ことしも文化祭の季節がやってきました。さいたま市にある県立浦和高校でも今月10日、11日に「浦高祭」が開催されます。浦高祭のシンボルとも言えるのが、来場者を迎える巨大な門です。毎年、生徒がみずから門を作る伝統が引き継がれています。ことしはどんな門が披露されるのでしょうか。制作メンバー「門隊」のリーダーで、2年生の池田琉生さんに、浦和高校のOBでもある泉アナウンサーが伺いました。
ことしの浦高祭ではどんな門を作るのでしょうか。
鎌倉の鶴岡八幡宮の楼門をモチーフにしました。大河ドラマで「鎌倉殿の13人」のゆかりの地ということもあって選びました。
門を作るメンバーは「門隊」と言うそうですけれども、何人くらいが参加しているんですか。
「門隊」として参加しているメンバーは100人から120人くらいいるんですが、実際に門を作っているのは私を含めて8人くらいです。少ないときには1人か2人で作っているときもあります。
いつ頃から製作が始まったんですか。
門のモチーフを決めたのは、去年の浦高祭が終わった去年の10月頃です。冬の間に設計と模型作りを始めます。
模型から作るんですね。
はい。構造の模型作りから始めます。
写真で見ると、結構な大きさですよね。
一番高いところで6メートル弱はあると思います。ですので、鉄骨を組んで、安全上、問題がないように作業をしています。
この夏休みも制作していたということですね。
夏休みに作業しないと文化祭に間に合わないので、夏休みが一番、重要な時期です。
門を作るうえで、大変な点はありますか。
鶴岡八幡宮はかなり装飾が細かいので、装飾を一から作るのは大変ですね。特に屋根の装飾が細かいです。
一昨年はコロナ禍で文化祭自体が中止となり、門作りもありませんでした。去年は来場者なしの文化祭だったんですが、なんとか門は作ったということですね。
例年、門隊は2年生が引っ張っていくんですが、門作りの伝統を受け継いでいるのが3年生しかいなかったので、去年は例外的に3年生が門隊長をやることになったんです。
去年、門を作らなかったら経験者が1人も学校にいなくなるところだったので、門を作ったことには大きな意味があったと思います。今まで先輩たちが長い時間をかけて受け継いできた浦和高校の歴史でもあるので、その一員になれたことは嬉しかったですね。
進学校ですから勉強も大変だと思うんですが、その中で、門を作る意義はなんだと考えていますか。
門は浦高祭の中心と言うか、顔でもあるので、やはり自分たちで作った門がないと、浦高祭が始まらないと思っています。歴史を受け継ぐ責任は感じつつも、やはり、仲間と一緒に門を作るのは楽しいし、自分の青春だとも思っているので、とても幸せなことだと思っています。
コロナ禍で高校生活もなにかと制限されることが多いと思うんですが、何か感じていることはありますか。
例年だったら、門隊は文化祭の前日は泊まり込みで作業ができるんですが、去年もことしもコロナでいろいろな制限があって、門隊の活動も縮小されています。本来の門隊の活動を知らないまま卒業していくのでちょっと残念な感じはありますね。
文化祭が終わったら門はどうするんですか。
以前は浦高祭が終わった翌日にすぐに解体していたんですが、去年は一般公開がなかったので、文化祭のあと2週間くらいは門を残しておいたんです。ことしも同じようにしばらく残すことになっていて、9月23日に解体することになっています。
門を通じて、文化祭を訪れる人にどんなメッセージを届けたいですか。
コロナ禍でも、文化祭の歴史を絶やさないように頑張っているというか、元の環境を取り戻すために精一杯、努力しているということが伝わればいいかなと思っています。
ことしの浦高祭は、感染防止対策のため抽選で選ばれた人しか入場することができませんが、門自体は校外から見ることができます。コロナ禍でも精一杯、高校生活を楽しんでいる生徒たちの姿をぜひ見てもらえればと思います。
記事の内容はさいたま放送局のFM番組「ひるどき!さいたま~ず」で放送しました。(9/7)