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失語症の人の朗読劇 絶望した私を変えたのは… 東京・品川

  • 2023年7月12日

「子どもの名前が言えない」、「思っていることが伝えられず、孤立する」―
病気やケガで脳の一部が傷つき、言葉の理解や会話が難しくなる「失語症」の人は全国で50万人以上とも言われています。今月、失語症の当事者が自ら失語症の苦しみを伝える朗読劇が都内で上演されました。言葉の出ない不安と戦いながらもあえて人前に立ち、伝えたかった思いとは何だったのでしょうか。
(首都圏局/ディレクター 髙松夕梨子)

原作・脚本・出演 すべて失語症当事者による朗読劇

『いまは失語症で言えない。怒りぶつけたい』
『脳卒中あるあるの愚痴を言い合って、みんなで笑いあっていると自然に失語症も軽くなる』

今月1日、都内で失語症当事者による朗読劇「言葉つなぐ明日へ」の公演が行われました。
朗読教室に通う失語症の人たちが、教室での交流を通して互いに支え合いながら、少しずつ前を向いていく群像劇です。

出演者のほとんどが失語症の当事者。脚本も当事者の実体験がもとになっています。

交通事故の後遺症で“別人”に 理解されない失語症の苦しみ

出演者のひとり、梶彰子さん(59)。9年前、事故の後遺症で失語症になりました。失語症の苦しみを多くの人に知ってほしいと参加しました。

事故当時の梶彰子さんと夫・栄一郎さん

事故の前は明るく社交的な性格で、夫の栄一郎さんによるとしゃべり方も「きれきれ」だったという梶さん。当時は夫と3人の子どもと暮らし、コールセンターの管理者として仕事にも熱心に打ち込んでいました。

ところが、休日の買い物帰り、歩行中にバスのバックミラーに接触。転倒し、そのままバスに巻き込まれました。一時は意識不明で危険な状況でしたが、幸い命に別状はなく、半年以上にわたる入院生活を経て退院しました。

しかし、言葉を理解したり、流ちょうに話したりすることが難しい、「失語症」の後遺症が残ったのです。

梶彰子さん
「当初は子どもの名前がすっと出てこなかったり、単純な“リンゴ”の絵が描かれたカードを見せられて、『なんでこんなこと答えなあかんの』って思いながらも、いざ聞かれたらその言葉が口から出てこなかったりしました。自分でもびっくりするような状態でした」

梶彰子さんと夫・栄一郎さん

夫・栄一郎さん
「いちばん驚いたのは、やっぱり術後に目が開いたときなんですけど、全然違う人だったんです。話し方も違うし、目線も違うし、正直ずっとこんな状態やったらどうしようって…」

最初のころは、症状を楽観的に考えていたという梶さん。ドラマで、事故のあとに言葉が出なくなるエピソードを見たことがあり、ドラマの中では数か月後には事故前と同じように話していたので、自分もすぐに元に戻るかなと思っていました。

しかし、入院中リハビリを続けても症状が改善する気配は感じられず、看護師などからの「良くなりますよ」という励ましにも、安心はできなかったといいます。

退院し自宅に戻ってから、自力でもリハビリを続けました。「元の自分に戻りたい」と必死にリハビリを続けるも、なかなか良くならない。そんな自分にいら立ち、涙を流す夜も絶えませんでした。

梶彰子さん
「もともとの仕事がコールセンターのオペレーターの指導などをする、言葉を使う仕事だったので、元のようにしゃべることができなかったら、私は職場に戻れないんじゃないかと、すごく心配になりました。

新聞を読む練習を自分でしてみるんですけど、一行ちょっと読むだけで、どこを読めばいいのかわからなくなって…。なんでこんなことができないんだろうって、やればやるほど悲しくなって…。でもこれができるようにならなきゃ元には戻れない、って思って…」

仕事に復帰してからも、言葉がうまく話せないことで周囲と対等に仕事ができていないと感じ、焦りや申し訳なさを感じることもありました。

以前なら指導したり、フォローしたり、何かトラブルがあれば自分で対処できるという自信もありました。けれど、それが十分にできなくなり、「このまま仕事を続けていいのか…」という葛藤も続いたといいます。

職場での悩みを家族に相談するも、思い通りに言葉が出ず、「本音で話せていない」という感覚がぬぐえませんでした。

「言葉を話せなくなったことで自分の全てが、何もできなくなったっていう気持ちになって、もう将来がすべてなくなってしまったような絶望感があって…。

家族に相談してもなかなか、思っていることを説明ができない、説明するその言葉がでなくて、ちゃんと説明できないし…。だから何となく本気で言える状態じゃなく、いつも一人で、孤立しているような気持ちがありました」

リハビリで朗読に出会い、前向きになれた

自宅で朗読の練習をする梶さん

出口のないつらい日々を過ごしていた梶さんを、大きく変えた出来事があります。
2年前、リハビリとして失語症の人向けの朗読教室に参加したときに、講師から思いがけない言葉をかけられたのです。

「失語症であっても、表現する方法は人それぞれ十分にあるから、自分のいちばん人に伝えられる表現で伝えていったらいいんだよ」

梶彰子さん
「それまでは、もっと早くしゃべらなきゃとか、相手の話についていかなきゃ、と焦ってうまくしゃべれないことがいっぱいあったんですけど、朗読教室に参加することで、自分のペースで自分の思っていることを話せるようになってきた気がします」

「障害があるからできなくてもしかたない」はナシ!

梶さんが参加する朗読教室が、初めて劇を開催することが決まったのは、ことし4月。それから3か月、毎日オンラインで他のメンバーと練習を行ってきました。

失語症の当事者にとって、朗読には乗り越えなければならないハードルがいくつもあります。台本を読むとき、文字を追っているうちに今どこを読んでいるのかわからなくなってしまったり、文章を読み上げるときも、3文字以上の言葉を続けて発することができず、途切れ途切れにしか読めなかったりすることもあります。

中でも、難しいのは掛け合いの部分。前の人のセリフから、間を開けずに読むということに苦戦しました。障害の特性上、マルチタスクが苦手なため、ほかの人のセリフを聞く、自分のセリフを目で追う、タイミングを合わせる、それを声に出す、という一連の流れを同時に行うことが必要な掛け合いの部分は、非常に難しかったそうです。

2週に1回のレッスンに加え、毎日2時間、メンバー同士で猛特訓を積むなかで、次第に、自然な掛け合いができるようになりました。

朗読劇の本番2日前に、メンバーたちは久々に顔を合わせての最後の練習に臨みました。
教室ではベテランの梶さん。メンバー間では「第2の先生」的ポジションで、ほかのメンバーとも積極的に意見を交わします。

梶さん

やりやすいですか?大丈夫ですか?

朗読を始めて間もないメンバー

大丈夫だと思います。

 

失語症の人は音読をするだけでも大変ですが、朗読にはそれに加えて「表現」が求められます。登場人物がうれしいと思っているときはうれしそうに、悲しんでいるときはその悲しみが伝わるように。それぞれのシーンで「どのようにすれば伝わるか」を、考えて、他の参加者と意見を出し合い、試行錯誤を重ねています。

梶さんにアドバイスを送ったのは朗読教室の講師で、脚本家でもある石原由理さん。自身も失語症の当事者です。

梶さん

『メモに取ったり、録音したりするけど、でもこれは「見えない障害」だから、健常者にはなかなか理解してもらわれへん』

石原由理
さん

「見えない障害」というのをかぎかっこでくくってあるということは、強調してほしいということなので、声を大きくするとか、はっきり言うとか、そういう風にしてください。

石原由理さん
「失語症は、まひといったほかの脳卒中などの後遺症と違って、話すまで障害があるということがわからない。でも、いざ言葉を発すると『何かおかしい人』と思われてしまう。そう思われることは恥ずかしいし、家族にすらイライラされることもある。そういうジレンマをかかえている方は多いと思います。

この朗読劇を通して、失語症の症状を多くの方に知っていただきたいと思って、脚本化しました」

生徒からは「スパルタ」「ドS」と言われるなど、厳しい指導で知られる石原さん。根底にあるのは、「障害があるからできなくてもしかたない」のではなく、「練習を重ねることで、必ずできることが増えていく」ことを、朗読を通じて伝えたいという思いです。

「朗読をするということは、声を出して、その自分の声を聴いて、工夫をして人に聞かせるという脳に負担のかかることです。それは健常者といわれる人たちには一瞬で同時に、普通にできることですが、脳に損傷のある人たちにとってはとても難しいことなんです。

今回、お客様の前で公演をすることは、参加者の皆さんにとって大きな刺激になると思います」

いよいよ本番!思いを込めてステージに立つ

いよいよ本番当日。客席はほぼ満員です。

『感情をこめていま出せる自分の声、いまできる自分の見せ方で、聞き手に向けて読み上げること。たとえ言葉はたどたどしくても、物語は伝わる』

最初は初めて立つステージの雰囲気に緊張していた梶さんたち出演者も、だんだんと表情がほぐれ、笑顔も見えてきました。普段の練習で築き上げたチームワークを存分に発揮し、場内からは大きな拍手が。

ふだんは厳しい、講師の石原さんからもこの日ばかりは「今までで一番良かったです。泣くつもりはありませんでした」と思わず称賛の言葉が出ました。

朗読劇を見た観客は…

女性

失語症の見えない障害ということもわかるし、話もとても面白かったです。

妻が失語症の男性

妻がいま失語症でリハビリ中なので、参考になればと…。

 

失語症の
女性

感動しました。

 

梶さんはこれからも朗読を通して、自分と同じように悩んでいる当事者の人たちに、コミュニケーションの喜びを伝えられたらと考えています。

梶彰子さん
「今までで一番よくできたと思います。お客様が拍手をくださったので、私たちの気持ちが伝わったかなと思います。

言葉が出なくなってから、一つの言葉が人に与える影響力ってこんなにあるんだとか、人が発する言葉にどれだけの重みがあるのかとかを考えるようになって、一つ一つの言葉がすごく大切に感じられるようになりました。

いままで、失語症になったことは私にとって『苦しみの出来事』でそこから前に進めなかったんですけれど、今回の舞台に立つことでそれが自分の人生の中の一つの大事な出来事として受け入れられるようになった気がして…。今までやってきたことが報われたような感じがします」

  • 髙松夕梨子

    首都圏局 ディレクター

    髙松夕梨子

    2023年入局。教育、子ども、障がいなどのテーマに関心があります。

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