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選挙の投票をあきらめないで~ある知的障害者の一票~

  • 2022年7月27日

福田悠太さんは、重い知的障害で投票用紙に字が書けません。
そのうえ、自閉症の特性で、初めて訪れた場所では不安で体が動かなくなってしまいます。
でも大丈夫、投票はできるんです。初めての挑戦でしたが、彼は投票しました。
背中を押したのは、よき理解者、頼りになる先輩、柔軟な行政、そしてなにより、家族の支えです。
うちの子はできっこない?いいえ、きっとできる。悠太さんの挑戦の記録が、後押しになるはずです。
(首都圏局/記者 直井良介

ほかの投票者に迷惑をかけてしまうのでは…投票をあきらめ

東京・狛江市に住む福田悠太さん(24)には重い知的障害と自閉症があります。
知的障害の影響で言葉を話したり、書いたりすることができません。
さらに、悠太さんの自閉症の特性で、初めての場所では体が動かなくなってしまいます。

母親の彰子さんは、悠太さんに選挙に参加してほしいという思いはあるものの、障害がある子どもを育てる親の多くが経験するある経験が壁になり、なかなか一歩を踏み出せませんでした。

彰子さん
「障害のある子を育てているといろんなことでほかの子どもと同じようにできずに迷惑をかけてしまう場面があるんです。そのたびに、『申し訳ございませんでした』と謝ってきました。特に選挙みたいな厳しいルールのある場所は皆さんの目も厳しいだろうなと思うと、二の足を踏んでしまうんです」

今回背中を押したのは、毎回、知的障害がある娘と選挙に行っているという先輩お母さんからのアドバイスでした。

「失敗してもいいのよ。楽な気持ちで」

当日 混乱しないために行動計画作り

彰子さんは準備を始めました。
まず取りかかったのが、初めての場所が苦手な悠太さんが、ためらいなく投票所に入れるようにする行動計画です。

頼ったのは松島和真さんです。
悠太さんが高校を卒業してからずっと通っている事業所のヘルパーで、家族以外で最も信頼する人のひとりです。

彰子さんは、当日、投票するまでの介助を松島さんにお願いできないか申し出ました。

彰子さん

親だと甘えが出てしまい、家に帰りたいと言いだすかもしれない。私は姿を見せない方がいいと思う。

松島さん

そうですね。特別な場所に行くという感じを出すのではなく、いつもと変わらないスケジュールの中に投票を盛り込むのがいいと思います。

話し合いの結果、当初の予定通りに、日中を松島さんと事業所で過ごし、帰りがけに投票所に寄って帰宅するというスケジュールを立てました。

投票の際の移動支援について
投票所に行くために障害福祉サービスを使うことが可能です。
彰子さんは『通院等介助』を利用しました。

投票所内でも安心を

もうひとつのハードルは、投票所に入ったあとです。
文字を書けない悠太さんは、『代理投票』を使います。代理投票は、自分で投票用紙に書くことがむずかしい人が、自らの申し出に基づいて、投票所の職員に代わりに書いてもらう制度です。

彰子さんは、市に相談に訪れました。

彰子さん

悠太は初めての人を不安に思って投票をやめてしまう可能性があります。なにかサポートはありませんか?

市の担当者

そういう事情でしたらお母さんやヘルパーの方が、悠太さんと一緒に投票所内に入っていただいて問題ありません。投票用紙に記入する時にだけ後ろを向いてください。

●投票する先も、職員にその場で伝える必要はなく事前に準備したメモでOK
●気持ちを落ち着けるために、お気に入りのおもちゃなどを投票所に持ち込んでもよい
●狛江市が独自に作成した投票の際にどんな支援が必要なのかを当日の職員に知らせる「支援カード」を持ってきてほしい


行政のこれらの提案は、彰子さんにとって大きな勇気になりました。

投票所内への支援者の同行について
支援者は原則、投票所の中には入れませんが、本人が不安になって投票できなくなるなど特別な理由がある場合は認められます。

本番さながらの“模擬投票”で慣らす

一方、悠太さん自身も準備を進めます。
自身が通う事業所で行われた模擬投票に参加しました。

この事業所では、選挙があるたびに、狛江市から本物の投票箱や投票用紙の記載台を借り、建物の一部屋を本物そっくりな投票所に仕立てて練習を行っているのです。
悠太さんは少し戸惑いながらも、手順通りに投票を終えました。

候補者選んで

さらに、最も重要な「候補者選び」は、誘ってくれた先輩にアドバイスを求めました。

彰子さん

自分の考えを排除して、どのように悠太さんに候補者を選ばせてあげればいいのでしょう?

森井さん

事前に顔写真などをまとめた冊子を作っていつでも悠太さんが見られるようにしてあげて。彼の表情やしぐさをよく観察して、くみ取ってあげて。

 

顔だけで決めてもいいものでしょうか?

 

候補者の顔や印象で投票先を決める人はいると思うし、私たちは投票したあとに『あなたの選択は正しい?』とは聞かれないでしょ?
だから、悠太くんが誰を選んだってそれは否定されるものではないのよ。心配しないで。

先輩からのアドバイスを受け、作ったのが候補者ひとりひとりの名前と顔写真が入った特製のアルバム。

眺めやすいように、本のようにしました。
そして、最も眺めている時間が長かった候補を、悠太さんの選択にしました。

さぁ 投票へ

迎えた投票日当日。

事業所からバスで自宅最寄りのバス停まで行き、帰りがけに投票所に。
そのまま投票する計画です。

午後4時15分。
最寄りのバス停に到着し、投票所に向けて歩き始めました。

松島さんに任せると言っていた彰子さんも、悠太さんの様子が気になり、妹のりささんと学校までやってきました。木の陰の見えない場所から見守ります。

午後4時20分。
悠太さんが我々クルーの目の前を通り過ぎます。投票所はもう目の前。

松島さんは学校の正門の前でいったん立ち止まり、悠太さんに語りかけます。

松島さん

朝も説明した通り、きょうは選挙です。この門の奥が投票所なので行きましょう。

“拒否”

すると悠太さんは、その場から引き返そうとしました。

慌てて止める松島さん。

 

大丈夫だよ。さぁ、行こう。初めてだけど大丈夫。一緒に行くから。

その時、悠太さんは手を「バイバイ」するように振りました。これは、「拒否」の意思です。

「行こう」と手を差し出してもその手をつながず、大好きなおもちゃを出しても、門に近づこうとはしませんでした。

じゃあ 帰ろうか

10分、20分と時間だけが過ぎていきます。

そして、30分後。
ついに松島さんが、悠太さんのリュックサックを差し出してこう問いかけました。

 

じゃあ、帰ろうか。

我々も取材をいったん止めようとしたその時、悠太さんが「バイバイ」したのです。
差し出されたリュックも受け取りません。「帰らない」の意思でした。
これまでずっと、悠太さんは投票所に入れない気持ちと戦っていたのです。

彰子さん
「“本当に入って大丈夫かな?”という不安と抵抗感があって。でも、行かなきゃいけない。みんなが応援してくれているというのはわかっていたと思います。私たちが背中を少し押してあげれば、きっとできると思いました」

お兄ちゃん 一緒に行こう!

あともう少し。彰子さんが手を引きます。妹のりささんも語りかけます。

「お兄ちゃん、一緒に行こう!」
家族に促され、一歩一歩門に近づく悠太さん。葛藤を初めて45分。ついに門をくぐりました。

ついに投票所へ

松島さんと投票所に入った悠太さん。
練習の成果なのか、スムーズに持っていた入場整理券を職員に差し出します。
そして、代理投票を行う職員に記載台まで促され、投票したい人を書いたメモを職員に渡します。

そしてついに、投票箱に一票を投じました。

投票所を出てきた悠太さん。りささんと、小さくハイタッチしました。

投票の機会は平等でありますように

最後に彰子さんは、こうインタビューに答えてくれました。

彰子さん
「いろいろな人のアドバイスや提案が悠太の投票につながったと思います。障害のある人が健常者と同じルールで投票するのは難しいかもしれないけれども、投票の機会は平等であってほしい。そのためのルールや制度がもっと整って、広がっていってほしいと願いますし、今日、悠太が頑張ったことが、そのためのほんの少しでも何か役に立てたらうれしいです」

取材後記 “投票の機会の平等”

“投票ができて本当によかった” その裏にはたくさんの支えがありました。

悠太さんの行動を理解し、導いてくれたヘルパーさん。
障害に合わせた対応をしてくれた行政。
的確なアドバイスで励ましてくれた先輩。
そして、悠太さんを信じて励まし続けた家族。
そのどれかが欠けていたら、悠太さんの投票にはつながらなかったと思います。

一方で、このようなサポートがなければ、投票することが難しい人が少なくないというのも現実と言えます。

取材をする中で、障害がある子どもの親からは、例えば、学校や作業所など通い慣れた場所で投票ができないかとか、郵便での投票を拡充できないかなど、今の制度に対する意見を耳にしました。

彰子さんの、『投票の機会は誰もが平等であってほしい』という願い。いま一度、社会全体で考えていく必要があると感じました。

  • 直井良介

    首都圏局 記者

    直井良介

    2010年入局。山形局・水戸局などをへて首都圏局。災害などを担当

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