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ウクライナに注文した洋服 防空警報をくぐり抜け東京に届く

  • 2022年8月24日

先日、大きくへこんだ段ボール箱が、ウクライナから日本の女性の自宅に届きました。中に入っていたのは、「クセニアシュナイダー」という現地のファッションブランドから送られた洋服。個性豊かなウクライナの洋服が好きになり、ロシア侵攻前に現地に注文していたものです。
「戦争が始まったのでもう届かないかもしれない」
半ば諦めていたところに届いた、大好きな洋服たち。でも、現地の人たちは、防空警報が鳴り響く中、必死の思いで注文の服を送り出してくれたようです。
(首都圏局/記者 岡部咲)

宛名すらない荷物

都内在住で、会社を経営する女性(45歳)のもとに、段ボールの荷物が届いたのは6月29日。ビニールでぐるぐる巻きにされて、大きくへこんでいました。

箱に貼られた郵便局のメモからは、途中で宛名がはがれてしまい、受取人の情報をわざわざウクライナ側に問い合わせて届けてくれたことがうかがえます。

送り主はウクライナのファッションブランド。
女性がロシアによる侵攻が始まる直前までに、直接現地に注文したものでした。通常なら3月には届くはずが、3か月も遅れてようやくたどり着きました。

「戦争が始まったのでもう届かないかもしれない」と諦めかけていたものが届いたうれしさ。
中を開けて確かめると、ネットで注文したセーターやトレーナーが入っていました。

商品にはメッセージも添えられていました

ファッションとウクライナ

ブランドのサイトより

女性が、このブランド「クセニアシュナイダー」を知ったのは、都内のセレクトショップで見かけたことがきっかけでした。

30代のデザイナー夫婦2人の名前を冠したこのブランドは、ウクライナに輸入される古着を独自のアイデアで組み合わせて現代のファッションに「アップサイクル」する手法が特徴で、日本でも現代ウクライナの注目すべきブランドの一つとして紹介されています。

ファンになった女性は、4年ほど前からネットを通じて購入するようになりました。ブランドのスタッフともSNSでつながり、注文したサイズが売り切れてしまっても追加生産してくれたほか、商品にちょっとしたプレゼントを同封してくれたりしたこともありました。
また、趣味のバレエがきっかけで2018年11月に現地を訪れたことで、より一層ウクライナとそこで作られる洋服に親しみを感じていました。

ウクライナから届いた洋服

女性
「今回は、春にピンクの服を着たいと思い注文しました。それに間に合わなかったのは残念ですが、こうした状況では届いただけでうれしいです」

突然のロシア侵攻

そんなウクライナが突然、手の届かない存在になってしまったのが、ことし2月24日に始まった、ロシアによる侵攻です。

ちょうど1週間前、女性のもとには「注文のあった冬服の発送準備が整った」というメールが届き、到着を楽しみにしていただけに、ニュースは大きな衝撃でした。

「みんなは無事なのか、どうしているのか」

祈るような気持ちでSNSを見ても、情報は侵攻前から更新されていませんでした。スタッフにメールを送ったところ、どうやら無事らしいことだけはわかったものの、詳細は知ることができませんでした。

私たちは爆撃されている

現地の状況が少し見えてきたのが2週間ほどたった3月上旬。ブランドのスタッフのSNSを通じて、デザイナー夫婦がハンガリーの首都ブダペストにいることがわかりました。
この時のことをのちにメールでたずねたところ、妻のクセニアさんはこう答えてくれたそうです。

クセニアさん
「私はアパートで、夫と娘と一緒に寝ていて、夢の中で、飛行機が家の上空を飛んでいる音が聞こえました。すると母が朝の5時に電話をかけてきて『戦争が始まった、私たちは爆撃されている』と言ったのです」

クセニアさんは寝ぼけていた意識をはっきりとさせて、窓に近づき外を見てみました。スーツケースを持った家族が車に乗り込んで駐車場を出るのを多く見かけました。

クセニアさん
「ほかの人たちは、すでに今回のような事態を想定して準備ができていましたが、私たちはそうではありませんでした。もちろん、ロシアがウクライナを攻撃する計画だとメディアを通じて知っていましたが、実際に起こり得るとは信じられなかったし、信じたくなかったのです。外では、大きな爆発音が聞こえました。こんな音は聞いたことがありませんでした。それは地球上で最も嫌な音です。私は完全な無力感と絶望を経験しました」

命を守るために西へ

キーウに滞在するのは危険すぎると感じたクセニアさんたち家族は車で、ウクライナの西部の都市に向かい、そこで1週間過ごしました。ホテルはどこも客でいっぱいで、滞在を受け入れてくれた見知らぬ人の家で過ごす写真がSNSにあげられていました。

SNSより

その後、夫婦は国境を越えてハンガリーに向かい、初めてホテルに泊まることができました。ようやくシャワーを浴びたり着替えたりすることができました。そして首都のブダペストで、友人が見つけてくれた無料のアパートで1週間過ごすと少し落ち着き、自分のメールボックスを開いて、返信をし始めることができるようになったということです。

ただ、キーウにある店舗は営業を取りやめ、スタッフも全員避難しました。

防空警報の中 ウクライナへ

4月上旬、SNSで情報を収集していると、クセニアさんが避難先のブダペストから車でキーウに向かっていることを知りました。

SNSより

ウクライナに残してきた商品を安全な場所に運び出すためです。

クセニアさん
「正直言って危険な仕事でした。私はひとりでウクライナを車で横断しました。いつも、私は引き返そうと思っていました。廃虚となった家や軍用車を見たり、サイレンの音が聞こえてきたりするのがとても怖かったです。私はキーウに戻る途中でパニック発作を起こし、友人に電話をかけていました。彼らは私を落ち着かせ、助けてくれました。キーウに到着するのに3日かかりました」

やっとの思いで店にたどり着いたクセニアさん。この時のキーウ周辺にはロシア軍が迫っていたそうです。
街に人通りはなく、防空警報が絶えず鳴っていました。クセニアさんはやるべきことを迅速に行い、ウクライナが管理する安全な道から街を出ました。

クセニアさん
「本当に危なかったです。街に入る自由な道は1本しかありませんでした。街が包囲されて出られなくなるリスクが高かったです。郊外に住んでいる実家のアパートに泊まったのですが、夜になると銃撃戦が聞こえてきて、とても怖かったです。帰る途中、私はずっと泣いていました。精神的にとてもつらい旅でした。でも、身体的には無事だったのはとても幸運でした」

今も続く“難民生活”

クセニアさんたちはその後も、場所や都市を変えながら“難民生活”を続けているといいます。ロシア侵攻以降ずっと閉鎖していたキーウにある店舗は、6月上旬に営業を再開しました。でも、一部のスタッフは以前のように働くことができず、服の生産体制も以前のようには戻っていないといいます。

日本で心配する女性のもとには、「少しでも支援になれば」と追加で注文した服が8月に届きました。

8月に届いた洋服

6月に届いた時よりも箱はきれいで、状況はよくなっていると想像しますが、それでも心配は尽きません。

ロシアによるウクライナ侵攻から半年。女性は、ウクライナの洋服を身につけながら一日も早く平和が訪れることを願っています。

女性
「想像もできないような危険な状況の中で、事業を継続するためにブランドのメンバーがどれだけ大変な思いをしたのかを考えると、荷物が届いたことは本当にうれしいことと感じます。でも、出来るなら危険な思いはしてほしくないと強く願います。一日も早く平和が訪れ、直接ウクライナの店に服を買いに行ってスタッフの皆と会いたいと思います」

  • 岡部 咲

    首都圏局 記者

    岡部 咲

    2011年入局。宮崎局、宇都宮局を経て、現在は防災やウクライナ情勢などを担当。ウクライナ料理・ボルシチにはまっています。好きな服はワンピース。

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