テニス選手権に出場していました。

1回戦の対戦相手は福岡加余子選手。全日本室内選手権ではダブルスで5連覇。ユニバーシアードでは沢松和子さんと組んで銀メダル、ウィンブルドンにも出場経験がある日本のトッププレーヤーです。雉子牟田さん、惜しくも敗れます。

「ファーストセットを5-1でリードして、ちょっと安心したのがいけなかったですね。本当に残念でした。」

残念ながら1回戦敗退でしたが、「本当にいい勉強になりました。頑張ってまた挑戦したいと思います。」と語る雉子牟田さん。その言葉通り、2年後の1983年58回大会で史上最年少優勝を果たします!15歳4か月というこの記録はいまだに破られていません。

中継現場には弟の剛さんと妹の直子さんも来ていて、どんなお姉さんかインタビュー。
剛さん「やさしいです。あと怖い。試合はときどきやって負けます。」
直子さん「やさしいけど少しだけ怖い。」
直子さんも明子さんと同じように、その後プロテニスプレーヤーとして活躍しました。

いつも私が怒ってるから…と笑う明子さん。学校の勉強は数学や音楽が好き。なんとかテニスと両立させようと思って、遠征の時などは友達にノートを借りて頑張っていますと話していました。

「楽しいです、テニスは。練習より試合の方が楽しいです。目標はキング夫人です。それとなんとかしてウィンブルドンに出られるように頑張りたいです。」

そして、現在の雉子牟田明子さんがこちら!

結婚して今は中島明子さん。番組出演のことやテニスのことなど色々とお話を聞かせてくれました!

Q 「600こちら情報部」のことは覚えてますか?
「覚えていますね。弟や妹も一緒に出させていただいて、2人ともお姉ちゃんが怖かったといって笑っていた。でも撮影の細かい所までは覚えていないですね。弟と妹が緊張していたくらいしか覚えていないです。」

Q テニスを始めたきっかけは、ご両親の影響?
「父は会社に入ってからテニスを始めて、でも横浜市民大会で優勝するくらいまでは上手くなりました。当時はテニスがすごく盛り上がっていた。皇太子さまがご結婚されてテニスブームの時かな。母は父に教えられて趣味でやるくらい。だから週末は家族皆でテニスをしたり。家族でダブルスが出来ればという感じでした。」

Q 13才でジュニアチャンピオン、15才で全日本チャンピオンというのはすごいですね!
「私は体が大きかったんです。6年生で今と同じくらい(162センチ)ありました。当時は同年代の男の子たちよりもアタマひとつ大きいくらい、でもそのあと伸びなかったのですけれど…。小学校の時はずっと一番後ろ。体格的に有利だったこともあったと思います。」

Q 運動が得意だったとか?
「全然!テニスしか出来ない。走るのも速くないしリレーの選手になったことも無い。長距離も大嫌いだし、トレーニングは本当に嫌いで…。だからなんでテニスが出来たのかわからない(笑)。」

Q 15才で全日本チャンピオンになったときの思い出は?
「この大会の直前にヨーロッパ遠征に行っていて、ヨーロッパってほとんどコートはアンツーカーなのですね。そこに2ヶ月くらい遠征していて、決勝コートと同じアンツーカーに慣れていたというのが一番大きかったですね。全日本選手権には海外でプレーされていた方も参加されていたのですが、毎日毎日、プレッシャーというものも無く、みんなお姉さまという感じでのびのびとプレーできたことを覚えています。」

Q 優勝して大きく変わったことは?
「大きく変わったということは無かったけれど、注目していただけたということに対して、ちょっと頑張らなければと。まあ、勝手に自分で自分にプレッシャーをかけているなという感じでした。でも今思うと、そんなこと考えなくても良かったのにと思います。」

Q この史上最年少での優勝はNHKでも放送されましたが、残念ながら映像の保存がありません。ご実家に残されている可能性というのは?
「試合当日、父は仕事があって来られず、母は来てくれて、弟と妹は家でテレビを見ていたんです。録画してくれたはずなのですが見つからないのですよ。どこかにあるはずなのですが…。ただ、わが家はそういうのを録っても、関係なくドラマとかを上からかぶせていたりしたので。この間も探したのですが、ちょっとなかったです。」

Q 最近は大坂なおみさんの活躍で女性テニスプレーヤーが大きく注目されていますね?
「自分がプレーヤーだった頃と今とでは、異次元のような気がする。体格もそうですし、とにかくパワーが。今の若い選手たちはすごい人ばかり、アタマの中を覗かせていただきたいなという感じです。どういう風にして、あのプレッシャーの中をやっているのでしょうか、大坂さんは。他の選手にもきっとすごく良い刺激になっていると思います。」

今は、専業主婦の明子さん、テニスのコーチなどもしていないそうです。お嬢さんが2人。下のお嬢さんは今、中1で、小4まで水泳をしていたのをやめてテニスを始めたとのこと。以前コーチをしていた時とは違って、自分の子を教えるとなるとつい感情的になって多くを望んでしまうのでうまくいかない、だからあまり口を出さないほうが良いなと思っているそうです。

Q 『600こちら情報部』を改めてご覧になっていかがでしたか?
「嬉しいやら恥ずかしいやら。でもすごく懐かしかった。娘たちにも映像を見せたら、ただただ笑っているだけでした(笑)

番組発掘プロジェクトから連絡があったのが、ちょうど実家の荷物の整理をしなければいけないと妹と話していた時でした。声をかけてもらわなかったら、提供したビデオテープはそのまま実家に置かれていてひょっとしたらもう捨てられていたかもしれません。本当に良かったです!」

中島(雉子牟田)明子さん、ビデオの提供そして貴重なお話ありがとうございました!

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