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ウクライナ避難民が直面する“就労の壁” 日本企業はどう向き合う?

  • 2024年3月12日

ロシアによるウクライナ侵攻が始まってから2年。
戦禍を逃れるため、2000人を超えるウクライナ人が次々と日本に避難し、その半数が首都圏で暮らしている。
今も帰国の見通しが立たない中、避難してきた人々は、ふるさとから遠く離れ、ことばも違う国でどのように暮らしているのか?
首都圏の現場を訪ねると、見えてきたのは生活を支える仕事に就くことを妨げる高い壁の存在。そして、深刻な人出不足の解消につなげようと受け入れを模索する企業の新たな動きだった。
(首都圏局/ディレクター 中島 彩)

働いている人の多くはパートタイム

軍事侵攻の先行きが見えない中、避難民の滞在期間も長期化している。彼らが日本で自立していくためには就労が必要とされるが、2年がたった今も現状は厳しい。
避難民を支援している団体「日本財団」が去年11月から12月にかけて行ったアンケート調査によると、「働いている人」は47%と半数に満たない。その内訳をみても「パートタイム」が大半で「フルタイム」の人は4分の1にとどまっている。

就労を阻む壁は何か。都内に住むウクライナの人々に話を聞くことにした。

就労の壁1:習得が難しい日本語

2月中旬、私は支援団体が行っているウクライナ避難民の個別訪問に同行した。
訪ねたのは2年前に日本に避難してきたイリナ・クーダスさん。高校生の娘と暮らしている。

イリナさんはウクライナでエステティシャンとして働いていたが、娘の身の安全を考えて日本で暮らし続けることを希望している。そのためにも安定した仕事に就きたいと考えているが、日本語があまり話せないという「言葉の壁」に直面。フルタイムの就労にはなかなか結びついていない。
一刻も早く日本語を習得するため、昼間は語学学校に通い、夜はコンビニでアルバイトをしている。接客業を選んだのも、一日の多くの時間を日本語の学習にあてられるようにするためだと話す。

イリナ・クーダスさん
「ウクライナに帰れる状況ではなく、日本で自立するためには日本語を習得しなければなりません。そして今は、いつか日本でエステサロンを開業することが目標です。その店名は娘たちの名前にすると決めています」

就労の壁2:日本での資格がない

取材を進めると、母国で培った経験が生かせないまま、就労につながらない実態も見えてきた。壁になっているのは、日本での資格の有無だ。

ヴィータ・デルガチョワさん(左)と娘

都営住宅に暮らしているヴィータ・デルガチョワさん。日本で働いていた経験がある娘とともに、2年前、避難してきた。

ヴィータさんは、看護師と作業療法士の資格を持ち、ウクライナでは30年にわたって病院で働いてきた。見せてくれたのは軍事侵攻前の病院で撮影した写真。患者たちが回復していく姿を見ることにやりがいを感じていたと言う。

ヴィータさんが ウクライナで働いていた頃の写真

しかし、ヴィータさんが日本の医療機関で働くためには、日本の資格をとる必要がある。
希望する医療や介護の仕事に就けないでいる自分に、もどかしさを感じている。

ヴィータ・デルガチョワさん
「今も仕事を探しているのですが、ウクライナでやっていた仕事とは関係ないものから探さざるを得ません。給料をもらうことも大事ですが、本当は自分の専門性を高め、新しいことを学び、仕事へのやりがいを感じられることを望んでいます。今の状況は年齢を重ねるだけで、時間を無駄にしている。自己実現ができていません。自分のため、周りの人たちのためにも何か役に立つ仕事がしたいんです」

これまでの人生で培ってきたスキルや経験を生かすことができない。やむを得ず国外避難という選択をしたことで職を失うということは、収入面の不安だけでなく、精神的な不安にもつながっていた。

一方…人手不足の日本企業は

避難民にとって長期滞在という新たなフェーズに入る中、日本の企業はどう向き合えばいいのか。
都内の会社を訪ねると人手不足の解消につながるヒントも見えてきた。

貨物の船舶輸送を手がける海運業の会社では、ビジネスが拡大する一方、日本人の採用活動に苦戦し、2年前に外国人の採用に踏み切った。そして去年、2人のウクライナ避難民をフルタイムで採用した。

同僚と英語で会話するユリーヤさん

その1人、ユリーヤ・ナウメンコさん。日本で働く兄を頼って日本に避難してきたが、日本語はあまり話せず、仕事を得ることができずにいた。

ところが、この会社では、英語が業務上頻繁に使用されていて、社員の9割がビジネスレベルの英語を話せる環境にあった。ウクライナでも英語を使う仕事をしていたユリーヤさんにとって、日本語が話せなくても業務に支障はなかったのだ。
現在は、世界各地の船や港とやりとりをする運行管理の仕事を任され、能力を生かすことができている。

ユリーヤさんを採用した企業の担当者
「ユリーヤさんは、弊社の仕事の中でも基幹職員が担当するような重要な仕事をやってくれている。日本人に向けた採用活動があまりうまくいっていない中で、外国人材が戦力になることは非常にありがたい」

社内で日本語教室も

さらに、外国人の社員が日本でスムーズに生活できるよう、福利厚生として学習の場を提供。
専門の講師を招き、社内で日本語教室を開催している。1時間半の授業を週2回受けることができ、費用は会社持ちだ。

ユリーヤさんたちは、日本語の勉強は難しいけど楽しい、日本人の同僚たちが日本語で話していることも理解できるようになりたいと、毎回参加している。

一方、自分のように仕事ができていることは恵まれているとした上で、避難民が日本で安心して暮らせるよう、働きやすい環境が広がってほしいと話していた。

ユリーヤ・ナウメンコさん
「すべてのウクライナ人にとって人生は不安定。次の瞬間、どうなるかわからないという不安を抱えています。そうした中、私にとって現在の職場の皆さんがとても親切で協力的であることが安心につながっています。日本もできるかぎり私たちを支援しようとしてくれています。毎日仕事に行くことができて、給料をもらえる、そうした安定があれば非常に気持ちが落ち着くはずです」

日本の企業側からみた雇用がすすまない理由

人手不足でも、日本で避難民の雇用がすすまないのはなぜか。

避難民など外国人の就労を支援する「東京外国人雇用サービスセンター」によると、言葉の壁や経験を生かせない資格の問題などに加え、いつまで避難民が日本に滞在しているのか不透明なため、採用に二の足を踏んでしまう企業も少なくないと話す。
2年前に比べて避難民の報道も少なくなり、企業からの問い合わせ自体が減少傾向にあるとのことだった。

また、ユリーヤさんを採用した企業は、「これまで避難民を受け入れた例はなく、契約期間や基本給の設定など、すべてが初めての経験であり、手探りで対応した。中小企業が人材の確保を進めるためには、国や自治体のサポートをさらに手厚くする必要がある」と話していて、企業側の負担を軽くする制度や環境の整備も必要だとわかった。

取材後記

1年前にもウクライナ避難民の取材をしていた私は「すぐにでもウクライナに帰りたい」という、強い願いがこめられた声を聞いていた。この冬、多くのウクライナ人が「日本に長くいたい」と考えざるをえなくなっていることを知り、軍事侵攻から2年という時の長さを感じた。今回出会った人々は、いつ帰れるか見通しが立たず精神的に不安を抱える中、日本で働くことが気持ちの安定につながると話してくれた。働き、学び、成長できることは、人が生きていくために大きな役割を果たしていると改めて感じた。
また、ウクライナ避難民の就労問題を考えることは、深刻な人手不足の問題を抱える日本社会にとっても欠かすことができない。受け入れる側にもさまざまな壁があるが、今回取材した企業のようなケースが広がればと思う。そして、避難している人々が、いつか安心してウクライナに帰れることを願い、私も取材を続けたい。 

  • 中島 彩

    首都圏局 ディレクター

    中島 彩

    制作会社などで番組制作を行い、2019年入局。金沢局を経て、首都圏局。石川県に避難しているウクライナ人家族との出会いをきっかけに、避難民を継続的に取材。

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