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横浜市 山下公園の下には何が埋まっている? 関東大震災100年

  • 2023年06月15日

みなとみらいや、赤レンガ倉庫、そして、行き交う船などを一望でき、観光の中心地となっている横浜の山下公園。
実は、もともとこの場所は「」でした。
100年前のある出来事をきっかけに埋め立てをして作られたこの公園。
当時の写真から詳しい経緯が分かってきました。

公園から海をよく見てみると・・・

横浜市中区にある山下公園。
観光客に加え、ジョギングやデートなどを楽しむ多くの人で賑わっています。

横浜都市発展記念館 吉田律人 主任調査研究員

横浜都市発展記念館の主任調査研究員、吉田律人さんです。
長年、写真資料などから神奈川県内の災害の歴史などを研究しています。
6月のある日、山下公園を案内してもらいました。

吉田
研究員

海を眺めるときに、足元の波打ち際に注目して下さい。
海の底をよく見てみて下さい。

海の底には赤いレンガや石材が

海をのぞき込みんでみると、赤褐色のレンガが散らばっていたり、大きな石材が沈んでいるのが分かります。
場所によっては、ハッキリと模様が入った石材が沈んでいるのを見ることができました。

吉田
研究員

これは、建物のがれきだと思われます。
実は、山下公園は100年前の関東大震災で出た大量のがれきを埋め立てて作られています。
近年も、次々と当時の写真が見つかっていて、被害の詳細も分かっているんですよ。

震災前は市民の憩う海岸

100年前に埋め立てて作られた山下公園。
震災が起きる前に撮られて絵はがきとなった写真を見せてもらいました。

潮干狩りをする様子(所蔵:横浜開港資料館)

写真には潮干狩りを楽しむ子どもや大人の様子が写っています。
震災前は、山下公園のあるあたりは海岸となっていました。
写真からは100年前も、この場所が市民の憩いの場になっていたのが分かります。

神奈川を地震が襲う

1923年9月1日。その人々の暮らしが一変します。
神奈川県内の広い範囲を関東大震災の揺れが襲いました。
横浜市内では2万6000人以上が死亡。
およそ3万5000棟の建物が倒壊したり、焼けたりしました。

伊勢佐木町の周辺(所蔵:横浜開港資料館)
吉田
研究員

伊勢佐木町には日本人が多く住んでいて、木造家屋が立ち並んでいました。
そのため、この地域で出たがれきの多くは、瓦やトタン、焼け残った木材などでした。この地域では、被災からまもなく仮設の建物が建っていきます。
広範囲で地盤が沈下したこともあり、がれきはそのかさ上げに使われました。横浜市内の広い地域で、今も地中には当時のがれきが埋まっています。

外国人居住地に大きながれきが

県内の広い範囲で大きな被害が出る中で、特徴が他の地域と異なる場所がありました。
それは、外国人が多く住んでいた山下町です。

山下町の外国商館 所蔵:横浜開港資料館

被災した外国商館の様子です。
使われていたレンガや石材が、大きながれきになっているのが分かります。
重機もなく、手作業で撤去しなければならなかった当時は、こうした大きく、重いがれきの処理が課題になり、復興も伊勢佐木町と比べると大きく遅れました。

吉田
研究員

復興のためにまず始まるのが、がれきの処理です。
この山下町のがれきを撤去しないと、横浜の復興は始まらないのですが、当時の写真を比較しても困難を極めたことが分かります。
山下町のがれきも、手作業で細かく砕いて元の土地のかさ上げに使われましたが、それだけでは処理できない量でした。

近くの海岸に埋め立て

遠くに運ぶことができないがれきをどうするのか。
目を付けたのが近くの海岸でした。
市民の憩いの場となっていましたが、埋め立てるしかなかったのです。

トロッコを使って作業(所蔵:横浜市史資料室)

埋め立て中の写真には、トロッコで運んだがれきをおろしている様子が写っています。
海岸までレールを敷いて、手押しで運び入れました。
公園が完成したのは1930年。震災から7年後のことでした。

完成直後の山下公園(所蔵:横浜都市発展記念館)
吉田
研究員

100年前に、いろんな苦労をしながら復興していく中で、今の山下町の海岸線を埋め立てるということは、重要な決断だったのではないかと思います。
崩れたがれきの上に公園ができているということが、多くの人に知っていただきたいですし、関東大震災の痕跡が今も残っているということが、減災とか防災を考える1つのきっかけになるのかなと思います。

震災写真 今後の復興計画に重要

写真を通して明らかになる過去の災害での被害状況。
こうした震災の写真は、今後の復興にとっても重要だと話す人もいます。
仙台河川国道事務所の日野口厳さんです。

仙台河川国道事務所 日野口厳さん

東日本大震災で地震と津波による大きな被害を受けた仙台市。
日野口さんは、津波から地域を守るための海岸堤防を作る計画に携わっていました。

仙台市若林区の堤防

広い地域で復興のための工事が行われる中で、課題となったのが盛り土のための資材の確保でした。
また、同時に問題となったのが、大量に発生した震災のがれきの処理です。
こうした中で、この堤防の建設には大量のがれきが活用されることになりました。
がれきを分別した上で、コンクリートと混ぜて盛り土にし、29キロに及ぶ堤防を作りました。

堤防工事の様子

日野口さんは、がれき処理の詳細が分かる写真は、災害に備えてあらかじめ復興計画を立てる際にも重要だといいます。

日野口
さん

がれきの成分に応じて、分別する種類をどれぐらいにすべきかが決まり、作業のスペースというのが大分変わってくると思います。
こういった過去の災害の写真資料があると、あらかじめ計画しやすいと思います。
被災前に事前の復興計画などをこれから考える自治体の方々にとって、役立つ情報源じゃないかと考えています。

~取材後記~

近年相次いで発生している自然災害でも、がれきの撤去は課題となっています。
100年前の関東大震災での山下公園の造成は、がれき処理の先駆けだったのだと取材を通して感じました。
過去の災害の教訓をどのように未来に繋いでいくか。今後も取材をしていきたいと思います。

  • 齋藤怜

    横浜放送局 記者

    齋藤怜

    2016年入局。初任地の水戸局では災害・原発担当。 2021年11月からは横浜局で県警担当。

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