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人生の選択「廃棄寸前のデニムにかける人生 ~山澤亮治さん~」

  • 2023年7月5日

さまざまな選択がある「人生」。人生の岐路で、どんな選択をしてきたのか…
今回は、廃棄寸前のデニムに人生をかけた男性を取材しました。

(ひるまえほっと/リポーター 小村弥生)

アパレル工場を経営する、山澤亮治(やまさわ・りょうじ)さんです。

売れ残ったものや、制作過程で出た端切れなど、廃棄されてしまうデニム。
そのデニムをきれいに洗浄して“再生デニム”として新たな商品に生まれ変わらせる取り組みをしています。まずは、その工房兼ショップを訪ねました。

山澤さんたちの手でよみがえった廃棄寸前のデニム

デニムズボンをスカートに作り変えたもの

捨てられてしまうデニムが、アイデアと技術によって、おしゃれなデザインに生まれ変わっていました。

山澤さんの「人生の選択」①
下請けから脱却し、新たな事業に取り組む

山澤さんは、1995年に父親と一緒にアパレル企業の下請け工場を立ち上げました。
海外で作られた洋服を検品したり、汚れているものは洗浄したり、補修したりする工場です。徐々に事業を拡大し、従業員は30人ほどに増えました。
しかし、コロナ禍で外出が自粛され、アパレル全体の売り上げが減少。その影響を大きく受けたのです。

山澤さん

ひどい時は本当に半分ぐらい落ちました。工場の縮小も考えなきゃいけないな、というのは頭にありましたが、人を削らずに工場を残してやっていきたい。そのためには、何か新しいものをしなきゃいけないな。

下請けの仕事に頼ってばかりでは、元請の影響を受けてしまう。
自分たちで事業をおこすことも、考えたのです。

 

いつまでも下請けにいると、価格の問題もあります。受ける工賃そのものがどんどん下がっていく…
スタッフの顔が浮かぶんですよ。納期を間に合わせるために残業をしたりとか、早く出てきたりとか、している顔が浮かんで。これはちょっとよくないなと感じて。自分たちで発信できて、喜んでもらえるものをもっと提供したい。

新事業を立ち上げたいと考えていた時、思いついたのは、以前から好きだった古着をいかすことでした。そんな中、アメリカで大量に廃棄される古着のデニムがあることを知りました。
それがなんと、全て大好きな老舗ブランドのものでした。
このブランドは、丈夫な生地を使い、ウエストの部分はファスナーではなくボタンが使われているデザインが特徴です。150年前に誕生し、今も世界中で親しまれています。

 

高く積んであるそのデニムが、僕が昔から好きだったメーカーのものでした。
僕が中学1年生ぐらいの時に、1番初めにはいたデニムだったのです。もったいない。こんなの捨てちゃうのって。

山澤さんの「人生の選択」②
あえて困難に立ち向かう

山澤さんは、廃棄寸前のデニムにかけてみようと思い立ち、約20トン、3万5千本ものデニムを買い取りました。

日本に届いたデニムを洗ってみると…想像以上に汚れていたり、臭いが強かったりして、普通の洗い方では落とせないほどでした。
そこで、1年かけて洗い方を研究。洗剤を開発し、馬の毛のブラシを使って一本一本ていねいにブラッシングをかけることで、汚れを落とすことに成功しました。

ところが、販売先を探してみると、古着で1つ1つ色が違うデニム生地は、メーカーからは相手にされませんでした。

 

いや~、やってしまったなって思って。
本当にその時、もうどうにもならないじゃないですか。もうこれで思っていたものが、違くなってしまったんで。

山澤さんの「人生の選択」③
発想を変えて挑戦

デニムで作ったジャケット

デニムの生地を買ってくれるところがないなら、自分で作ればいい!!
再生させたデニム生地を使って洋服づくりに挑戦しました。
なぜ、自分が古着を好きだったのか、その原点に戻って考えました。古着の特徴である、使いこまれた風合いや、一つ一つが違う色合いであることを生かしたいと思いいたったのです。

山澤さんは、それまで洋服のデザインをしたことはありませんでしたが、一から取り組みました。

 

デザインの勉強をしたことがないのでやっぱりそのものを作るにはデザインしてパターンを起こしてね。裁断をしてっていうのを全部1からやりましたね。

すると、その珍しいデザインや、環境問題に配慮したものづくりということで、注目されるようになったんです。

ブランドの立ち上げから1年ほど経った時には、大手百貨店が、山澤さんの取り組みに興味を持ってくました。

 

どうしてこういうこと始めたのかすべてお話して、全部工場も見せて、共感してもらって。一緒にものを作りたいっていう思いはすごくあったので。生地としてもいろんなブランドさんに使ってもらいたくて使ってもらえないんだっていう話もして。そしたらじゃあ僕たちはデザイナーさんとつなぐことができるから何か一緒にやろうか。

当初から思い描いていた “再生デニム”を色々なブランドに使ってもらい、世界に発信したいという夢が実現することになったんです。

去年3月には、東京や大阪などの百貨店で、再生デニムを使った展示販売が実現しました。
山澤さんが再生したデニムと、国内外のデザイナーとのコラボレーションにより、約60のブランドと200以上の型をつくりました。中には、ブランドの主力商品として、世界的なファッションの祭典「パリコレクション」に出品されたものもあるんです。

パリコレに出たジャケット

 

うそだろって思いますよね。スタッフには黙っていて、ショーの概要が出た時に、朝礼で伝えました。ものすごい喜び方でした。
僕たちが作ったものが世界の人たちに見てもらえるというのが、スタッフには1番のご褒美だったんじゃないですか。

山澤さんの「人生の選択」④
【自分の思いを多くの人に伝える】

山澤さんは、中学校で再生デニムを使った授業を行っています。
山澤さんの活動を知った、中学校の先生から依頼を受け、はじめました。無償でデニムを提供し、自分たちの取り組みを紹介。さらに、洋服を作る方法も指導しました。
生徒たちはそれを実践して、ファッションショーも行ったのです。

加藤学園暁秀中学校・高等学校 飛田清美さん
「(授業の)すき間をぬってチクチク縫ったり、ペイントしたりしていました。自分のこしらえたものは、愛着もひとしおなのかなと思います。作った服は、みんなで順番に着ていると聞いています。ダメージになったとしても着られるんだって、服を大切にする気持ちは、少し根付いたんじゃないかなと思います」

山澤さんと、一緒に働きたいという人も出てきました。
山澤さんの指導を受けながら、再生デニムを使った新たなデザインを考えています。
服作りへの思いは。

社員・松浪希峰さん
「このデザインかわいいなと思って手に取ってもらって実はリメークだったんだよって言うのを分かってもらえたらいいなと思うし。そうなることによってリメークとか、サステイナブルっていうものが、すごいみんなにとって身近に感じてもらえたらいいなと思っています」

社員・上野美紅さん
「ファッション業界でサステイナブルとかよく耳にすると思うんですけどそういう取り組みを当たり前のこととして展開していけるように取り組んでいきたいなって」

こうした人生の選択をした、山澤さん。今の思いは…

山澤さん
「捨てられるものとか身近にあるもので着なくなった服とか、そういうものを自分の手を加えたり、アイデアを加えたりとかすると、もっと着てくれるものになるし、何か新しいものになるよというのも伝えたいな、一緒に伝えたいなと思ってやっています。自分たちが作りたいものを発信しながら環境も考えながら。ガラっと変わるっていうよりも、ちょっとずつ意識が変わっていく。僕たちの運動、活動が、そういう一助になればいいな」

 

【編集後記】
捨てられてしまうはずだったデニムが、どうしてパリコレに!?と疑問に思ったことが、山澤さんの取材を始めたきっかけでした。
取材で初めてお店にお邪魔した時、まず驚いたのは、香りです。古着の場合、服に付いた臭いを消すために、香りの強い洗剤を使うことが多いそうですが、そのような洗剤の香りは全くしなかったのです。そこには、汚れたデニムを一本一本丁寧に手で洗う、山澤さんや従業員のみなさんの努力がありました。大好きなデニムにかける情熱が感じられた瞬間です。

そのような強い思いが、多くの人を動かし、魅了し、パリコレにつながったのだと感じました。
自分の好きなものを信じて、困難な状況にも屈せず挑戦する山澤さんの姿に、たくさんの勇気をもらいました。

リポーター 小村弥生

 

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