1923年9月1日に起きた関東大震災から今年で100年。
その震源域は神奈川県西部から相模湾、房総半島の先端部にかけて広範囲にわたり、横浜では26,000人を超える死者・行方不明者を出しました。
今でも横浜市内には、その爪痕や歴史を感じる事ができる場所が、数多く残っています。
今回は横浜開港資料館・副館長の青木 祐介さんに、いくつかご紹介をいただきます。
こちらの赤レンガの建造物は、元町公園内にある関東大震災前の外国人住宅の遺構です。
震災当時はマクガワン夫妻の住居として、明治末期から大正にかけて建てられたといわれています。
1984年、公園を整備した際に発見され、観覧しやすいように見学デッキが設けられました。
本遺跡は、煉瓦壁体が鉄棒によって補強されており、耐震上の配慮がなされていましたが、床部のせりあがりや壁体の亀裂が随所にみられ、関東大震災による被害状況を物語っています。
現在、地下室部分を残すだけですが、浄化槽をも備え、古き良き横浜の居留外国人の華やかな暮らしぶりをうかがい知る事ができます。
現地掲示版より、一部抜粋
震災前までは多くの外国人が居住していた山手居留地ですが、震災後、この地を離れ、横浜に戻ってくる外国人は少なかったようです。
震災復興を目的として、以前のように多くの外国人を招致するために作られた建物としては、ホテル・ニューグランドが最も有名ですが、その他にも、この山手234番館のような外国人用の共同住宅(アパートメント)も作られました。
館内には当時の面影や、暮らしぶりを感じることのできる家財道具も展示しています。
また、月に一度のペースで、蓄音器を使用したコンサートを無料で開催しています。
詳しくは、山手234番館公式HPをご覧ください。
関東大震災が起きる前、ここにあったのは公園ではありません。
ここから前田橋方面に真っすぐ降りて行くことができる“元町百段“という長く急勾配な階段がありました。
こちらは、公園入口にある当時の写真とほぼ同じ場所から見た、現在の風景です。
関東大震災では、階段はおろか崖自体が崩壊した為、今日では大きく様変わりしており、残念ながら、その痕跡を見ることはできません。
もし、現在まで残っていたとしたら、元町百段という階段自体が有名な観光スポットになっていたかもしれませんね。
1914年に建築された煉瓦造り3階建ての税関事務所ですが、関東大震災により焼失した建物の基礎部分が、赤レンガパーク整備工事の際に出土しました。
現在は、沈床花壇として整備されています。
ここにあった”二代目横浜駅”は、1915年8月に竣工されたものの、そのわずか8年後に起きた関東大震災で焼失しました。
ゆえに、『幻の駅』と言われることもあります。
今回、NHKのアーカイブスから400枚をこえる関東大震災当時の写真が見つかりました。
1960年頃から全国の視聴者から少しずつ寄せられたもので、写真・ネガ、アルバムなど、中には「遺品の中にあったものですが、社会の役に立ててほしい」と提供されたものもありました。
どれも巨大災害の貴重な記録です。
NHKアーカイブス(HPはこちら)では、写真が撮影された場所の特定作業を進め順次、公開しています。
大地震はいつ起こってもおかしくありません。
当時の被害の状況を知り、体感することで、災害への備えを考えるきっかけにしてはいかがでしょうか。