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知られざる外国人抑留 英国人の日記出版「日本が好きだったのに」

  • 2022年2月3日

太平洋戦争中、アメリカ国内では日系人が財産を奪われ、強制収容所に抑留されました。
しかし、日本でも同様に、外国人を収容所に抑留していたことは、ほとんど知られていません。
開戦から80年を迎えた2021年12月、神奈川県内の施設に抑留されていたイギリス人の男性が、当時の事をつづった日誌が出版されました。書かれていたのは、過酷な生活を強いられながら、それでも日本を憎むことができなかった青年の、複雑な思いでした。
(横浜放送局/記者 尾原悠介)

突如”敵国人”にされた男性

2021年12月、都内のお寺にあるお墓に、本を携えた男性が訪れました。
戦時中、父親が敵国人として抑留された出羽仁さん(69)です。
太平洋戦争の開戦から80年になるのにあわせて、父親が綴った日記をまとめた本をお墓に供えに来たのです。

出羽仁さん

ちょっと時間がかかりすぎたかもしれないけど、「やっとできましたよ。いい仕上がりの本になりましたよ」と伝えました。

出羽さんの父親のシディングハム・デュアさんは、貿易商だったイギリス人の祖父と日本人の祖母の間に生まれました。
日本で生まれ育ち、旧制中学校を卒業したあと医者を目指して横浜の自宅から東京慈恵会医科大学の予科に通い勉強を続けていました。
太平洋戦争が始まった日、22歳だったシディングハムさんはいつものように学校に向かいました。
しかし、突如、スパイ防止や保護を名目に特高警察に連行され収容所に抑留されてしまいます。

神奈川第一抑留所

最終的にたどり着いたのは現在の南足柄市内の山あいにあった神奈川第一抑留所でした。
4年近くにわたって抑留生活を強いられましたが、シディングハムさんは生前、ほとんどその体験を語らず、家族も実態を知りませんでした。

出羽仁さん
「空襲からも逃れられるし、食料も確保され保護される立場だからむしろよかったのではないかと思っていました」

日記に残された過酷な日々

シディングハムさんは終戦までの1年近くにわたり、収容所での日々の生活を細かく日記に残していました。
シディングハムさんの死後、日記を初めて読んだ出羽さんはその内容に衝撃を受けました。
日記には食料が乏しく十分な医療を受けられない、抑留生活の過酷な実態が綴られていたからです。

日記より
「半日も山で労働したのにちっぽけサツマイモがふたつだけ」
「病を患っていた(収容者の)ジョウナが今朝ベッドの中で亡くなってるのが見つかった。彼は医療を受けていなかった。犬死にさせられたのだ」

冬は厳しく冷え込む山あいの収容所で、過酷な生活を4年近くにわたり強いられた53人の収容者のうち、終戦までに病気などが原因で5人が亡くなりました。

一般市民のあたたかさも

一方で、日記には市井の人の温かさに触れた記述も残っています。
シディングハムさんの弟は10代だったことから抑留されずに自宅に残っていましたが、横浜空襲に遭って命からがら逃げたとき、”敵国人”であるにもかかわらず食糧が配られ、近所の人が避難を助けてくれたというのです。

日記より
「エディ(弟)が言うには近所の人々が実に皆親切だそうだ。我々は彼らの敵ではないか。そしてその敵の飛行機の仕業ではないか。政府の押しつけた上塗りの敵愾心も真の心の温情が完全に溶かしてしまったのだ」

”日本を憎みきれない”複雑な思い

シディングハムさんは、日本で生まれ育ったにもかかわらず国籍だけを理由に理不尽に抑留されたことへの怒りを、率直につづっています。

日記より
「なんて日本は度量の狭い国なんだろう。僕みたいな学生を抑留して恥ずかしくないのか」

一方で、日本を憎みきれない複雑な心情もつづっています。

「日本は僕を敵視しているが、僕はあくまでも日本は好きだ」

国と人は別 医師として多くの日本人を救う

シディングハムさんは終戦を抑留所で迎えたあとも日本に残り、医師免許を取得しました。
仕事から帰ると風呂に入って浴衣に着替え、晩酌に日本酒を飲むのを習慣にしていました。

1970年代に日本国籍を取得し、名前を出羽誠司に変え、70歳で亡くなるまで医者として多くの日本人を助けました。
なぜ、シディングハムさんはひどい仕打ちを受けながらも日本のことが好きだったのか。
出羽さんは、国とそこに住む人々のことは別に考えていたのではないかと、思っています。

出羽さん
「戦争を行っている国家や政府のことは恨んでいたと思いますが、それと日本に住んでいる人や文化というものは別だという冷静な視点を持っていたのだと思います。戦時中も人の温情に関する記述があるし、ひどい仕打ちをされてもそれは戦争が彼らをそういう風にしてしまったんだと考えていたんではないでしょうか」

知ってほしい 外国人抑留の実態

出羽さんは途中体調を崩しながらも、20年近くかけて編集作業を続けてきました。
先月、念願叶って本が出版され書店に並び、インターネットでも注文できるようになりました。
出羽さんはグローバル化が進み多様なルーツを持つ人が日本に住む今だからこそ、外国人の抑留があったという事実を、たくさんの人に知ってもらいたいと考えています。

出羽仁さん
「人種だとか国籍だとか文化だとか、そういうものの違いというのを我々はこれからどう受け止めて対応していけばいいのか、考えるきっかけにしてほしい。父のように日本が好きで、日本のために働こうとしていた人でさえも戦争というのは国籍だけで人を敵味方に判断する、そういう不条理さを伝えられたらなと思いますね」

編集後記

取材中、外国にルーツを持つ友人や、取材でお世話になった方々のことが頭に浮かびました。
ひとたび戦争が起こると多くの日本人が命を落とし、過酷な状況に追い込まれる陰で彼らがどんな目に遭うのか。
出羽さんも話すようにシディングハムさんの抑留体験は、多くの外国人が住むいまの日本だからこそ知ってほしい話だと感じました。
開戦から80年以上を経たいまだからこそ光をあてるべき戦争の側面がまだまだ埋もれているのではないでしょうか。
掘り起こしていきたいと思います。

  • 尾原悠介

    横浜放送局 記者

    尾原悠介

    平成30年入局。大阪府警担当を経て現在は神奈川県警を担当。

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