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新松戸駅 “憧れのニュータウン” 住民がつなぐ外国人との交流

  • 2023年07月31日

多国籍の飲食店が建ち並び、国際色豊かなまち、新松戸

かつては田んぼが一面に広がっていた地域が、50年前の武蔵野線の開業を機に、住宅の開発が進んで「ニュータウン」として栄えました。近年は高齢化が進む中、若い世代の外国人が増えています。

変わりゆく街のなかで始まる、地元住民と外国人の間で新たに始まる交流を取材しました。

(東葛支局・間瀬有麻奈)

外国料理店が多数 新松戸駅前

「ケバブ!ケバブ!焼きたてだよ!」

新松戸駅の目の前のビルの一角にはいるケバブを楽しめるお店。威勢のいい店主の声は、駅前に響き渡り、いまや名物となっています。

ベトナム料理店に集うベトナム人の若者たち

ベトナム料理店は、駅周辺だけで10軒に上ります。中には、カラオケの設備を備え、“SNS映え”しそうな内装のバーもあります。べトナム人の店主がつくる料理が人気を集め、週末には大勢の若者が集います。

新松戸駅前 右のビル1階にあるのがケバブ店

“憧れのニュータウン”として発展

1978年頃の新松戸(写真提供:松戸市)

新松戸はもともと、田んぼが一面に広がる地域でした。

武蔵野線が開業した1973年以降、マンションや住宅の開発が進みます。「憧れのニュータウン」とも呼ばれ、いわゆる「団塊の世代」が多く移り住みました。

1982年ごろの新松戸の様子

しかし、時間の流れとともに街は高齢化。その隙間を埋めるように増えていったのが、外国人です。

新松戸に外国人が増えた理由はなぜなのか。

地元で取材すると、都心に近いJRの乗換駅という立地から、新松戸に日本語学校が次々とつくられ、その後、大学も設けられたことで留学生などが地域に住むようになったそうです。

さらに、都心と比べて物価や家賃が割安とされたこともあって、地域に外国人のコミュニティーが広がっていったということです。

新松戸在住45年「ニュータウン住民」は

南部篤子さん

「新松戸」という名前にひかれました。

新しい街で、いろんなマンションやお店が、次から次へとできてくる。住んでいる者としてはどんな街になっていくのか楽しみありました。

住み始めた当時は30歳から35歳くらい同世代の住民が多くて、子ども会が盛んでした。

こう語るのは、地域で45年前から暮らしている、南部篤子さん(74)です。地域の移り変わりを見続けてきた「ニュータウン住民」の1人です。

45年前、高倍率の抽選を勝ち抜き、新築のマンションを購入。東京都内に勤める夫と息子の3人と新松戸に移り住みました。

当時購入したマンションでいまも暮らす

長年、小学校で教えていた南部さん。当時、学校は子どもたちであふれかえり、マンションごとで運動会を開くほどだったといいます。子どもをもつ世帯が多く住む、まさに「憧れのニュータウン」でした。

小学校で教えていた頃の南部さん(写真提供:南部篤子さん)

しかしその後、地域では高齢化が進み、「ニュータウン」は外国人が多く暮らす街に変わっていきます。

そうした中で南部さんは20年ほど前、小学校の教壇を降り、先生を指導する役割へと立場を変えます。その際、空いた時間を使って、専門講座に通いながら日本語教育の指導法を学び直し、新松戸駅前の日本語学校で講師を務めることになりました。

南部さん自作の日本語学習の教材
南部篤子さん

地域に長く暮らす自分たちと、外国人との間に交流がないことが気になっていました。

日本語学校で教える楽しさを再認識しただけでなく、外国人の生徒たちと一緒に着物をきたり、餅つきしたりと、文化体験を交えて過ごしたことで、文化や言葉の壁を越えてお互いに交流する大切さを感じました。

地域に増えている外国人の子どもたちにも、「教育」をきっかけに、つながりを生み出すことができないかと考えました。

立ち上がった「ニュータウン世代」

そこで、南部さんが「ニュータウン住民」の仲間とともに始めたのが、外国人の子どもたちに向けた教室です。

外国人の子どもたちを教える勉強会

外国人の学習をサポートしている松戸市のNPO法人が2020年9月に設立。運営は、南部さんたち住民がボランティアで担うことになりました。週1回、毎週水曜日の夕方から、新松戸市民センターで開いています。

先生を務めるのは、海外を飛び回った旅行会社の元添乗員や、日本の経済成長を支えた元ビジネスマンなど。それぞれの経験を生かして、日々の学習だけでなく受験勉強もサポートします。

旅行会社の元添乗員(新松戸在住45年・英語を担当)
仕事をしていた際に海外の人たちにすごくお世話になったんです。直接恩返しをするのは難しいのですが、日本に来ている外国の子どもたちのお手伝いができればいいなと思いました。

元商社マン(新松戸在住35年・数学や英語を担当)
会社で企画することが多く、段取りをとってやっていいたので、この教室を立ち上げる際にとても役に立ちました。身近にいる子どもたちを指導ができればと思っています。

生徒は中学生が中心で、中国、ベトナム、ネパール、スリランカ、ナイジェリアなど、さまざまな国籍の11人です。

海外で生まれ、親の仕事の都合などで来日し、いまも日本語を十分に話せない生徒もいますが、全員が地元の公立の学校に通っています。

スリランカ人の生徒(奥)と中国人の生徒(手前)

すべて日本語で行われる学校の授業には、ついていくだけで大変です。子どもたちには学校以外の場で、日本語と学習を両面でサポートすることが不可欠になっています。

NPO法人は、新松戸のほか、市内の常盤平地域などであわせて5つの教室を開設し、あわせて50人の外国人の子どもたちが通っています。1996年に初めて教室を開設した当時、生徒は4人だけだったということで、25年ほどで10倍以上に増加しました。

工夫こらし“分かりやすく”

南部さんが担当しているのは、中国とスリランカの生徒たちです。

外国人の子ども向けのテキストを使って日本語を教えていますが、マスターするのは簡単ではありません。特にスリランカの生徒にとって難しいのが、スリランカの言葉で使われることがない「漢字」です。まるで記号のように映ってしまうといいます。

南部さんが使っているのが、自作の単語カードです。カードを示しながら会話のキャッチボールを交わし、それぞれの言葉の使い方を覚えてもらいます。子どもたちの反応を伺いながら授業を進めます。

ものの数え方を単語カードで学ぶ
スリランカ人の生徒

教科書は難しい。わかりやすかった。

中国人の生徒

先生としゃべってるときが楽しい

会話を積み重ね 理解を深める

さらに、先生たちが教室で大切にしているのが「雑談」です。

学校生活で言葉の壁に直面している子どもたちの緊張をほぐし、安心して話せる場づくりを心がけています。

南部さんは、授業の前に必ず時間をとり、その日にあった学校生活のことを聞いたり、生徒の母国の話題を織り交ぜて会話をしたりして、国の文化や習慣を理解しようと努めています。

南部さんが、来日して1年余りとなる中学2年生のスリランカ人生徒と話す「雑談」を聞きました。

南部篤子さん

学校はどうでしたか?

スリランカ人の生徒

給食の時間が楽しかった

南部篤子さん

何が給食で出たの?

スリランカ人の生徒

カレー

南部篤子さん

スリランカのカレーと日本のカレー、どっちがおいしい?

スリランカ人の生徒

日本のカレーがおいしい

生徒たちはこの先、高校や大学と、この地域で暮らしていくことになります。学習面だけでなく、生活面でも、地域との結びつきを強めていくことは不可欠です。

南部さんは、こうした何気ない会話を重ねることが、お互いを知っていく一歩となり、外国人と地元住民とが、地域のなかで接点を強めることにつながると考えています。

南部篤子さん

あの子たちの頑張っている姿をみてると、こちらも頑張れるんです。ここに来て、日本語をひとつでも、こういうときに使うんだっていうのが、わかればいいと思っています。

多文化共生を実現するのは、とても大変なことですが、現実のものになればいいと思っています

取材後記

住民たちは、子どもたちに分からないことがあると、とことん付き合って教えていました。最初は日本語が全く話せなかったものの、教室での学習サポートを通して、高校に合格した子どもたちもいます。

外国人の子どもたちの学びの場ではありますが、住民たちが「子どもたちから元気をもらっているんです」と、生き生きと語っていたのが印象的でした。

子どもたちの日本在住歴や国籍はさまざまで、日本語の上達レベルも違います。教室では、将来の進路について親とも相談しながら、それぞれの学習ニーズに対応できるよう努めていますが、限られた運営費や時間のなかで対応しきるのは難しく、費用面でも人材面でも課題は多いといいます。

子どもたちのために「少しでもできることをしたい」と立ち上がった住民たち。これからも続く挑戦を追っていきたいと思います。

  • 間瀬有麻奈

    東葛支局

    間瀬有麻奈

    新松戸在住1年。新松戸の外国料理のお店の全制覇に挑戦したいと思います。

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