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コロナ死 “さよなら”なき別れ ~レシートの裏に最期の言葉~

  • 2021年2月18日

女性は入院した父親の病状を日々、SNSにつづっていました。
1週間くらいで帰ってくると思って。
でも1か月後、書き込んだのは「父は生涯を閉じました」という文章でした。
父は49歳でした。
(首都圏局/記者 山内拓磨・ディレクター 有賀菜央)

孫を愛する優しいおじいちゃんだった

「重症化する例も40代だと少ないと聞いていたので、本当に1週間くらいで帰ってくるんだと思っていました」

こう話したのは、関東地方に住む20代のみさきさん(仮名)です。
去年12月、新型コロナウイルスで49歳だった父親の誠さん(仮名)を亡くしました。
誠さんに持病はありませんでした。
家族で感染対策をとっていましたが、職場で感染したとみられています。

誠さんは、みさきさんの5歳と2歳の孫娘の成長を何よりも楽しみにしていました。近くに住んでいるのに、週末に遊びに行くたびに孫たちが好きないちごを買って待っている、優しいおじいちゃんだったといいます。

みさきさん
「『誰が好き?誰が好き?じいじだよね?』って聞いていました。『ママよりもパパよりもじいじって言ってほしい』ってよく言っていました。長女が初めて歩いたとメールで知らせた時には深夜に駆けつけて来て、もう娘は寝ているのに『いま見せて』って言って。翌日にはファーストシューズを買っていました。とにかく孫のことが大好きでしたね」

元気だった父の病状が急速に悪化して

みさきさんが誠さんの異変に気付いたのは去年11月のことでした。
発熱や倦怠感が続いたため検査を受けると、新型コロナに感染していることが分かりました。そのまま入院することになり、感染のおそれがあるとして家族との面会も禁止になりました。ただ誠さんは49歳と若かったこともあり、当初みさきさんたちは「1週間程度で退院できるだろう」と思っていたと振り返りました。

ECMOを入れる直前の誠さん

しかし、誠さんの病状は急速に悪化していきました。
入院の翌日からECMO=人工心肺装置による治療を受けることになります。ECMOを入れる前、みさきさんは誠さんとビデオ通話で会話を交わしました。これが最後の会話になるとは思ってもみなかったといいます。

みさきさん
「帰ってきたらみんなでご飯食べようねって話しました。4月に(みさきさんの)上の子が入学式を控えているので、俺スーツ着て行くんだと言って。何かを悟ったのか分かりませんが『あとは任せたからね』とも言っていました。このときは『俺が退院するまでうちをよろしく』くらいに思っていました」

話すこともできず SNSに病状をつづった

父と会うことも話をすることもできない中、みさきさんはスマートフォンを常に握りしめ、病院からの連絡を待ち続けていました。SNSには、病院から知らされた父親の状況がつづられています。

「11月26日 ECMO7日目 いよいよ1週間経ったけど良くなっているのかな」

 

「12月4日 いよいよ3週間 お風呂中に電話かかってきたけど出られず…すぐ折り返したけどかえってこず…気になって寝られない」

 

「12月18日 覚悟してくださいと言われた」

 

そして入院から1か月後。誠さんと直接言葉を交わせないまま、みさきさんは医師から「亡くなった」と告げられました。

看取りも葬儀もできない 実感のわかない“死”

みさきさんは父親の遺体と対面することもかないませんでした。火葬場が感染対策として立ち会いを認めていなかったのです。せめて近くで見送りたいと、みさきさんと家族は火葬場のそばにあるコンビニエンスストアの駐車場に車を止め、父との最期の時間を過ごしました。

その帰り道、車から撮った写真とともに思いをつづりました。

「父の火葬は晴れ男らしく、雲ひとつない晴天でした」

 

誠さんは遺骨となって自宅に1か月ぶりに戻ってきました。病院でのお見舞いや最期の看取り、そして葬儀までも行うことができない中、みさきさんは骨壺におさまった遺骨を見ても「父親が亡くなった」という現実を受け入れることができなかったといいます。

みさきさん
「『お父様です』と言って葬儀社の方から渡されたんですが、どうしてもお父さんだと思えなくて受け取れませんでした。すごく体が大きいお父さんだったので、こんなに小さくなっちゃったんだなとすごくショックでした。上の娘も『じいじ、こんなに小さくない』って怒って、『あんなに小さなところにじいじ入れないから、お星様は大きいと図鑑で見たから、じいじはそっちに住んでいるんだね』って言っていました。夜になると妹と星を見て、『じいじ!』って呼んでいます」

みさきさんの長女は、今でも保育園であったことや誠さんの絵を手紙に書いて、遺骨が置かれた祭壇に飾っています。誠さんは家族みんなでイベントを盛り上げるのが大好きで、クリスマスには遺骨にサンタクロースの帽子をかぶせ、節分には鬼のお面を乗せ、にぎやかなままだということです。

父親が亡くなって2か月がたちますが、みさきさん自身もよく送っていたという娘の写真を誠さんの携帯電話に送ってしまうといいます。

みさきさん
「何か出来事があると、ふと気付かずに送ってしまっていることがあります。送って既読がつかないたびに、『ああそうだ、父はいないんだ』って思います。亡くなったという実感がわけば、やめられるかなと思うんですが、亡くなる前や火葬する前にも会えてもいないので、実感がわかずに前を向けていない状態です」

レシートの裏に震えた字で「ありがとう」

父親が死んだあと、病院から返された遺品さえもコロナの影響を受けました。
感染対策として2週間は開けることが許されなかったのです。
そしてバッグに入った財布の中から見つかったのは、1枚のレシートでした。

そこには、「ありがとう」の文字が記されていました。

「みんなで整理してたら財布のレシートの裏にものすごく震えた文字で『ありがとう』を見つけた」

 

みさきさんは次のように語りました。

みさきさん
「家族みんなで大泣きしました。帰ってきて言ってほしかったなと。娘の入学式に行くのを楽しみにしていたので、ランドセルを背負った姿だけでも早く見せておけばよかったとか、もっとたくさん娘の写真を送ってあげればよかった、週末だけじゃなくてもっと会いに行ったらよかったと思ってしまいます。最期に一言かけられたなら、『ありがとう』とか『お疲れ様』って言ってあげたかったです」

死者の数字の裏にある人生を考えてほしい

父親と“あいまいな別れ”をしたことで、日常を取り戻せず苦しんでいたみさきさんを追い詰めたのは、周囲からの視線でした。
近所の人があいさつしてくれなくなったり、家の駐車場にそれまでよりもごみが多く落ちていると感じるようになったりしたといいます。

「我が家はまだばい菌扱いされているよ。本人は亡くなったのに近所からは後ろ指さされる」

 

みさきさん
「なんとか父が亡くなったところから頑張ろうとしていたときに、一気に冷水をかぶせられたような感じでした。父の死を受け入れられない中で、さらに元気を失ってしまう感じで、もっと父と向き合う時間にしたかった思いがありました」

対面することもかなわないまま、コロナによる「死」に直面したみさきさん。
いまその重さを改めて感じているとして、次のように語りました。

みさきさん
「(死者の)数字自体は増えたり減ったり毎日すると思うんですけど、その裏にあるのは私たち家族だったり、うちのお父さんだったり、ただの数字じゃなくて『1』がたくさん重なった数字だと思うんです。もし自分の家族だったらとか、もし自分自身だったらともう少し身近に考えてもらえたらいいなと思います。ひょっとしたら自分が感染しているかもしれない、誰かにうつすかもしれないと考えて行動すれば、誰かが亡くなるということも減るんじゃないかなと思います」

  • 山内拓磨

    首都圏局 記者

    山内拓磨

    2007年入局。長崎局、福岡局を経て報道局社会部。検察担当などを経て、2020年から首都圏局。憲法やコロナ取材を担当

  • 有賀菜央

    首都圏局 ディレクター

    有賀菜央

    2015年入局。名古屋局、静岡局を経て2019年から首都圏局。 これまでに家族問題や不妊治療に関心を持ち取材

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