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東京生まれのデザイナー桂由美さん死去 シルエット美しいドレス 日本の結婚式にも強い影響

  • 2024年4月30日

東京生まれで世界的に知られたデザイナーの桂由美さん。

ことし3月、東京で最新作およそ70点を発表するファッションショーを開催するなど精力的に活動していましたが、4月26日に94歳で亡くなりました。

SNSでは、「結婚式のカラードレス、桂由美さんのデザインのものでした。ご冥福をお祈りします。」などと桂さんを惜しむ投稿が寄せられています。

親交があった華道家の假屋崎省吾さんは「アイデアが枯渇せずあふれて出てくる天才で、思いついたら人をどんどん巻き込んでいく行動力もあって実業家としても大きな才能を持っていた」と話していました。

SNSでも惜しむ投稿

日本のブライダルファッションの先駆けで、世界的に知られたデザイナーの桂由美さんが4月26日に亡くなりました。94歳でした。

SNSでは、桂さんを惜しむ投稿が寄せられています。

桂由美さんデザインに憧れてファッション業界の勉強を始めた私。卒業製作ではウエディングドレスにカクテルドレスの作製していた頃が懐かしい。それだけに…何だか悲しい
安らかにお眠りくださいね ご冥福をお祈りします

結婚式のカラードレス、桂由美さんのデザインのものでした ご冥福をお祈りします

式のドレス見に行ったとき、何も関係なくキレイだな〜と思うやつ選んだら「そちらは桂由美先生の」「そちらも桂由美先生の…」となり結局夫のタキシードすらこれカッコイイなと選んだら桂由美ブランドでスゲ〜〜〜〜〜〜てなった思い出

永遠に生き続けそうだと
思わずにはいられない才能の
持ち主であり、私も着用した
ことがある桂由美先生のドレス…
その節はありがとうございました

ウェディングドレスが桂由美さんデザインだった。当時は珍しかったオフショルダーで友人たちから評判がよかった。ご冥福をお祈りします。

東京生まれの桂由美さん

桂由美さんは東京生まれで、大学卒業後に、フランスに留学し、デザインや縫製の技術を学びました。

公式ホームページによりますと1965年に東京・赤坂に日本で初めてのブライダル専門店をオープンし日本初のブライダルショーも開催しました。

当時は、一般的ではなかったウエディングドレスを浸透させ、女性のシルエットを美しく引き出すドレスで日本の結婚式のスタイルにも強い影響を与えてきました。

また、1980年代からはニューヨークやパリなど世界の30以上の都市でショーを開いて活動の場を広げ、日本を代表するファッションデザイナーとしての地位を築きました。

1993年には当時のローマ教皇、ヨハネ・パウロ二世が復活祭のミサで着ていた祭服をデザインしたことでも知られています。

桂さんは、ことし3月、東京で最新作およそ70点を発表するファッションショーを開催するなど精力的に活動していましたが、4月26日に94歳で亡くなりました。

約60年 第一線で活躍

桂由美さんは、およそ60年にわたり、ブライダルファッション界の第一線で活躍しました。

事務所によりますと、東京で生まれた桂さんは、大学卒業後にフランス・パリに留学したあと、母親が経営する洋裁学校の教師を務めるかたわら、およそ20か国を訪問し、海外のブライダルの現状を視察しました。

日本人女性に似合うウエディングドレスを作りたいとの思いで、1965年には、日本では和装での結婚式が主流だった時代に東京・赤坂に日本で初めての西洋風のブライダル専門店をオープンさせました。

同じ年には、日本初めてのブライダルショーも開き、1968年にはブライダルの専門書を刊行、当時の日本人になじみのなかった「ブライダル」ということばを広く浸透させました。

その後、世界にも活動の幅を広げ、特に1981年にアメリカ・ニューヨークでのブライダルショーで発表した「ユミライン」と呼ばれる、着物の「お引きずり」からヒントを得て誕生した長い裾のドレスは、アメリカで評判となり、日本でも大ヒットしました。

その一方で、日本人の和装離れを心配した桂さんは、着付け時間の短縮となるツーピース式の着物を開発したり「打掛」を大幅に軽量化したりするなど、新たなスタイルを提案して和装の改革にも力を入れました。

2010年には、全米ブライダルコンサルタント協会から、世界で4人のみに与えられた称号の「名誉協会員」をアジア人として初めて受賞したほか、2019年には文化活動で優れた功績のあった人に贈られる「文化庁長官表彰」を受賞しました。

2022年4月には、自身のブランドのウエディングドレスを長年、製造している縫製工場がある福井県若狭町に、桂さんがデザインしたドレスを展示するミュージアムがオープンし、桂さんは「結婚への憧れを持ってもらえるような場所になってほしいです」と話していました。

“アイデアが枯渇せずあふれて出てくる天才”

亡くなった桂由美さんと親交があった華道家の假屋崎省吾さんは次のように話していました。

華道家の假屋崎省吾さん
「桂先生とは30年弱、ごいっしょさせてもらっている美の開拓者としての同志でした。桂先生は、アイデアが枯渇せずあふれて出てくる天才で、思いついたら人をどんどん巻き込んでいく行動力もあって実業家としても大きな才能を持っていたと思います。桂先生から刺激を受けてきたので、本当にショックです。いないと思うと涙が出て心にぽっかり穴が空いたような気持ちです。なにしろ仕事仕事という方だったので、少しゆっくり休んでくださいと声をかけたいです」

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