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ヤングケアラーの母親だから始めたこと

~SOSなき若者の叫び(1)
  • 2022年4月30日

「私はヤングケアラーの母親だった」
かつて、幼い娘には大きすぎる重荷を背負わせた母親はかつて、社会から孤立し、娘に「あんたなんか親じゃない」とまで言われました。そんな母親が今、新たなヤングケアラーを生まないために始めたこととは。
(NHKスペシャル「ヤングケアラー SOSなき若者の叫び」取材班/記者 木原規衣)

ヤングケアラーは“親が悪い”!?

私(記者)が、香織さんに出会ったのは、およそ2年前。香織さんは、山梨県内で、ひとり親や仕事で家を空けている時間が多い親のかわりに、家庭に入って食事を作り子どもと過ごす時間を確保してもらう「炊飯部」という活動をしていました。
ただ、そのころの香織さんはまだ活動を始めたばかりだったこともあり、実際の現場を取材することはできませんでした。

私はこれまで、ヤングケアラーの高校生や支援団体を取材するなかで、「昔からよくあることだ」とか「親の努力が足りない・親が悪い」という声に触れ、親の思いを伝えきれないもどかしさを感じていました。

そうした中、ことし2月、山梨県南アルプス市の古民家を拠点に活動するメンバーが、ヤングケアラーの支援事業のキックオフイベントをすると聞き、オンラインで参加しました。およそ140人が視聴するなかで、「私はヤングケアラーの母親でした」と、自身の家族のことを話しはじめたのが香織さんでした。

母親なのにできないのは“愛情不足”?

香織さんは、3人の子を育てるシングルマザー。長男には発達障害、次女には情緒障害があり、現在高校3年生の長女が、1つ下の弟と3つ下の妹の世話をするようになったといいます。

香織さん自身も、厳格な両親のもとで抑圧された環境で育ち、高校生のころから摂食障害や精神疾患と付き合ってきました。気分の浮き沈みが激しく、自傷行為や薬の過剰摂取は日常茶飯事で、10代のころから20年あまり、精神科の病院に通い続けてきました。

香織さんの性格は、とても真面目で頑張り屋で、なんでもきちんと取り組みたいという強さがあります。3人目の子を産んでから主治医のすすめで続けていた病棟内の介護の仕事は、丁寧さや料理のうまさで評判がよかったといいます。

しかし、多動などの特性があった長男の子育ての難しさなどから保育園ともめたり、小学校で不登校となった長男に付き添ったりするなかで、次第に仕事も続けられなくなり、生活は困窮。ライフラインが止まることもしばしばでした。

夜のコンビニなどで働く生活で、精神疾患の症状が悪化しアルコールや睡眠薬に頼ってしまった香織さん。
母親としてきちんと育てようとすればするほどできないもどかしさや、「母親なんだからここまでやって当たり前」「努力不足、愛情不足だ」という声に苦しみ、次第にSOSを出すことを諦め、社会から孤立していきました。とにかく必死だったという香織さんはそのころのことの記憶がないといいます。

香織さん
「なんとか命をつなげることに必死で本当にしんどかった。一家心中を考えることもあった。きっと長女にもいろいろ言ったんだと思うけど、全然覚えていられなくて」

お手伝いはありえない?

そのころ、家庭を支えていたのは、幼い長女でした。

「あなたがしっかりしてないとママ働けないからね」
香織さんから言われ、掃除や洗濯などの家事全般を担っていた長女。
小学校1年生のころから毎朝6時に起き、自分でご飯を炊き冷凍食品を温めて食べ、弟や妹、睡眠薬のため朝起きられない母のことを起こして学校に行くのが日常でした。

香織さんの長女

香織さんの薬やお金の管理なども任されていましたが、症状が悪化すると「薬を出せ」と怒ります。
長女が反抗期になるとけんかも増え、「ママなんて必要ないんでしょ」と言って家を飛び出した香織さんが自傷行為をして血だらけになって帰ってくることや、家に警察が来ることもありました。

毎日、機嫌を伺いながら家事や弟妹の世話をしていた長女は、つらさや怖さをひとりで我慢するしかありませんでした。
自分にとって当たり前だった家の手伝いが、友達の家では「ありえない」と言われ、「これは言ってはいけないことなんだ」と気付いたからです。

ママ、一緒に弟と妹を育てようね

状況が変わり始めたのは、小学校4年生の「2分の1成人式」。保護者が見守る中、長女は、母・香織さんに向けた手紙を読み上げました。

「ママ、これからも一緒に弟と妹を育てようね」

ただただ母に喜んでもらいたくて、“ひとりで頑張らなくていいよ”という気持ちでこう書いた長女は、泣いている母を見て、「感動してくれたんだ」と素直に感じたといいます。

いっぽう香織さんが感じていたのは、「とんでもないことをしてしまった」という思いでした。
このとき初めて、香織さんは幼い長女には重すぎる負担を背負わせていたことに気付いたのです。

長女に母親の自分以外の大人の支えが必要だと感じた香織さんは、通っていた病院の臨床心理士につなぎ、定期的に長女の話を聞いてもらうようになりました。
長女は、心理士に「つらかったね」という言葉をかけられたことで、救われる思いがし、誰にも言えなかった思いを吐き出す場所ができたといいます。
香織さん自身も、時間の融通が利く訪問介護の仕事を始めました。

「おまえなんか親じゃない」

香織さんの一4人に社会的な支援が届かなかったわけではありません。
かかりつけの精神科の医師やスタッフは、通院の付き添いに来た子どもたちのことを気にかけ、時には病院を保育園として香織さんと一緒に入院させたり、香織さんにも治療の過程で子どもを叱らないように何度も言い聞かせていたりしたといいます。

香織さんに子どもたちをきちんと育てたいという思いがある以上、長女の精神的な負担を減らすには香織さんの病状の回復が一番だと考えていたからです。

ただ、それでも長女に頼る生活に大きな変化はありませんでした。

中学校3年生になった長女はある日、決心をします。

「もうここにいるくらいなら3人で出て行こう」

弟と妹を説得し、香織さんが買い物に出かけている間に、一緒に行くと言った妹を連れてこっそり家出をしたのです。一時的に香織さんが通う病院に逃げましたが、香織さんは激怒。長女にとってショックだったのは、出て行った自分たちの心配ではなく、今後の仕事や家事のことを気にかけていたことです。

「私は子どもじゃなくて道具に過ぎないのか」

電話越しに「おまえなんか親じゃない」とののしったといいます。その後、およそ2年間、祖母の家で別々に暮らすことになりました。ただ、この2年が冷静に親子の関係に向き合うきっかけになりました。

ヤングケアラーを生みたかったわけじゃない

現在、香織さんの症状は落ち着き、薬も飲んでいません。今は再び3人の子どもたちと一緒に暮らしています。

ただ、ここまで回復したのは、仲間との出会いがあったからです。
介護サービスに違和感を覚えた香織さんはデイサービスの起業を思い立ち、山梨県内で女性の起業支援などをしているNPOの加藤香さんと出会います。加藤さんは、香織さんに対し「なぜやりたいの」と何度も問い続けたといいます。
そのうちに、香織さん自身の生い立ちや経験から、加藤さんは香織さんの子どもたちに対する不器用な愛情に気付いたといいます。

NPO 加藤香さん
「ヤングケアラーにしてやろうと思って子を産む親はいない。愛情はあるのに、環境や本人の特性、弱さでそういうふうな状況になっている。香織さんはずっと引け目を感じて自分を責めていたけど、大丈夫、私たちが親代わりになるよって言ったときに彼女も安心したんじゃないかな」

香織さん(左)と加藤さん(右)

香織さんのやりたいことを何度も問い直すうち、本当にやりたいことは「母子支援」だと気付きます。
そこで、料理が得意な香織さんは、十分に子どもたちと過ごす時間が取れない母親たちのために、まずは惣菜や弁当を届ける事業を始めました。

そして、同じように加藤さんに相談していた元ヤングケアラーや子育て中の母親など、現在の仲間と出会いました。大きな家族のように接してくれる仲間と「やりたいこと」を問い直すなかで、香織さんは初めて自分自身の弱さと向き合い、前に進み始めます。

ヤングケアラーの母だから始めたこと

香織さんはいま、「ヤングケアラーを生み出さないための仕組み作り」を目指しています。

障害福祉サービスの相談支援専門員の資格を取得し、この4月から仲間とともに「相談室灯台」を立ち上げ、精神疾患のある人などの計画相談を始めました。

早朝4時から仕込む朝・昼・晩の弁当やお惣菜の販売も続け、アレルギーや食べ物の好みについての会話をきっかけに、生活や子育ての悩み事を相談しやすい関係づくりもしています。
手探りで動き始めた香織さんを支えるのは、こんな思いです。

香織さん
「娘に対し申し訳ないことをしてしまったけれど、過去に戻ってやってしまったことは変えられない。何をしてあげられるか考えたときに、自分自身が大変だった時を思い出した。なんとかしたいのにどうしたらいいかわからない、追い詰められてまわりに頼れなくなっていく母親の気持ちがわかるのは自分しかいない。そんなお母さんの回復の手助けができたらと思います」

ヤングケアラーだったけど、幸せになってやる

長女はいま、「私はヤングケアラーだった」と過去形で語ります。
香織さんが他者の支援を考えるようになってから、子どもたちのことにも向き合ってくれるようになり、大変だったころのこともようやく話せるようになったといいます。

香織さんと長女(写真奥)

長女
「すごくつらかったし、生まれ変わったら二度とこんなつらい経験したくない。でも母に仕返しをしても鬱憤は晴れないし、ママがつらかったことや頑張ってくれたことはわかっているし、あの時はひどいことを言ってしまったと思う。
私は私の人生を生きて、絶対幸せになってやるって、切り替えるように訓練しています」

取材後記

今回の取材を通して、家庭はぎりぎりの状態で、いつ長女が崩れてもおかしくない状態だったと感じます。
ただ、母親自身のつらさが理解されず、適切な支援を受けられないことで、子どもへの負担がかかってしまっていることは、行政や医療、教育機関だけでなく、家庭に関わる周囲の大人が認識する必要があると思います。
母親を責めても子どもの負担は減りません。たとえ明確なSOSがなくても、支援する手立てを考えていかなければならないと感じました。

NHKではこれからも、ヤングケアラーについて皆さまから寄せられた疑問について、一緒に考え、できる限り答えていきたいと思っています。
ヤングケアラーについて少しでも疑問に感じていることや、ご意見がありましたら、自由記述欄に投稿をお願いします。

疑問やご意見はこちらから

  • 木原 規衣

    甲府放送局 記者

    木原 規衣

    2018年入局 現在はひきこもりや子どもの貧困問題のほか、 福祉や介護、労災問題を精力的に取材

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