新型コロナウイルスの感染症法上の位置づけが「5類」に移行してから初めてとなるこの夏。各地で花火大会や祭りが開かれ、感染拡大前は当たり前だった夏の風景が戻ってきました。料亭や石畳の路地など江戸の花街の面影が残る東京・神楽坂でも半世紀にわたって続く夏祭りが4年ぶりに開催。そこには一皿のマーボー豆腐が教えてくれた大切なものが詰まっていました。
(首都圏局/記者 田中万智)
各地で夏祭りが再開される中、取材に訪れたのは4年ぶりに東京・新宿区で開催された「神楽坂まつり」。1972年から半世紀にわたって続いてきましたが、新型コロナの影響で2019年を最後に開催が中止されました。ことしは7月26日から4日間開かれ、総勢3000人が参加した「阿波踊り」や地元の飲食店が自慢の料理をふるまう屋台が出店され、およそ15万人が訪れました。
夏のイベントがたくさん戻ってきたので楽しいです
ビールとお肉が最高でした。おいしいレストランが多いから色んな種類が楽しめてうれしいです
久しぶりの夏祭りを楽しむ人たちの笑顔があふれる会場。その様子を屋台から感慨深そうに見ている女性がいました。神楽坂で明治から続く中華料理店の若女将・飯田花さんです。
飯田さんは店の4代目となる夫と27年前に結婚し、神楽坂で暮らし始めました。3人の子どもに恵まれ、子育てをしながら店に立ち続けてきました。そんな飯田さんにとって「神楽坂まつり」は地域の人たちとの交流を深める大切なお祭りです。
飯田花さん
「みなさんで一丸となって作るお祭りっていうのも、なかなかないと思うので、お祭りがないのは寂しかったですね」
飯田さんが暮らしてきた神楽坂は新型コロナで大きな影響を受けました。料亭や石畳の路地など江戸の花街の面影が残り、細い路地の先には趣のあるレストランやバーなどもある神楽坂。街全体では、およそ250の飲食店が建ち並び、多くの人が訪れますが、新型コロナの感染拡大の影響で、営業時間の短縮要請が繰り返し出されたことなどから、およそ1割の店が閉店しました。
「外を歩いている人がすごく少なくて、今まで経験したことない、今まで見たことない街の様子でした。寂しいよねっていう雰囲気だったのは覚えてます」
飯田さんの店も売り上げが減少し、先行きに不安を感じる日々を過ごしました。そんな時、ある客がスーツ姿で来店しマーボー豆腐を注文します。
飯田花さん
「いつも1人で食事に来る人だったんですけど、スーツを着て店に来られたので『あれ?珍しいな』と思って。お久しぶりですと話をして、お仕事ですかとうかがったところ、どうしてもこの店のマーボー豆腐が食べたくて、不要不急の外出は控えるように言われているからわざわざスーツを着て会社に行くかのように見せかけてマーボー豆腐だけ食べに来ましたって言われた時に、そんなに思ってくれてるんだっていうことに気がつきまして」
スーツ姿の客が注文した一皿のマーボー豆腐。飯田さんは店を続ける勇気をもらうと同時に新型コロナの感染拡大前は当たり前だったことの尊さにも気づかされたと言います。
「毎日のように接客をしてますし、なるべく丁寧になるべくきちんとと思ってはいても、忙しいときは両手の指の間からこぼれるように、大事にしなきゃいけなかったタイミングで機械的になってしまったり、大事にしなきゃいけないタイミングで見過ごしてしまったり。改めてそういう思いで来てくれてっていうことに本当に気づけた、大事な一瞬だったというか出来事でした」
神楽坂がかつての「にぎわい」を取り戻す一歩にしたい。4年ぶりの祭りの当日、飯田さんの姿は屋台にありました。
販売したのは店の人気メニューの「焼きそば」です。中華料理で使われるオイスターソースと手打ちの麺が特徴で、販売を始めた夕方5時から屋台の前には列が出来る盛況ぶりでした。飯田さんの心を打ったのは新型コロナの感染拡大前は当たり前だった客との何気ないやり取りでした。
地元?こんなに混むことないよね。
ない!本当にない。
ねー。気をつけて。楽しんでください。お待たせしました。
飯田花さん
「手渡ししてありがとうございますって言える。そういったことは本当に楽しいです。みんなの楽しむ顔を見ながらやっていけるっていうのは、本当に幸せなことだなって思います」
まつりのクライマックスに行われた阿波踊り。4年ぶりに帰ってきた神楽坂の夏の風物詩を見つめる人たちの笑顔は輝いて見えました。誰かと会って話したり、一緒に食事をしたりするコロナ禍前にあった当たり前の日常。飯田さんは人と人が触れあう当たり前の日常が途切れることなく続いていくことを願うように4年ぶりに戻ってきた夏の風景を見つめていました。
「久しぶりに鳴り物の音が最初に聞こえた時に、ああやっぱりこれだと思いましたね。今後とも、どんどん人と人との絆というかつながりで、お店も神楽坂も繁栄していけたらいいなと思います」