10月、千葉市である音楽ライブが開かれました。ライブの仕掛け人は、働き盛りに視力を失った全盲の男性です。「見えない自分には何もできない」という思いに一度はとらわれながら、同じ障害のある仲間たちが輝く場を作り出した男性を取材しました。
(千葉放送局記者 金子ひとみ)
10月8日、千葉市美浜区で音楽ライブ「スーパーライブ」が開かれました。視覚障害のあるミュージシャンのほか、マイク眞木さんなど総勢12組が出演しました。
このライブをプロデュースしたのは全盲のミュージシャンです。前田憲志さん(48)。27歳のときに難病の「網膜色素変性症」と診断され、徐々に視力を失いました。
同じように視覚に障害を持つアーティストが一堂に会して前を向く場を作りたいと思って企画しています。
千葉市にある学習塾の運営会社に勤める前田さん。白杖を頼りに通勤しています。
子どものころから視力は良くなかったものの、めがねやコンタクトをすれば生活に支障はなく、歌が大好きな明るい子どもでした。
大学在学中から学習塾で英語の講師として教壇に立ち、国立大学を目指す難関クラスも担当。子どもたちの能力を引き上げる仕事に、やりがいを感じてきました。
教えたことが伝わった時の喜び、また、受験結果が反映されたときの喜びが大きく、階段を上っていく感じの楽しさがありました。
「網膜色素変性症」と診断されたのち、30歳を過ぎたころから視力の悪化が急速に進みます。授業の準備に時間をかけるなどして努力でカバーしてきましたが、限界が訪れました。
「生徒からクレーム出ちゃったんだ、本当に申し訳ないんだけど授業降りてほしいんだ」って(会社から)言われて、それは悲しかったですね。トイレの個室でひとり、涙ぼろぼろ流しながら、ここまでがんばったのになあ、目が見えてりゃなあって思いましたね。
35歳のとき、子どもたちに教える現場から、教材を作る担当へと異動します。天職だと思っていた仕事から離れ、日常は一変。
視力を失ったことで、自分には何もできないという思いにとらわれた前田さん。アルコールに頼る日々が続き、大好きだった音楽からも離れていきました。
第1の前田憲志は終わった。あるべき姿、あるべき理想像である1人の人間がいなくなってしまったことの空虚感ですね。「目の力を失った自分の演奏で、人の心を動かすことなんてできない、かっこよくない」と思い込んでいたから、歌や楽器の演奏をしようと思えなかった。心も体もぼろぼろ。でも、「なんとかしなきゃ」という思いは常にあった。もがいて抜け出そうっていうときに、自分を作らないといけないって思いましたね。
前へ向くきっかけとなったのは、4年前、友人と始めたインターネットラジオでした。「見えなくても分かる漢字の書き方」、「視覚に頼らない計算のしかた」など、点字の読めない中途の視覚障害者に、必要不可欠な文字情報を音声で届けたいと始めた番組。
この中で、視覚障害のあるミュージシャンを紹介するコーナーを作ったところ、多くの反響が寄せられました。前田さんは耳で感じる音楽の存在の大きさに改めて気づくことになります。
前田さん自身も人前での演奏活動を再開。音楽を通して道を切りひらくことへ、気持ちが向いていきました。
視覚障害のあるミュージシャンと知り合う中で、みんな見えないで音楽やってるんだから自分だってできるじゃないか、自分にも居場所があるじゃないか、これだ!いいんじゃん!って思えましたね。これは自分ができる部分だと。
そして、前田さんがたどりついたのが、視覚障害がある人もない人も同じステージで演奏する音楽ライブのプロデュースです。
楽屋をこまめに訪れて、出演者と演出の打ち合わせをしたり励ましたり、慌ただしい前田さんです。
午前11時半から午後6時まで12組の出演者による長時間のステージ。聴衆は演奏に聞き入っていました。
とても感動しました。すごく心にくるものがあって。見えないのになんであんなに上手にピアノが弾けるんだろう、すごいなあと感心もしました。素敵でした。
私も全盲です。17年前に見えなくなって、いろいろ不自由はあるけれど、見えていたときよりも耳がよくなりました。音が分離して聞こえるというか。本格的なすばらしい演奏でした。もっとたくさんの人に聞いてほしいです。
ライブの最後には、前田さんが壇上であいさつしました。
【前田憲志さん】
彼らは障害を乗り越えてもなお、希望の光を届けようとしています。そんなすばらしいアーティスト、みなさん、これからも応援よろしくお願いします。
まだ緊張していて、足が震えてるんですけど、みなさんの心に演奏が届いたかもしれないなと思って感謝の気持ちでいっぱいです。「スーパー」ライブというのはちょっと恥ずかしいけれど、いろんな気持ちを伝え合えるっていうライブかなって思います。
同じ障害のあるアーティストさんが集まる最高の場所だと思っています。最後まで歌いきることができて本当にうれしいです。
苦しかったとき、同じ悩みを持つ人たちのために何ができるかを考えたことで、自分で作っていた壁を取り払った前田さんです。
苦しい時代は自分がどう助かるかとしか考えてなかったんですけど、こうじゃないんだと。もがくうちに、楽しんでもらえることっていうのが自分の喜びなんだと気づけました。目見えなくなって音楽はできないんじゃないか、音楽やりづらいな、発揮できる場ないなと思ってる人たちの希望の光になりたい。
前田さんたちが「視覚障害のある人だけで閉じた空間にするのではなく、一般の人をどんどん巻き込んでいくことで、視覚障害者への理解と共生社会の実現につなげたい」と成功させた「スーパーライブ」。来年も、10月21日に開催されます。
前田さんの取材を進める中で、ある人に「ラジオではなく、テレビで放送するのですか?主人公の前田さんはそれを見ることができないから、ちょっと酷な気もします」と言われてハッとしました。前田さんの意向を改めて確認しましたが、「テレビで放送することでより多くの人に知ってほしい」と言ってくれ、テレビに向けた取材を続行することにしました。撮影で気をつけるべきことは何か、先輩からのアドバイスは、「どの位置からどんなカットを撮っているか、何のために撮っているか、現場でしっかり説明すると安心してもらえるんじゃないか」とのことでした。私も今回の撮影担当カメラマンも、「今から回します」「もうカメラは回ってないです」「前田さんの右側から顔をアップで撮ってます」、などと細かく話をしながら進めたつもりです。
撮影のため、前田さんに久々に教室に立ってもらいました。「見えないけれど、黒板に書いてみたい」と言って前田さんがチョークで記したのが、「The power of blindness will change the future」(見えない力で未来は変わる)というフレーズでした。万人に響くことばではないかと思いました。
放送動画はこちらからご覧いただけます↓。