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大磯港介護殺人 およそ40年介護の夫に懲役3年の実刑判決

  • 2023年07月19日

およそ40年介護を続けてきた79歳の妻を神奈川県大磯町の海に車いすごと突き落として殺害したとして殺人の罪に問われた82歳の夫に対し、横浜地方裁判所小田原支部は懲役3年の実刑判決を言い渡しました。判決の詳細をお伝えします。

介護の状況は

40年にわたる妻の介護について、裁判で82歳の被告自身がその状況を証言しました。

▼昭和57年ごろ
証言などによりますと、妻が脳梗塞で倒れて左半身不随になったのは昭和57年ごろだったということです。
当時、スーパーの従業員だった被告は1か月のうち10日間は出張で家を空けていて、妻が倒れたときも不在にしていたということでこの時、医者から「前兆があったはずで気付かなかったあなたが悪い」と言われたといいます。

被告
「『体が続くかぎり、1人で介護する』と決意した。その気持ちが揺らぐことはなかったし、今でも変わりない」

▼介護を理由に仕事を辞める
数年後、妻の介護を理由に仕事を辞め、融通がきくと考えてコンビニの経営を自ら始めました。
昼は経営するコンビニで働き、夜は介護をする生活を続けるものの、十数年後に経営が行き詰まりました。
この間、夫婦仲は悪くなかったということです。

被告
「遠慮もあったのだろうが不満や要望を言われたことはあまりなく、こちらが困ったことはない。介護が始まってからはケンカをしたこともない」

その後、生活費は被告の年金などで工面するようになりましたが、貯金できるときもあり、2人で、年に4回ほど、静岡県伊東市などに旅行していたといいます。
車いすのまま入浴できる施設に宿泊した際に妻がとても喜んだことも明かされました。

▼去年6月ごろ 
妻はデイサービスを利用したりケアマネージャーの支援も受けたりしていたということですが、去年6月ごろに転機が訪れます。
体の機能が急激に低下してそれまで1人でできていた車いすへの乗り降りが難しくなったということです。
被告の体力も落ち始めたこともあり、このころから被告は妻と無理心中することを考え始めるようになります。

被告
「去年8月ごろから、『2人で逝ったほうが息子たちにとっても楽かな』と考えるようになった」

裁判では去年10月に被告が妻の首を数秒ほど絞めたことが明かされました。

被告
「楽に死ねる1つの方法として確認のために首を絞めてみた。しかし、自分の力では首を絞めても殺せるわけではないとわかり、途中でやめた」

こうした事態を受けて、被告の長男は2人を別居させたほうがいいと考えました。
そして、ケアマネージャーをまじえて話し合った結果、長男が費用を負担して、施設に入所することが決まりました。
しかし、このことが被告に殺害を決意させるきっかけになったとみられています。

被告
「施設に入所することになると、費用などの面で息子に迷惑をかけることになる。事件の何週間も前から『2人で心中しよう』と考えていた。自分は頑固者で、人の意見を聞かない性格で、『誰にも迷惑をかけないで1人で面倒を見る』という意識があった。なぜ息子やケアマネージャーに本音をぶつけて相談しなかったのか」

懲役3年の実刑判決

7月18日、横浜地方裁判所小田原支部の木山暢郎裁判長は懲役3年の実刑判決を言い渡しました。
 

横浜地裁小田原支部

抵抗できない被害者をいきなり海に突き落とすという確実に死に至らしめる方法で殺害していて、殺意が強かったことは疑問の余地がない。他方、犯行の前日までは漠然と無理心中を考えていたにとどまり、その前夜にこの方法によることを決意し、犯行直前までためらう気持ちもあったことから、綿密で計画的な犯行であったとはいえない。

被害者は40年来の身体障害のほか、体力的な衰えはあったものの、寝たきりになるなどしていたわけではなく、認知機能にも問題はみられず、今後の施設での生活を前向きに捉え、知人や親族との交流を楽しみにしていた。これまで介護に対して不平不満を漏らしたこともなく、何ら落ち度がないにもかかわらず、よりによって信頼する夫に海に突き落とされ、「いやだ」とひと言発するのが精一杯で、それ以上の思いを表明するまもなく突然命を奪われ、その絶望感や無念さは計り知れない。

被告は「自分1人で介護しなければならない」という強いこだわりから介護施設に入所させることをためらい、自分自身で介護することができなくなることを一方的に悲観して、被害者の気持ちを聞くことすらせず、命を奪った。周囲のサポートを受けることができる状況においてあえて拒み、被害者の意向を無視して犯行に及んだ点で、典型的な介護疲れの事案と同視することはできない。

およそ40年間、子育てをしつつ、転職、自己破産などの苦難を経ながらも、周囲の手をほとんど借りずに献身的に介護し続けてきた。責任感が強く、真面目で几帳面な性格を物語っていて、このような生活を長年続けるなかで、被害者の面倒を見るのだという決意が強化され、強いこだわりとなっていったことはあながち理解できないことではない。介護が次第に困難になるという事態に直面して相当に動揺し、これまでの考えを容易に修正することができなかったことも想像に難くない。これらの点は動機・経緯の犯情評価にあたりそれなりに考慮されるべきである。

動機や経緯の身勝手さ、犯行態様の悪質性に照らすと、執行猶予が言い渡された事案とは一線を画すものだ。

判決の言い渡しのあと、木山裁判長は「最後まで『生きたい』という気持ちがあったはずだ。そのことを被告は改めて考えてきてほしい」と説諭しました。

 裁判員や補充裁判員が記者会見

今回の裁判は裁判員裁判で行われ、裁判員は判決を決める話し合いで述べた意見など評議の内容を明かすことは禁じられています。
判決のあと、裁判員や補充裁判員を務めた男性3人と女性1人のあわせて4人が守秘義務を守りながら記者会見に応じました。
 

50代男性

私の親は2人とも健在で今は介護には至っていないが、今後、介護が生じたとき自分はどこまで携わっていけるのかについて、近いうちに考えなければいけないと実感した

83歳の男性

自分と同じような年齢の被告の事件で、老老介護の問題は制度としてどうにかならなかったのかと感じた

30代男性

去年まで、私の母が祖母を介護していて、自分も実家に帰ったときには介護を手伝ったがかなり大変だった。今回の事件は周りの人に頼らずに起きてしまった面があるので、自分は周りの人に相談しながら介護を進めていきたいと考えるようになった

女性

介護の経験はないが、今回の裁判を通して、介護は社会のどこにでもある問題だと感じた。共助、公助の社会になることを望む

裁判を傍聴していた人は

82歳の被告と同じくらいの年齢の母親がいるという50代の女性は、「奥さんが前向きに生きようとしていて、息子さんなど周りから手を差し伸べられていたにもかかわらず、事件を起こした被告への判決には納得した」と話していました。

また、女性は「今回のような事件は自分にも、誰にでも起きうる。介護する立場や介護される立場になったときに独りよがりになったり、狭い中にいたりするのではなく周囲の人たちに『助けて欲しい』と発信することが大切だと思った」と話していました。 

専門家「介護を続ける家族へのサポートも必要」

今回の事件について、高齢者介護などの問題に詳しい東洋大学の高野龍昭教授に取材しました。

1人の命が奪われた以上、あってはならない事件だが、今回の事件の夫婦のように長年にわたって家族間の介護が続くと、介護をする側、される側と役割が固定化されてくる。そうした中では良くも悪くも、互いに依存し合う状況が生まれ、子どもなど他の親族や外部の支援が入ろうとするとむしろこれまでの生活が壊されるという感覚を抱く人も介護の現場では少なくない

(およそ40年という期間、実質的に1人で介護を続けた被告の状況について)計り知れない苦労があり、過酷だったと思われる。現在の高齢者介護の政策は、介護を必要としている本人に対する家事や外出の支援といった『目に見える介護』を中心に展開されている。しかしこれからは、介護を続けている家族に対しても、悩みを聞いたり介護の苦労を分かち合ったりといったサポートも、充実化させていく必要があるのではないか

  • 北村基

    横浜放送局 小田原支局記者

    北村基

    2017年入局。宇都宮局を経て、2022年8月から横浜局小田原支局。南関東の空気に馴染むべく、目下、歴史を勉強中です。

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