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日本一外国人が多い街・川口市 “ホーム”に選ばれる理由とは

  • 2022年5月26日

荒川を隔てて東京に隣接する、埼玉県川口市。ここはいま、日本で一番外国人が多く暮らす街です。
日本でマイホームを夢見る中国人のIT技術者。
技能実習生にふるさとの味を食べさせるベトナム人元留学生。
解体現場を支えるクルド人。

なぜ、この街に集まるのでしょうか。その答えを求めて街を歩いてみました。
(首都圏局/ディレクター 寺越陽子)

多国籍タウン・西川口

池袋から電車でおよそ20分の場所にある、JR西川口駅。その周辺に「西川口チャイナタウン」として知られる一帯があります。通りを歩けば、さまざまな外国語が飛び交い、中国や韓国などのアジア飲食店の看板が次々と目に飛び込んできます。

わたし(筆者)がこの街を初めて訪れたのは、新型コロナが流行する前の2019年秋頃。
中国人が多く住むためにチャイナタウン化が進み、「本場の中国料理が味わえるグルメな街」として興味を持ったのがきっかけでした。

西川口駅周辺に外国人が数多く暮らすようになった大きなきっかけは、2006年。
駅周辺の違法風俗店が一斉摘発され、空いた店舗に外国人が入ってきました。その多くが中国の人たちだったといいます。
住み始めた人を頼って同郷の人がまた移り住んでくる…。この繰り返しで、西川口駅を中心に川口市で暮らす外国人が増えていきました。

コロナ禍で西川口の街が激変!

ことしになって再びこの街を訪れてみると、街並みは大きく変わっていました。
以前は中国料理店ばかりが目立っていた駅前の通りが、ベトナム人のお店に取って代わり、2年前にはあまり見かけなかった国や地域の人々が街中を歩いています。
さらに、新疆ウイグル自治区やタイ、フィリピンなど、さまざまな国や地域の飲食店がモザイク状に立ち並んでいます。

この変貌の背景にコロナ禍の影響があると言うのが、20年以上西川口駅前で不動産の仕事をしてきた男性です。

 

家賃の高い都内では、新型コロナの影響で帰国する人や、他の地域に移動する人が増える一方で、比較的家賃が安い川口市ではコロナの影響を受けにくく、都内からも移住してくる人が多かったのでは。

川口市に住む外国人の数は、コロナ前の2019年までは東京の新宿区、江戸川区に次いで3番目でしたが、コロナ後に他の地域が減少して、川口市だけが大幅に減少しなかったことで、2020年以降、全国1位の38,962人となっています。

マイホーム夢見る中国人が暮らす「川口芝園団地」

なぜ、多くの外国人がこの街を「ホーム」に選ぶのでしょうか。それぞれの外国人コミュニティを訪ねてその理由を探ってみることにしました。

川口市の外国人の57%と、依然として圧倒的多数を占めるのが中国人です。
その多くが暮らすのが、川口市の西端に位置する「川口芝園団地」。昭和50年代に建てられたマンモス団地で、都心に通勤するニューファミリー向けとして人気を博しましたが、いまやおよそ5,000人いる団地の住人の半分以上が外国人で、その大半が中国籍の人たちです。
敷地内には中国のお店が建ち並び、あちこちで中国語が飛び交っています。

特に多いのが、小さな子どもがいる若い世帯です。敷地内の広場では、たくさんの子連れの母親たちでにぎわっています。なかには、この団地で暮らしながら貯蓄をして、団地の周辺に「夢のマイホーム」を購入する人も少なくないようです。

孫さん・李さん夫婦
「3年前までは東京の杉並区に住んでいました。結婚してマイホームを買いたいと思いましたが、東京23区では高すぎるので都内近郊を探していたとき、ウィーチャット(中国のSNS)でこの団地のことを知ったんです。たくさん中国人が住んでいるし家賃も都内より安いので、まずはここでしばらく暮らしながら、いつか自分の家を買うか考えていきたいと思っています。」

さらに、この団地で出会う人にどんな仕事しているかを聞くと、IT関連だという人ばかりです。実は、芝園団地はIT企業の社宅としても利用されていて、たくさんの中国人エンジニアが暮らしています。上海からやって来た楊貞栄さん(52)は3年前に来日、芝園団地に入居しました。
話を聞くと、その理由は意外なものでした。

楊貞栄さん
「3年前に中国で突然仕事を失いました。中国で仕事を続けたかったのですが、非常に難しい状態でしたので、日本の企業に再就職したんです。
中国では35歳以降で仕事を失う人が多く、社会問題になっています。特にIT業界では50代になると、就職の氷河期といわれています。この街は住みやすいし、日本で長く働いて、いつか家を買いたいと思っています」

急拡大するベトナム人コミュニティ

川口市に暮らす外国人のなかで2番目に多いのがベトナム人です。
日本で暮らすベトナム人はこの10年で9倍以上となり、西川口駅の周辺でも急増。新型コロナの影響で増えた空き店舗が、いま次々とベトナム料理店や食料品店に生まれ変わっています。

そうしたお店の多くが、留学生として日本に来たベトナム人の店です。新型コロナで帰国しない留学生が増えて、卒業後に在留資格を変更して起業するケースが増えているのです。

駅前の一等地にオープンしたばかりのベトナム料理店に行くと、スタッフも客も全員ベトナム人で、メニューも全てベトナム語。切り盛りしていた店主のグエン・スアン・フンさん(34)は、元留学生だといいます。

グエン・スアン・フンさん
「日本語を学びに留学生としてやってきましたが、卒業してすぐにビジネスの専門学校に入りました。専門学校の1年目で自分の会社を立ち上げました。西川口はベトナム人がたくさんいるし、チャンスがいっぱいあると思います」

この勢いは実際の店舗だけでなく、オンライン上でも広がっています。
ベトナム人向けに食料品をインターネット販売するアプリ。日本のスーパーでは売っていないベトナムの食材が、スマホから手軽に購入できます。 

このアプリを開発したのは、川口市内でベトナム食品店を経営するファム・ベト・アンさん(31)。やはり、元留学生だといいます。

ファム・ベト・アンさん
「ベトナムからの技能実習生や留学生が、食べるものに困っていると知ってこのアプリを開発しました。川口市内だけでなく、北海道や九州からも注文がたくさんあります。生活が苦しい人もたくさんいますが、それでもベトナムの味を求めて、注文は増え続けています」

厳しい日本での暮らし 心支える教会

夕暮れ時に歩いていると、ベトナム語の歌声が響く場所がありました。
在日ベトナム人が多く集う、カトリック川口教会のミサです。

川口駅のそばにあるこの教会には、川口市全域のみならず、都内からも多くのベトナム人がやってきます。週末になれば教会の中に入りきらないほどの人が集まるそうです。

近年急増し続ける在日ベトナム人のなかには、厳しい状況に置かれている人が少なくありません。
ベトナム人シスター、マリア・レ・ティ・ランさん(58)の元には、全国からたくさんの相談が寄せられるといいます。

マリア・レ・ティ・ランさん
「新型コロナの影響で仕事が減って生活が苦しい技能実習生や留学生が多くいます。妊娠を理由に帰国を迫られたり、中絶に追い込まれたりするベトナム人女性も後を絶ちません。そうした人たちのために、この教会では医師や弁護士と一緒に相談会を開いていて、少しでも苦しみの解放になってほしいと願っています」

民族こえて支え合う 蕨のクルド人

川口市に隣接するJR蕨駅に降り立つと、トルコ語のアナウンスが聞こえてきました。
この蕨駅周辺に数多く暮らしているのがクルド人です。

クルド人は、「国を持たない世界最大の民族」と呼ばれ、もともとトルコやシリアなどに居住している民族です。トルコでは、政府がクルド人の分離独立運動を厳しく取り締まってきた結果、弾圧から逃れて世界中に難民として亡命するクルド人が続出しました。
日本にも1990年代にやってくるようになり、川口市をはじめとする埼玉県南部を中心に2000人以上が暮らしているとされています。

建物を取り壊す解体現場で働く男性たち…。この街でよく見かける風景です。
川口で暮らすクルド人男性の大半が、こうした解体業の仕事をしているといいます。

解体現場を指揮していたトルコ国籍のクルド人、佐藤ムスタファさん(32)に話を聞きました。
16歳のとき、難民申請をするために川口市にやってきたムスタファさんは、先に移り住んでいた親戚の紹介で、解体の仕事を始めたといいます。

ムスタファさんによれば、日本にやってくるクルド人に仕事の選択肢は少なく、多くが人づてに解体の仕事を紹介してもらっているといいます。
ムスタファさんは日本人の妻と結婚し、永住権を取得。解体業の会社を起業して、自身も多くのクルド人たちに仕事を紹介しています。

トルコでは、クルド人というだけで差別や迫害を受けるなど、民族同士が対立するといわれています。しかし、ムスタファさんの解体現場では、クルド人だけでなく、トルコ人も一緒に働いていました。

佐藤ムスタファさん
「自分が差別的な事にあってきたからこそ、どこの国の人だとかそういうことを一切気にしたことはないです。この街にはいろんな人がいろんな事情でやってきています。どんな民族でも、同じ人間なのだから、生きるために仕事があるべきだと思っています

「どんな人間でも助け合う」。こうした支え合いの結果、蕨駅周辺に生まれたコミュニティ。トルコにいるクルド人の間では、こんな合言葉があるそうです。

「日本に着いたらワラビへ行け!」

トルコ国籍のクルド人夫婦、メメットさん(40・仮名)とヒュリアさん(31・仮名)は、その合言葉を頼りに、8年前にトルコを逃れてきました。
蕨駅周辺にたどり着いたメメットさん夫婦は、親戚や友人とつながり、住まいや仕事を紹介してもらいながら、少しずつ自分たちの生活を築いていったといいます。

メメットさん・ヒュリアさん夫婦
「なんでかはわからないけど、クルド人はみんな『とにかくワラビに行け』って言っているんだよね。たとえ日本に親戚も友人もいなくても、ワラビに来ればクルド人の誰かが世話してくれる。なんとか生きていけるように支えあっているんです」

話を聞く中で、メメットさんがいったことばが印象的でした。
日本ほど、自分の言いたいことが言える自由な国はない。この街で家族と安心してずっと暮らしたいと思っています」

一方で、日本で暮らしている2000人以上のトルコから来たクルド人のなかで、難民として認められた人はこれまで1人もいません。川口で、必死で自分たちの生活を築こうとしているクルド人たちは、いつ強制退去を命じられるか分からない不安と背中合わせで暮らしています。

川口の日本人はどう感じている?

川口市でたくさんの外国人に出会うなかで、ここで暮らしてきた日本人は、街の変貌をどう思っているのかを知りたいと思いました。話を聞いたのは、芝園団地に40年近く暮らしている荒木紀理子さん(67)です。


荒木紀理子さん

「2000年代に入った頃かな、気がつくとこの団地も街も様変わりしていて、外国人の方がたくさんいらっしゃったといたという印象ですね。
いま、わが家の右も左も上も下も外国人です。生活習慣や文化が違うことで、さまざまトラブルや問題があることは確かです。でもそれは日本人同士でも同じこと。『多文化共生』とかではなくて、要は、ひとりひとりの人間関係をどう築くかだと思っています」

「自分のできることをやりたい」という思いから、荒木さんはいま団地で開かれている日本語教室のボランティアをしています。そこで出会う、たくさんの新たな隣人となった外国人たちとつながることで、自分の街づくりに関わっていきたいと考えています。 

取材後記

わたしが川口で出会った外国人たちはたくましく、それぞれ共同体の中で互いに支え合っていました。それは簡単に「共生」と呼べるような理想郷ではありませんが、混沌とした街のなかで、ゆるやかに多様な人間たちが隣り合って生きていると感じました。

いま、ロシアのウクライナへの軍事侵攻によって、2022年の現在も国家や民族間の争いが絶えず続いていることを痛感させられています。日本で一番外国人が多く暮らす川口という街では、異なる文化や考え方に必ず出会うことができます。民族や国家を超えた共同体とはいったいどんな世界なのか。埼玉県川口市には、その答えを探すためのヒントがあると思っています。これからも変化し続けるこの街を引き続き見つめて、考えていきたいと思います。

  • 寺越陽子

    首都圏局 ディレクター

    寺越陽子

    2018年入局。制作局を経て2021年から首都圏局。 ラジオをこよなく愛しています。

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