100年前の関東大震災で被災した横浜市内の様子を撮影した、写真のネガにあたるガラスの板=ガラス乾板、あわせて39枚が新たに見つかりました。
同じ場所の被災前の風景を写した写真もあわせて見つかり、研究者は被害の詳細が分かる貴重な資料だとしています。
新たに発見されたのは、関東大震災で大きな被害を受けた横浜市内の写真の「ガラス乾板」あわせて39枚と、被災前の横浜市内を写した写真を含むアルバム1点です。
当時、横浜市電気局の職員だった中野春之助さんの子孫から6月、横浜都市発展記念館に寄贈されました。
このうち震災直後の当時の横浜駅のホームを撮影したガラス乾板からは、涙をためている駅員の表情までが詳細に分かります。
同じ場所を写した、震災前後の写真やガラス乾板も見つかりました。
▼横浜駅前
上の写真は震災前の横浜駅前の様子です。
道路脇に建物が並び、女性が日傘を差して歩く様子が見られます。
被災後は、ほとんどの建物が崩れてがれきになりました。
路面電車が骨組みだけ残して焼け落ちていて被害の甚大さがよく分かります。
▼桜木町駅前
上の写真は震災前の、当時の桜木町駅前です。
通りを行き交う自転車や、路面電車を待つ女性など日常生活が見られます。
震災後には、駅が骨組みを残して焼け落ち、傾いた電柱や道路脇のがれきなどが写っています。
▼馬車道交差点
路面電車が交差する「馬車道交差点」では、震災前には、スイカが並べられた店舗などが写っています。
震災後にはほとんどの建物が焼け落ちてしまい、がれきの山が延々と続く様子をとらえています。
横浜都市発展記念館の吉田律人主任調査研究員
割れやすいガラス乾板が100年もたって見つかり、非常に貴重です。関東大震災で“最大の被災地”だった横浜を思い起こしてもらえたら。
ガラス乾板などは、8月26日から横浜開港資料館で展示されます。