2年前の夏、関東地方で火球と呼ばれるひときわ明るい流れ星が相次いで目撃され、その後、いん石が見つかるなど大きな話題を呼びました。そのいん石が落下した千葉県習志野市で新たなご当地ソングが生まれ、今、人気を集めています。
(千葉放送局記者 武田智成)
10月下旬、千葉県習志野市で開かれたイベントで、ある歌がお披露目されました。「キラッと煌めく 流れ星」「隕石見つかり 一大事」。いん石が習志野市に落下し大きなニュースとなった当時の様子を描いたこの歌、「ならしのいんせきのうた」です。
作詞したのは、地元・習志野市で和菓子店を営む堀智弘さん(57)。いん石の落下を町おこしにつなげようと企画しました。
2年前、新型コロナウイルスの感染が拡大する中、習志野市でも活気が失われつつありました。そこに舞い込んだ一つの明るいニュースがいん石の落下でした。堀さんは当時の様子を鮮明に覚えているといいます。
暗いニュースが続き、この地域の店も客足が遠のいて厳しい状況にありました。しかし、このいん石のニュースがあって、市内はもちろん市外からもたくさんの人がいん石を一目見ようと、来てくれました。
さらに町を元気にしたい。堀さんはすぐに、自慢の和菓子作りの技術を生かして「いん石まんじゅう」を考案しました。
あんを包むかわに焦げ目を施し、火の玉となって落ちてきた習志野のいん石を表現。発売からすぐに人気が出て、ふだんの業務とは別に、いん石まんじゅうを作る時間を別途設けないと生産が追いつかない状況でした。
そして、いん石での町おこし第2弾として企画したのが、ご当地ソング作りでした。本職の「菓子」ならぬ音楽の「歌詞」作りに挑戦したのです。
いん石と言えども、時間の経過とともに忘れ去られます。自分たちで終わらせるのではなく、次の世代にもなんとか残しつつ、町を盛り上げたいと、歌にしようと思いました。
作詞は初めての堀さん。仕事の合間を縫いながら、何度も書き直し、1か月かけてようやく完成させました。1番から3番まで書き上げた歌は、いん石が落ちてから町が大騒ぎになる情景が表現され、「ならしのはいい所 ならしのはみんなの街」という町への愛が詰まった印象的なフレーズで締めくくられています。
一方で、作曲については完全に素人。知り合いもいない中、突然再会したのが高校時代の友達の田所ヨシユキさんでした。
田所さんはたまたま店の前を通りかかったところ、堀さんのことを思い出して入店。久しぶりの再会で昔話に花を咲かせていると、掘さんは田所さんが関東を中心に活動するミュージシャンだったことを知り、思い切って曲作りを依頼しました。
田所さんも地元に貢献したいと依頼を快諾。作曲を始めて数か月後、堀さんの歌詞と合わせて、軽快なリズムの親しみやすい一曲に仕上がりました。
そして、10月下旬。地元の駅前で開かれる地域のイベントで披露されることになりました。
ステージの観覧席にはたくさんの人が集まりました。演奏するのは、田所さん率いるバンドのメンバー。掘さんも加わって円陣を組み、気分を盛り上げます。
「楽しんでいくよ、楽しんで。せーの、習志野ファイトー!オー!」。
ボーカルの田所さんが軽快なリズムに乗って、いん石が落下したあの日のできごとを歌い上げると、会場は大きな手拍子で応えます。
堀さんは舞台袖で見守ります。そして、堀さんが地元への思いを込めた最後のフレーズ、「ならしのはいい所 ならしのはみんなの街」にさしかかると、会場からも手拍子と歌声があがり、熱気に包まれていました。
覚えやすいメロディーで、ご当地ソングとして定着してもらいたいです。
【掘さん】
気に入ってもらえるか心配しましたが、皆さんに喜んでもらいほっとしています。
コロナ禍は続きますが、この曲で地域が盛り上がってくれるとうれしいです。
【田所さん】
高校時代を過ごした習志野はやっぱり愛着があります。恩返しではありませんが、この歌で、少しは貢献できたかなと思っています。
ある夜、空から火の玉となって落ちてきたいん石。その熱は今も習志野市で続いています。
取材で出会った堀さんは、誰よりも地元を愛する人でした。コロナで街の活気が失われつつあるなか、地元を盛り上げようと、田所さんや街全体も巻き込んでなんとかしようとするその姿に、私も心打たれた一人です。ライブ終了後、自作のチラシをお客さんに配り続ける堀さん。地元をより良くしたい。「地方創生」が声高に叫ばれていますが、まずは掘さんや田所さんのような人たちを世に発信していくことが大切だと感じました。