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2023年 追悼 首都圏ゆかりの方々 上半期(1月~6月)

  • 2023年12月28日

2023年も多くの足跡を残した、さまざまな分野で活躍された方が亡くなりました。特に、東京・神奈川など関東にゆかりがあった方をご紹介します。2023年1月から6月に亡くなった方、もしくは明らかになった方々を掲載しています。
下半期についてはこちらからお読みいただけます。

 

東京出身 YMO 高橋幸宏さん(70)

(左)高橋さん (中)坂本龍一さん (右)細野晴臣さん

世界的に人気を集めた音楽グループ、「イエロー・マジック・オーケストラ」=「YMO」などで活躍した、ミュージシャンの高橋幸宏さん。
YMOは、コンピューターやシンセサイザーといった当時最新の電子楽器を使った斬新な音楽性で“テクノポップ”という新しい音楽のジャンルを築き、高橋さんはドラマーとして活躍して大ヒット曲の「ライディーン」の作曲も手がけました。高橋さんのドラムは、正確なリズムとシンプル、かつ多彩な表現で演奏の土台を担いました。
音楽家としての顔を持つ一方ファッション・デザイナーとしても長く活動し、みずからブランドを立ち上げるなど、幅広い活動を続けてきました。所属事務所によりますと高橋さんは、1月11日、誤えん性肺炎のため、自宅で亡くなったということです。

 

東京出身 作家 加賀乙彦さん(93)

精神科医としての経験を生かして人間の内面を深く見つめた小説を書き続けた作家の加賀乙彦さん。東京大学で精神医学を学んだあと拘置所の技官を経てフランスに留学し、そのときの経験をもとにした長編小説、「フランドルの冬」で一躍、脚光を集めました。その後も、精神科医としての経験を生かした小説を書き続け、数々の文学賞を受けました。
また、社会問題にも強い関心を持ち、ハンセン病の元患者の作品を集めた「ハンセン病文学全集」の編集委員を務めたほか、脳死からの臓器移植や尊厳死の問題についても積極的に発信。こうした功績から、2011年には文化功労者に選ばれました。2021年には長編小説をまとめた全集も刊行しましたが、家族によりますと、1月12日、老衰で亡くなりました。

 

東京出身 茨城古河にゆかり 作家 永井路子さん(97)

永井路子さんは東京女子大学を卒業したあと雑誌の編集者をしながら小説を書き始め、1965年に鎌倉時代を舞台にした歴史小説「炎環」で直木賞を受賞しました。
戦後、日本人の歴史観が大きく変わる中でこれまでの歴史観にとらわれず、資料を綿密に分析して独自の視点で歴史小説を書き続け、中でも「北条政子」や「乱紋」、「山霧 毛利元就の妻」歴史の中の女性の役割に光を当てた作品を多く発表し、注目を集めました。
永井さんの小説は、NHKの大河ドラマ「草燃える」や「毛利元就」の原作にもなり、1997年には放送文化賞を受賞しています。
永井さんが3歳から20年あまりを過ごし、名誉市民も務めていた茨城県古河市の教育委員会によりますと、永井さんは1月27日、老衰のため東京都内の病院で亡くなったということです。97歳でした。

 

群馬出身 7つの内閣で官房副長官 石原信雄さん(95)

石原さんは旧自治省の事務次官を経て昭和62年の竹下内閣の発足に伴って、政府の事務方トップである官房副長官に就任しました。
続く、宇野、海部、宮沢、細川、羽田、村山のあわせて7つの内閣で7年あまりにわたって事務の副長官を務めました。副長官として支えた内閣の数は歴代最多でした。在任中は、昭和天皇の崩御に伴う改元や大喪の礼などを事務方として支えたほか、阪神・淡路大震災の復旧や復興にも尽力しました。副長官を辞任した後も地方自治の問題などで情報発信を続けました。

 

東京出身 「タラちゃん」役 貴家堂子さん(87)

「サザエさん」で「タラちゃん」の声を長くつとめ多くの人に親しまれてきた声優の貴家堂子さん。民放の放送劇団に入って声優の道に進み、多くのテレビアニメなどに出演しました。
このうち人気アニメ「サザエさん」では、放送が開始された1969年から50年以上にわたって「タラちゃん」こと「フグ田タラオ」の声を担当し、語尾に「です」をつける独特の言い回しで人気を集めました。また、「天才バカボン」のハジメ役や「ハクション大魔王」のアクビ役などでも親しまれました。
所属事務所によりますと、貴家さんは、2月2日まで仕事を続けていたということですが、2月5日、亡くなったということです。87歳でした。

 

元豊島区長 高野之夫さん(85)

高野さんは、豊島区議会議員や都議会議員を務めたあと平成11年の区長選挙で初当選して6期目でした。豊島区によりますと、高野さんは1月、新型コロナウイルスに感染し入院していましたが、27日に退院し、基礎疾患があるため登庁はせず、自宅で療養を続けていました。
その後、容体が急変し2月9日の夜、肺炎のため都内の自宅で亡くなりました。

 

元環境庁長官 公明党代表代行 浜四津敏子さん(70)

浜四津さんは、慶応義塾大学を卒業後、弁護士を経て、平成4年の参議院選挙に東京選挙区から立候補して初当選し、参議院議員を3期務めました。
この間、平成6年に羽田内閣で環境庁長官として初入閣し、新進党が解党して、再結成された公明党では、党の代表代行を務めました。不妊治療の保険適用の拡大などに取り組み、女性を中心に高い支持を集め、平成16年の参議院選挙に比例代表で立候補した際には、全国で182万票余りを獲得しました。平成22年の選挙に立候補せず、政界を引退し、創価大学法学部の客員教授を務めました。
浜四津さんは、2020年の11月に75歳で亡くなり、遺族の意向で公表していませんでしたが、了解が得られたとして2月16日、公明党が発表しました。

 

都内で暮らす被爆者団体「東友会」代表理事 大岩孝平さん(90)

広島で被爆し、都内で暮らす被爆者の団体「東友会」の代表理事などを務めた大岩孝平さん。
広島市出身で、13歳の時に爆心地からおよそ2キロ離れた自宅で被爆しました。大岩さんは、その後、移り住んだ東京で被爆者運動に参加し、自身の体験を国内外で発信してきました。また、都内で暮らす被爆者の団体「東友会」の代表理事や、全国の被爆者団体で作る日本被団協の役員などを務め、被爆者の先頭に立って核兵器廃絶を訴え続けました。東友会によりますと、大岩さんは3月7日、都内の病院で肝硬変のため亡くなりました。90歳でした。

 

「レビー小体型認知症」発見 横浜市立大学名誉教授 小阪憲司さん(83)

小阪憲司さんは金沢大学医学部を卒業後、東京都精神医学総合研究所で研究を行っていた1976年に「レビー小体」と呼ばれる異常なたんぱく質が脳の大脳皮質にたまるそれまで知られていなかった新しい認知症の症例を世界で初めて報告しました。
この認知症は「レビー小体型認知症」と名付けられ、幻視などアルツハイマー病とは異なる症状の認知症として国際的にも注目されるようになりました。
1991年からは横浜市立大学医学部精神医学講座の教授を務め、認知症の第一人者として、啓発活動や後進の指導を行いました。
大学によりますと、小阪さんは3月16日、横浜市内の病院で誤えん性肺炎のため、亡くなったということです。83歳でした。

 

東京出身 俳優 奈良岡朋子さん(93)

奈良岡朋子さんは洋画家の父、奈良岡正夫の影響で今の女子美術大学で絵画を学びながら1948年に現在の劇団民藝に入り、舞台での活動を始めます。その後は、同期生だった大滝秀治さんらとともに劇団の代表的な存在となり、「かもめ」や「奇蹟の人」など、数々の舞台で高い評価を得てきました。テレビドラマや映画でも名脇役を演じたほか、NHKの大河ドラマ「春日局」や「篤姫」、連続テレビ小説「おしん」など多くのナレーションでは、落ち着いた語り口で親しまれました。1992年には紫綬褒章、2000年には勲四等旭日小綬章を受章しています。また、2013年からは原爆の悲惨さを描いた「黒い雨」のひとり語りの舞台がライフワークとなり、平和を訴える活動を続けていました。
劇団民藝によりますと、奈良岡さんは、3月23日夜、肺炎のため亡くなりました。93歳でした。

 

音楽家 坂本龍一さん(71)

世界的な音楽家として活躍し、音楽グループ「YMO」で活動したことでも知られる、坂本龍一さん。幼少の頃からピアノと作曲を学び、東京芸術大学に入学しました。大学院を修了後、1978年にミュージシャンの細野晴臣さんや高橋幸宏さんとともに「YMO」として、アルバムを発表し、当時最新の電子楽器を使った斬新な音楽性で“テクノポップ”という新たなジャンルを築きました。1988年には、映画「ラストエンペラー」の音楽でアカデミー賞作曲賞を受賞したほか、グラミー賞など数々の賞を受賞して国際的な評価を高めました。
また、東日本大震災の被災者支援の音楽活動にも力を注いだほか、脱原発と非核を訴える活動を行うなど、社会的な活動にも力を入れてきました。また、明治神宮外苑の再開発について、計画の見直しを求める手紙を小池知事宛に送っていました。
2014年、中咽頭がんと診断され、治療後に音楽活動を再開しましたが、2021年に、新たに直腸がんが見つかったことを公表していました。所属するエイベックスによりますと、坂本さんは、3月28日、71歳で亡くなりました。

 

元江東区長 山※ザキ孝明さん (79)

山ザキさんは江東区議会議員や都議会議員を務めたあと、平成19年の区長選挙で初当選し、4期目でした。また、令和元年からは東京23区の区長でつくる特別区長会の会長も務めていました。山ザキさんは3月27日に体調不良のため都内の病院に入院し、治療を受けていましたが、その後、容体が急変して、4月12日の午前9時前、急性腎不全のため亡くなったということです。

※立つサキ

 

埼玉 所沢出身 脚本家 竹山洋さん(76)

竹山洋さんは大学在学中から演劇を学び、ジャズバンドのベーシストやテレビ番組の構成作家などを経て、30歳のころから本格的に脚本を書き始めました。人間への鋭い洞察力と骨太の脚本で注目を集め、NHKの大河ドラマでは「秀吉」や「利家とまつ」を手がけました。2001年にはNHKのドラマ「菜の花の沖」で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞したほか、2007年には紫綬褒章を、2017年には旭日小綬章を受章しています。
竹山さんは4月12日、敗血症性ショックのた亡くなりました。76歳でした。

 

東京出身 歌舞伎俳優市川左團次さん(82)

三代目市川左團次の長男として生まれ、1947年、五代目市川男寅の名前で初舞台を踏み、1979年に四代目市川左團次を襲名しました。世話物や時代物、新歌舞伎など幅広い演目に出演し、「助六」の意休などの存在感のある敵役から「身替座禅」の奥方玉の井などのユーモラスな役柄や女形まで巧みに演じ分ける高い演技力で知られました。テレビドラマやバラエティー番組などでも活躍し、2007年に放送されたNHKの大河ドラマ「風林火山」では、上杉憲政の役を演じました。こうした功績で2016年度の日本芸術院賞を受賞しています。松竹によりますと左團次さんは、肺がんのため4月15日に亡くなりました。82歳でした。

 

豊島区が地元 俳優 高見のっぽさん(88)

高見のっぽさん。1966年からNHK教育テレビで放送された子ども向け番組「なにしてあそぼう」と1970年に始まった「できるかな」にあわせて「ノッポさん」として20年以上にわたり出演しました。ひと言もしゃべらず、ジェスチャーを交えて鮮やかに工作を作り出す姿が子どもたちの人気を集め、相棒の「ゴン太くん」とのコンビも話題となりました。
また、2005年、71歳の時には、NHKの「みんなのうた」で放送された「グラスホッパー物語」でみずから作詞と歌を担当しました。このほかにも児童書などの執筆や民放の子ども番組の放送作家など子どもたちに関連する仕事を数多く手がけてきました。こうした功績が認められ2007年にはNHKの放送文化賞を受賞しています。
関係者によりますと周囲を騒がせたくないという本人の希望もあり、公表されていませんでしたが、去年(2022)9月、88歳で心不全のため亡くなりました。

 

東京出身 能楽の大鼓方で人間国宝 人間国宝 亀井忠雄さん(81)

能楽の大鼓方で人間国宝の亀井忠雄さん。7歳の時、能の初舞台を踏みました。
大鼓方として重厚でスケールの大きな演奏が特徴で、長年にわたり後進の育成にも尽力し、2002年には人間国宝に認定されたほか、2004年には紫綬褒章、2012年に旭日小綬章を受章しています。
亀井さんは6月2日には能舞台の本番に向けリハーサルに参加していましたが、3日に急に体調を崩し東京の自宅で肺炎で亡くなりました。81歳でした。

 

千葉出身 「893愚連隊」など映画監督 中島貞夫さん(88)

中島貞夫さんは東京大学を卒業したあと東映に入社し、京都撮影所に配属されて1964年に「くノ一忍法」で映画監督としてデビューしました。1966年には松方弘樹さんが主演を務めた仁きょう映画「893愚連隊」で日本映画監督協会新人賞を受賞して評価を高め、その後は、「日本暗殺秘録」や、「日本の首領」シリーズなどの実話を基に描く「実録映画」を数多く手がけました。(2018年)。東映によりますと、中島さんは6月11日、肺炎のため京都市内の病院で亡くなりました。88歳でした。遺作は、2018年、20年ぶりにメガホンを取り話題となった時代劇「多十郎殉愛記」でした。

 

東京出身 中日の元エース「フォークボールの神様」杉下茂さん(97)

杉下茂さんは昭和24年に中日ドラゴンズに入団し、昭和29年にはリーグ最多の32勝をあげてチームを初めてのリーグ優勝に導き、日本シリーズでも5試合に登板して3勝をあげ最高殊勲選手に選ばれました。当時は珍しかったフォークボールを決め球に強打者を抑え、「フォークボールの神様」と呼ばれました。通算215勝をあげて最多勝に2回、最優秀防御率に1回、沢村賞に3回輝き昭和30年にはノーヒットノーランを達成しています。
また、中日と阪神で監督を務めたほか、さまざまなチームの臨時コーチとして指導にあたり、昭和60年に野球殿堂入りしています。
杉下さんは間質性肺炎のため6月12日に東京都内の病院で亡くなりました。

 

東京出身「御宿かわせみ」シリーズなど 作家 平岩弓枝さん(91)

大学卒業後、作家の戸川幸夫さんや長谷川伸さんのもとで小説を学び、1959年に「鏨師」で直木賞を受賞して注目を集めました。
学生時代から親しんできた日本舞踊や能、狂言など伝統文化についての知識をもとにさまざまな作品を発表し、代表作の時代小説「御宿かわせみ」シリーズは、ベストセラーとなり、テレビドラマにもなりました。
また、随筆や戯曲、テレビドラマの脚本なども数々のヒット作を生み出しました。
こうした功績が評価され、1997年に紫綬褒章、2016年には文化勲章を受章しています。家族によりますと、平岩さんは、ことしに入って体調を崩し、6月9日、間質性肺炎のため東京都内の病院で亡くなりました。

 

東京スカイツリーのデザイン監修 彫刻家 澄川喜一さん(91)

澄川さんは東京藝術大学で彫刻を学んだのち彫刻家として本格的に活動を始め、木材を曲線の形に削り出して組み合わせた「そりのあるかたち」という一連の作品で高い評価を受けました。その後も石や金属などを使った抽象彫刻などで数々の賞を受賞して活躍するかたわら、東京藝術大学で後進の指導にあたり、1995年から2001年までは学長も務めました。また、東京湾アクアラインの川崎人工島「風の塔」や、国立科学博物館のモニュメントなどを手がけたほか、「東京スカイツリー」のデザインも監修しました。
こうした功績から、1998年に紫綬褒章、2020年には文化勲章を受章しています。
大学によりますと澄川さんはことし4月9日に亡くなったということです。91歳でした。

 

東京出身 オペラ演出の第一人者 栗山昌良さん(97)

栗山さんは東京出身で、1954年、二期会オペラ「アマールと夜の訪問者」で演出家としてデビューしました。その後、ヴェルディやプッチーニなど名作オペラの演出を数多く手がけ、「夕鶴」や「金閣寺」など日本オペラの上演にも力を注ぎました。
また、地方でのオペラの上演に積極的に取り組んだほか新国立劇場オペラ研修所の講師などを務め、優れたオペラ歌手を何人も育てるなど、半世紀あまりにわたって日本のオペラ界の発展に多大な貢献を果たしました。1987年に紫綬褒章、1996年に勲四等旭日小綬章を受章し、2006年には文化功労者に選ばれています。
家族によりますと、栗山さんは6月23日、東京都内の施設で老衰のため亡くなったということです。97歳でした。  

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