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「病気でも輝ける場所を」小児がん経験の大学生がステージに

  • 2023年8月8日

年間2000人以上が発症するという小児がん。治療後も、合併症などで苦しむ人も少なくないといいます。そんな小児がんの患者や治療を経験した人たち自身がステージに立つイベントが、7月、横浜市で開かれました。「病気になっても輝ける場所を作りたい」と、この取り組みに参加した大学生を取材しました。
(首都圏局/記者 鵜澤正貴)

小児がん当事者がステージに立つ

7月29日、横浜市で、小児がん患者などへの支援を呼びかけるイベントが開かれ、ピアノやウクレレ、しの笛などの演奏会やダンスの披露が行われました。
ステージに立ったのは、小児がんの患者や治療を経験した人、それに、彼らと生活をともにしてきた、いわゆるきょうだい児たちでした。中には、ピアノの演奏が途中でつかえてしまう人もいましたが、最後まで懸命に発表に向き合っていました。

小児がんを経験した大学生

このイベントに特別な思いを持って参加した大学生がいます。
横浜市の亀山晴生さん(20)です。中学生の時は、勉強や軟式テニスの部活動に熱心に取り組み、充実した毎日を過ごしていました。

ただ、身長があまり伸びないことや、体力テストの成績が落ち込んだこと、それに夜中に何度もトイレに目覚めることなど、体調に異変も感じていました。
母親の高子さんの友人の看護師から「病院に行った方がいい」と勧められ、検査を受けたところ、中学3年の4月に小児がんの一種である脳腫瘍であるとわかったのです。

亀山晴生さん
「月・水・金の朝練があるような忙しい部活でしたが、勉強の成績もまぁまぁだったので、どちらも頑張っていたと思います。そんな中で、どうも体がおかしいなとは思っていたものの、脳腫瘍があるなんて全然想像していなかったです」

手術や抗がん剤、放射線による治療でいったんは回復し、高校にも通えました。しかし、約1年後に再発。再び治療を受けることになりました。その結果、腫瘍はなくなりましたが、けん怠感が続くなど後遺症に苦しむことになりました。高校にはほとんど通えなかったといいます。

「中学3年の最後の大会も出られなかったし、高校に入ってからも、学校生活が途中で終わってしまうのはつらかったです。早く戻って、今までのように元気に生活したいという思いはずっとありました」

薬が欠かせず 将来に不安も

今も3か月に1度、MRIなど、再発がないかどうか検査を受けている亀山さん。

朝に飲む薬はあわせて6種類と、毎日複数の薬が欠かせません。また、不足しているホルモンも自分自身で注射して、体に取り入れています。折しもコロナ禍が重なり、高校にはあまり登校せずとも、課題の提出などにより卒業することはできました。
一連の治療や後遺症で、どうしても同世代の人たちと比べ、遅れを感じていた亀山さん。
1年間の準備期間を経て、好きだった数学の教員を目指そうと、通信制の大学に入学しました。

母親の高子さんと晴生さん

「僕は病気をしたことで、普通の人とは何か1つ外れてしまったというか。こんな状態で働いていけるのかという心配はすごくあります。焦りも少しありますが、自分のペースで頑張っていくしかないなという気持ちです」

母親の亀山高子さん
「治療に対して前向きで、泣き言もいわず、ただ『元気になってやるんだ』という思いでいてくれました。頑張って耐えてきたなと思いますが、この先、後遺症が良くなるのかどうか。回復を信じたいですが、この状態で彼にできる仕事はあるのだろうかとか、不安はあります」

心の支えはピアノ

そんな亀山さんの心の支えとなっているのが、幼い頃から続けてきたピアノです。
後遺症で手の震えも残る中、リハビリも兼ねて毎日欠かさず弾き続けてきました。
最近のアーティストの曲を覚えるのが楽しいといいます。

「ピアノを弾くと心が落ち着くというか、達成感がすごくあるんです。あぁ弾けた、弾けるようになったという気持ちがすごくうれしい。新しい曲を弾きたいと思えることは、力になりますね」

“自分にもできることがある”

はたして、今の自分に何ができるのか。亀山さんが力を入れて取り組んできたのが、小児がんの支援団体の活動です。地元・横浜市に拠点がある「みんなのレモネードの会」です。

手作りのレモネードを販売する「レモネードスタンド」と呼ばれる活動などを行ってきました。この活動は、小児がんで闘病していたアメリカの女の子が「自分と同じように病気で苦しむ子どもを助けたい」と、自宅の庭でレモネードを販売したことが始まりとされ、日本でも、寄付を募る活動として各地で広がっています。亀山さんは、同じような境遇の子どもたちと交流する中で、自分にもできることがあるのではないかと考えるようになったといいます。

「小児がんという病気があるということ。そして、子どもたちがみんな頑張っているということを知ってもらいたいです。病気を治すために研究ももっと進んでほしい。病気の子どもたちのために、もっとできることがあると思うんです。この団体の活動をすることで、今の僕があると言っても過言ではないぐらい、自分にとってなくてはならない場所です」

当事者自身が発信できる場を

支援団体によりますと、これまでも多くの小児がん支援の音楽イベントはあったものの、患者や治療経験者自身がステージに立つものはあまりなかったということです。当事者たちの中には、亀山さんのようにリハビリの一環で、さまざまな楽器に親しむ人もいます。
この特技や趣味を生かして、発信できる場を作れないものか。支援団体と亀山さんは仲間たちに呼びかけて、今回のイベントを企画したのです。

みんなのレモネードの会 榮島佳子 代表理事
「私自身も小児がん患児の親ですが、患児自身が主体となって舞台に上がり、自分たちで作り上げるコンサートはあまりありませんでした。治療が終わっても、中には社会と接する機会がほとんどない人や、学校で交流を持てないという人もいる。ただ、やはり人とつながることは刺激になるし、いろんな人に見てもらう機会はとても大切だと思います。仲間と交流したり、一般の方たちに啓発したりすることで、子どもたちの自信にもつながればいいなと思います」

主役になれる

そして、7月29日のイベント本番。演奏会で発表するのは8人です。

年長の亀山さんは、ほかの仲間たちの演奏のあと、8人目で登場しました。会のトリを務めたのです。演奏したのは、童謡の「海」と「ハッピーバースデートゥーユー」の2曲。
いずれもアレンジが加えられたもので、練習の成果を披露しました。
亀山さんは、演奏に合わせて、参加者から集めた海や誕生日にまつわる思い出の写真を上映しました。それぞれの思い出とともに、曲に聞き入ってもらいたいと考えたのです。
病気の影響が残っていても、ステージで主役になれる。演奏には、そんな思いが込められていました。

1曲目「海」 2曲目「ハッピーバースデートゥーユー」
*一部映像が乱れているところがあります

 

観客男性

一生懸命、練習してきたんだろうなと思って、とても感動しました。当事者の方にとっても励みになる、よい機会だと思いました。

観客女性

みんなに伝えたい思いだったり、自分もやってみようという挑戦だったり、そういう姿勢が見えて、すごいなって。私たちも頑張ろうという気持ちになりました。

観客女性

娘が小児がん経験者
とても感動的で、思わず涙ぐんでしまいました。皆さんに知っていただきたい活動だと思います。

演奏を終え、亀山さんは少しほっとしたような、達成感のある晴れ晴れとした表情で、こう語りました。

亀山晴生さん
「少しでもいいので、小児がんのことを理解してくれる人が増えて、支援の輪が広がっていけばいいなと思っています。このイベントを通して、僕自身も自信がつきました。これからはもっと社会とつながって、多くの人とつながりを持てたらいいなと思っています」

取材後記

私は6年前の2017年に横浜放送局の記者として、支援団体の榮島さんの息子・四郎さんからの手紙を受け取ったのをきっかけに、「みんなのレモネードの会」の活動を取材しました。亀山さんはその時のNHKの放送を見て、団体のことを知り、活動に参加することになったと教えてくれました。不思議な縁を感じ、私自身、このイベントをきちんと見届けたいと思いました。
亀山さんのように、腫瘍がなくなっても、後遺症で苦しむ人はたくさんいます。簡単に、寄り添うとか、そういうことは言えないですが、せめて、当事者の思いを聞いて、現状を知り、伝えていくことはできるのではと考えています。今後も取材を続けていきたいと思います。

  • 鵜澤正貴

    首都圏局 記者

    鵜澤正貴

    2008年入局。秋田局、広島局、横浜局、報道局選挙プロジェクトを経て首都圏局。

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