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80歳以上限定サッカーリーグ(SFL80)が東京に誕生 “幻の強豪”に憧れて

  • 2023年7月18日

80歳以上限定の公式サッカーリーグが東京でことし4月に始まりました。3チーム、計70人ほどが年間24試合を戦って優勝を目指します。何十年とサッカーを続けてきた選手たちの人生には、さまざまなドラマや“奇縁”があります。60年前に試合で対戦した2人の選手が、80歳を超えた今このリーグでチームメートとなり、共にボールを追い続ける原動力を取材しました。
(首都圏局/ディレクター 反町結佳)

80歳以上の公式サッカーリーグが誕生 最年長は94歳!

リーグは駒沢オリンピック公園のグラウンドを会場に行われています。選手たちは白髪をなびかせながら、キレのあるドリブルや力強いシュートを見せます。

最年長はなんと94歳。80代の選手たちの憧れの的です。

94歳の選手

80歳の選手は「まだまだ若手、もっと頑張らないと」と笑顔で話します。

80歳の選手

このリーグは東京都サッカー協会のシニア連盟が主催する「SFL80リーグ(Soccer For Life)」です。各都道府県のサッカー協会は、年代別の公式リーグを開催していますが、「80歳以上」は、全国でもまれです。

基本的なルールは、日本サッカー協会(JFA)が定めるものと同じ、グラウンドの大きさもワールドカップやオリンピックと同様。一方で、80歳以上ならではのルールも設けており、安全管理がしっかり行われているのが特徴です。

▽試合時間は前後半15分ずつ
▽スライディングと相手へ肩でタックルすることは禁止
▽交代回数は制限無し
▽選手全員の服薬状況を事前に把握する
▽運営スタッフ全員がAED講習を受講

80歳以上のリーグが設立された経緯について、SFLリーグ会長の御厨雅宏さんは自然な流れだったと話します。

SFLリーグ会長 御厨雅宏さん
「まず2012年に4チームで70歳以上のリーグが発足しました。ここに所属していた人たちが健康にもいいし、楽しいから、生涯スポーツとしてサッカーを取り入れよう、死ぬまでやろうということで80歳以上のリーグも誕生しました。だから何かきっかけがあったというよりかは、自然にできたという感じですかね」

知る人ぞ知るレジェンド “全日本より強い”在日朝鮮蹴球団

そんなリーグで仲間たちから“レジェンド”と慕われる選手がいます。金明植さん、85歳です。
ポジションはミッドフィルダー。多彩なパスを繰り出し、攻撃の起点となるゲームメーカーです。

中央が金さん

金さんは1938年、在日朝鮮人の家庭に生まれました。
小学生のときからサッカーに打ち込み、高校生時代には全国大会に進出。進学した中央大学ではチームを初の日本一に導きました。

しかし、輝かしいキャリアは続きませんでした。金さんは大学卒業後、在日朝鮮人で作る「在日朝鮮蹴球団」を結成し、チームを率います。結成から17年間の勝率は9割7分!圧倒的な強さに見えますが、当時の新聞は“幻の強豪”と記しました。

実は当時、在日朝鮮蹴球団は日本サッカー協会が主催する大会への出場が認められなかったというのです。高い勝率は親善試合などの成績で、“全日本より強い”と恐れられるほどでありながらも、日の目を見ることはありませんでした。

金 明植さん
「公式大会に出られないから、親善試合や練習試合にかけるしかなかった。出場制限に対する鬱憤(うっぷん)を晴らしたい、勝ちたい、それだけを思って試合をしていた。順位も出ないので、自分たちがどれくらい強いかはわからなかったけど、ただやれば勝つ。そういうチームでした」

憧れは蹴球団の“美しいサッカー”

そんな蹴球団に、憧れを抱く選手がいました。中町昭道さん、82歳です。

大学生時代、金さんが率いる蹴球団と対戦し、華々しいサッカーに心を奪われたといいます。

中町昭道さん
「当時の日本のサッカーは攻めるのはフォワード、守るのはディフェンダーと役割が明確に決まっていたように思います。でも蹴球団は“全員守備全員攻撃”のようなサッカーで、自分たちがやっていたのとは全く違うものでした。ガツガツ相手をなぎ倒すサッカーではなく、知らないうちに後ろにまわられたり、次々と選手がゴール前にやってきたりと。“美しいサッカー”だと思いました」

80歳を超え目指すのは“助け合い”の美しさ

この対戦から60年。かつて対戦相手だった金さんと中町さんは、同じチームでプレーすることになりました。

中町さん(左)と金さん(右)

この日は、首位争い中のチームとの試合。理想とするのは、やはりかつての蹴球団のような華麗なサッカーです。
しかし体が追いつかないこともしばしば。そんな今、2人が心がけていることがあります。

中町さん(左)と金さん(右)

中町さん
「80歳以上になると、手術をした人やリハビリをした人がいますので、昔のようにはいかないのはしかたがないことです。そこで走れない人が抜かれたときは、全員がカバーし合うと、それが美しいんじゃないかなと」

金さんも去年、がんの手術をしました。そんな金さんが抜かれた場面では、中町さんがカバーをしてピンチをしのぎました。

かつての蹴球団の「全員で駆けまわる美しいサッカー」は、80歳を超えた選手たちに「全員で助け合う美しいサッカー」となって受け継がれています。

試合は、熱戦の末、2対2の引き分けに。プレーには満足し切れていない2人でしたが、若い頃には味わえなかった喜びを今感じていました。

中町さん(左)と金さん(右)

中町さん

きょうは金さんになかなかよいパスが出せずに、失礼しました。

金さん

いえいえ、もらっても走れないから。

金さん
「去年メスを入れて動けないから、グラウンドにあまり行きたくないときもあった。そしたらみんなから電話が来て、プレーできなくてもいいから顔見せに来いって。それでグラウンド来て、終わったら飲み会に行って。グラウンド来ないで家にいるだけじゃ、テレビ見るだけで交流もしないからね。それがもう楽しくて。あと5年で90歳、死ぬまで続けていきたい」

中町さん
「金さんは、私をサッカーに導いてくれた人。社会人になってからもサッカーを続けたのは、あの在日朝鮮蹴球団との試合がきっかけでした。こうして今同じチームでサッカーをできることは、人生の奇縁だと思っています。20代のころに競い合った人と80代になってプレーできるっていうのは、本当にうれしいことです。ここの最年長者は94歳ですから、あと12年何とかプレーできるように自己管理していきたいです」

  • 反町結佳

    首都圏局 ディレクター

    反町結佳

    2023年入局。スポーツに関するテーマに興味があります。

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