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デビュー20周年!平原綾香さんに聞く

NHK横浜「はま☆キラ!」 小郷知子アナウンサー
  • 2023年11月09日

アナウンサーやキャスターが企画・制作しているラジオ番組「はま☆キラ」。11月のゲストはデビュー20周年の平原綾香さん。かつて音楽番組の司会をしていた時、最も心に残ったアーティストで、ぜひゲストにお呼びしたいと思っていました。川崎市の大学在学中に発表した「Jupiter」。そのデビュー秘話から最新のアルバムまで、この20年をたっぷり伺いました。

アナウンサー小郷知子

平原綾香さんのデビューまで

東京出身の平原さん。父がサックス奏者の平原まことさん、祖父がトランペット奏者、
姉も音楽家という音楽一家。
父の影響を受けて13歳からサックスを始め、川崎市の洗足学園高校では音楽科でサックスを学びました。

保育園に通っている時から私は音楽を継いでいかなきゃいけないんだという使命感に燃えていました。本当に父の跡を継ぐんだと思っていたので、高校ではクラシック専攻でサックスを習って、大学ではジャズ科にいってサックスを勉強していました。サックスは吹くのがすごく楽しかったんです。

サックスプレイヤーを目指していたけど、歌の方は?

音楽を表現したいと思いながらも、とっても引っ込み思案だったので人前で歌うなんてもっての他で話すこともできませんでした。だから歌はその頃は特にやってはいなかったですね。でも何か歌うのが好きっていうのはありました。中学校の時も合唱の授業でみんなの中で歌うのが好きで、一人は無理だけど。おうちでこそこそ練習したりしていました。

歌手デビューのきっかけとなった文化祭

そんな平原さんのデビューのきっかけは高校時代にありました。文化祭でミュージカル「天使にラブソングを2」のリタ役を演じ、その時収録したビデオをレコード会社の社長が見て歌手デビューすることにつながりました。

高校の文化祭で姉の代に「天使にラブソングを2」をやろうという動きがあったんですけど、学校がクラシックだったので、最初はダメって言われていたんですよ。でも姉が友達と校長室まで行ってみんなで署名運動して切り開いてくれたんです。
そんな姉の姿を見ていた私もあんなふうに歌ってみたいなって憧れがあって、同じ作品をやることになった時にチャレンジして歌ったのがきっかけで、ちょっとデビューの扉が開いたわけなんです。

平原さんにとって、ここで歌に目覚めたという部分もありましたか?

それはありました。人前で初めてこうやって歌を歌った時に楽しかったんですね。
「私はサックスプレーヤーとしてやっていくけれども、歌という楽器でもやっていきたいんだ」ということを歌いながら思ったのは今でも覚えてます。
こっからはすごい長い道というかすごく大変な人生が始まるんですけど、この時の事は鮮明に覚えてますね。

「Jupiter」との出会い

高校卒業後も川崎市の洗足学園音楽大学でサックスを専攻。
在学中に「Jupiter」でデビューすることになります。

デビューが決まっても大学に通うのは続けさせてほしいと言いました。
やっぱりサックスも大事だったのでとにかく学校優先でお願いしたいっていうのは頼みました。その分辛かったですね。
学校と音楽活動、歌手活動を両立させていたので、ほとんど車の移動の中でしか睡眠がとれないみたいな状況になってしまいましたから、結構バタバタしていましたね。
デビュー曲を何にしようかって決めかねていた時に大学1年の1限目の授業で先生が偶然流してくれたのが「Jupiter」原曲であるホルストの「木星」だったんです。
この曲だ!ってビリビリってきて、この歌をぜひカバーさせてもらいたいって。
その時感じていた9.11への思いとか、アシュリー・ヘギちゃんというプロジェリアという難病を患った少女の思いっていうのをどうしても描きたくて。
このメロディーにぜひとも歌詞をつけさせてもらいたいって思ったのがきっかけだったので、あの時真面目に学校に通ってその1限目の授業に出ていなければ今はないなって。
そんなことがきっかけで「Jupiter」をデビュー曲にっていうのが決まったんです。

被災地の応援歌

デビュー翌年2004年に新潟県中越地震が発生しました。
被災者を勇気づける応援歌として新潟県内のラジオ局でリクエストが殺到しました。
その後2005年からは、長岡の花火大会で復興祈願花火・フェニックスを打ち上げる際のBGMとして「Jupiter」が流され、感動的な花火ショーとして今も続いています。

すごい励ましていただいてありがたいです。フェニックスでジュピターが流れているということもありがたいですし、新潟の方たちがジュピターに対してすごい熱い思いを持って下さってるっていうのもデビュー当時本当に勇気づけられました。
あの時はもう何が何だか分からなかったんですけど、何とか歌でみんなに元気を出してもらおうって思ってたけどどうする事もできなくて。でも歌がそうやって少しでも届いてるってことが私の勇気にもなったので、この思いを胸に皆さんの励ましを胸にデビュー当時からも何とか歌っていこうって思いました。
特に被害の大きかった当時の山古志村(現長岡市)にもお邪魔しました。
被害はたくさんあって傷ついた心がたくさんあったけど、それでも前を向いていこうという思いが私にもあったし、歌い慣れてない自分もテレビで必死に歌ってたんでしょうね、そういう姿を見てきっと、被害にあった方々も頑張ろうと思ってくれたのかなって今では思ってます。

2015年に「平原綾香ジュピター基金」を設立されました。「平原綾香ジュピター基金コンサート」を開催してその収益を支援金として寄付するという活動をしています。どうして始めようと?

新潟県中越地震でも感じた事ですけれども、東日本大震災が起きてやっぱりこれは自分からもちゃんと発信してそういう基金を立ち上げなきゃって思ったんですね。
今まではいろんな人たちにチャリティーコンサートがあるから出演しないか、というオファーを受けて参加させていただくことが多かったけど、自分も立ち上がらなきゃって思って2015年にみなさんの力を借りて立ち上げたんです。
自分発信でチャリティー活動ができるようになって、今子どもたちに焦点を当てて「頑張れ子どもたち」っていうタイトルのコンサートをできるだけ毎年行って、チャリティーコンサートをしています。

被災地で自分の言葉で伝える「今、風の中で」

新潟県中越地震を描いた映画「マリと子犬の物語」の主題歌で作詞を担当。

何回も山古志村をお邪魔していろいろ取材もさせて頂きました。
現地の事を見てから作詞する事ができたので良かったと思います。
すごくあったかくて熱くてとにかく傷ついた人たちにも励みになってもらえるような映画をというので、すごい私も感動しながら作詞をしていましたしね。
あの当時みんなで何ができるんだろうって頑張っていましたし、
歌であの時の事を忘れないように歌いつないでいくことも大事なんだと思いながら最近も歌っています。

12月でデビュー20周年!

ここまで歌ってこられて良かったです。
どんなときも一人じゃなかったなって思いましたね。
本当に大変な事の方が多かったですけど、スタッフや家族に感謝だし、やっぱり支えてくれたファンの人たちにも本当感謝だなって思いますね。

9月には20周年アニバーサリーアルバム「A-ya!」を発表。
どんなアルバム?

本当はベストアルバムを作るべきなのかなと思っていたんですけど、やっぱり前に進み続けるということ、成長をみんなに見てもらう事が感謝の証しになると思うので、自分らしくニューアルバムというのを作りました。
「からっぽのハート」という曲をアルバムの一番最後の曲として収録したんですけれども、父を失った思いとかいろんな思いを描きました。
父が病と闘いながらも弱音を一切吐かず最後まで自分の人生を生き抜いたという姿を見ていたので、それをこの曲にも投影しました。
平原まことというサックスプレーヤーの生きざまというのを描いているけれども、みんながすごく共感してくれて、実際にこの間の「うたコン」でもぜひ歌ってくださいって言ってもらえて、こうやってまさかみんなに聞いてもらえる曲になると思ってなかったので本当感謝の気持ちでいっぱいです。
私の個人的な思いですけれども皆さんそれぞれの思いで聞いてほしい曲です。

これから先は?

人の役に立ちたいですね。
歌というのは人の心を柔らかくしたりあったかくしたりする力があるというのを私もこの20年間で感じてきたので、どんなに世界が変わってどんなにデジタルの世界になっても、生声でみんなに声を聞いてもらうことっていうのは、すごく私も救われるし、きっと聴いてくださる人も何かスカッとすると思うんですよね。だから生きてる人間が頑張ってる姿、実際に何かを作業してる姿、人間の力って本当すごいなって思うので、これからも人間の力を信じて頑張りたいなって思うようになりました。
お母さんもお父さんも1人でも子連れでも楽しめるコンサートをしたいという目標もできましたし。世界中に歌を届けに行ってその国の言葉で歌う、語学を勉強するっていう夢もあります。まだまだ全然できてない事がたくさんあるからこそ夢がたくさんあります。

番組終了後のハグ

制作後記

いつお会いしても、優しく温かい平原さん。50分には収まりきらないくらい楽しくトークさせて頂きました。
お話を伺う中で平原さんの芯の部分に触れ、決して受け身ではない、ご自身がどうありたいかを明確にもっているところが“アーティスト平原綾香”の強み・魅力でもあると改めて感じました。
20年経ってもまだまだ夢があるとおっしゃる平原さんのますますのご活躍が楽しみです。

らじるらじるでは放送当日から1週間、横浜局HPでは番組を11月17日から2か月間配信します。平原さんの様々な楽曲や高校時代の貴重な歌声も聴けますよ♪

  • 小郷知子

    NHK横浜 アナウンサー

    小郷知子

    横浜局1年目
    前任地東京では音楽番組「うたコン」の司会を担当

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