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らんまん 牧野富太郎がみつめた植物

植物標本が語るもの 横須賀市自然・人文博物館
  • 2023年04月24日

現在、放送中の連続テレビ小説「らんまん」。
神木隆之介さんが演じる主人公・槙野万太郎のモデルとなった、牧野富太郎博士に関する企画展示会「牧野富太郎がみつめた植物 -植物標本が語るもの-」が横須賀市自然・人文博物館で開催されています。

牧野富太郎博士とは

牧野 富太郎 博士(1862-1957)

日本が世界に誇る植物学者・牧野富太郎博士は『日本の植物学の父』といわれ、94年の生涯を通じて植物分類学の研究に打ち込み、新種や新品種など、あわせて1,500種類以上の植物を命名しています。
また、膨大な数の標本資料を収集し、後世に残した蔵書は45,000冊といわれています。
牧野博士は日本全国で採集調査を行いましたが、三浦半島をはじめ神奈川県内でも広く植物を採集・調査した記録があります。

牧野博士が採集した標本と直筆の原稿

博物館3階の特別展示室
植物担当
山本
学芸員

これらは全て、牧野博士が実際に採集した植物標本です。
(写真左)ハマヒルガオは1901年5月に平塚市平塚で、
(〃中央)クジャクシダは1905年10月に横浜市白根で、
(〃左)イワダレソウは1909年9月に鎌倉市七里ガ浜で採集されました。
企画展では、牧野博士が実際に採集した植物標本や初公開となる本人直筆の手紙や原稿など、140点以上を展示しています。

牧野博士が実際に神奈川県内で採集した場所
山本
学芸員

牧野博士が採集した標本数は、40万点以上といわれています。
それらの中で、この企画展示会では主に神奈川県内で採集したものを展示しています。
県内では、特に逗子市の神武寺、江の島、箱根あたりで多くの標本が採集されました。

写真左 オオバツルグミ/葉山町にて1916年11月採集
〃右 キレハノオトコヨモギ/横浜市にて採集日・不明
山本
学芸員

標本内にあるメモも、牧野博士の直筆によるものです。
こちらは東京都立大学牧野標本館・所蔵のタイプ標本(画像)を展示させていただきました。

直筆の原稿も展示されています

こちらは牧野博士により、1943年頃に初版発行されたとされている「植物記」の原稿です。
とても丁寧に、綺麗な文字で書かれています。

牧野博士と交流のあった大谷 茂学芸員

植物担当
山本
学芸員

牧野博士は、全国の植物愛好家との交流や指導を積極的に行っていました。
当館の初代植物担当学芸員、大谷 茂もその一人です。
お会いしたことがありませんが、私からみれば大先輩でもあります。
展示会では牧野博士から、大谷学芸員に宛てた手紙も展示しています。

牧野博士から大谷学芸員へ宛てた手紙10通以上を展示
昭和15年5月24日付の手紙

尊書を恭しく拝見いたしました。其后御変わりなく益御清適之段大慶に存じます。
~ 一部省略 ~
池上本門寺のホソバイヌワラビは面白く存じます。最早これが此羊歯の北限ではないかと存じます。
横須賀山地のウラジロも珍しいと存じます。
其内御目にかかる事を楽しんでゐます。此頃は時節が好いので何処へでも出ていきたくて仕方がありません。箱根なども今頃は大変によいと思ひます。
~ 一部省略 ~
御自愛を祈ります。 牧野富太郎
大谷賢台 机下

植物学に対する心得 赭鞭一撻(しゃべんいったつ)

赭鞭一撻(しゃべんいったつ)は、明治14~15年頃、牧野博士が植物学を志すための心得を書き記したもので、その内容から博士の青年時代の強い思いがうかがえます。

赭鞭一撻(しゃべんいったつ)

一 忍耐を要す
二 精密を要す 
三 草木の博覧を要す
四 書籍の博覧を要す
五 植学に関係する学科は皆学ぶを要す
六 洋書を講ずるを要す
七 当(まさ)に画図を引くを学ぶべし
八 宜く師を要すべし
九 吝(りん)財者は植学者たるを得ず
十 跋渉(ばっしょう)の労を厭う勿れ
十一 植物園を有するを要す
十二 博く交を同志に結ぶ可(べ)し
十三 邇言(じげん)を察するを要す
十四 書を家とせずして友とすべし
十五 造物主あるを信ずる毋(なか)れ

山本
学芸員

今回、展示している直筆の手紙や書物、教訓でもある赭鞭一撻(しゃべんいったつ)などから、牧野博富太郎博士のとても思慮深い人柄を感じ取っていただけると思います。
牧野博士はもちろん、大谷学芸員の足元にも及びませんが、おふたりの植物に対する研究心等は、微力ながらも受け継いでいければと思っています。
ちなみに牧野博士の誕生日である、4月24日は植物学の日として制定されているんですよ。

神奈川県内で一番歴史ある公立博物館

横須賀市自然・人文博物館の歴史は古く、博物館法が公布された1951年からわずか3年後、1954年に開館しました。
神奈川県内では最初にできた公立の博物館であり、来年(2024年)70周年を迎えます。

横須賀はナウマンゾウ発見の地!
1867年、横須賀市内で見つかった下あごの化石を基に復元
博物館
運営課
北山課長

横須賀製鉄所(現:米軍横須賀基地)の建設時に、世界で初めてナウマンゾウの化石が見つかりました
また、この横須賀市自然・人文博物館は神奈川県内ではもちろん、日本有数の歴史を持つ公立博物館といっても過言ではありません。

三浦半島に人が住みついた頃(海の生活・ジオラマ)

三浦半島は魚介類に恵まれた地域の為、当時、ゴミ捨て場であった貝塚から石器や土器、魚を捕るための釣り針などの骨角器も、数多く見つかっています。
また、1853年にはペリーが浦賀に来航したのち、久里浜に上陸しました。
そうした土地柄や時代背景もあり、早々に博物館が開館したといわれています。

ペリー来航時、日本側が用意した「曲彔」(きょくろく)
こちらは博物館1階の植物に関する展示コーナー
北山課長

今回、ご紹介した牧野博士に関する企画展「牧野富太郎がみつめた植物 植物標本が語るもの」以外にも、横須賀市自然・人文博物館には三浦半島の自然と歴史にかかわる数多くの展示物がありますので、多くの方々にご来場をいただければ幸いです。

今回、ご紹介した「赭鞭一撻」(しゃべんいったつ)の十番目にある『跋渉(ばっしょう)の労を厭う勿れ』
その意味は『方々を歩き回ることを嫌がってはならない』という教訓だそうです。
企画展で、牧野博士の足跡をたどってみるのはいかがでしょうか。

牧野富太郎がみつめた植物 -植物標本が語るもの-
横須賀市自然・人文博物館 (2023年6月18日まで)
※5月3日(水・祝)13:00~14:00 山本学芸員による展示解説(参加自由・無料)

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