安倍元首相追悼演説 自民甘利前幹事長でなく立民野田元首相に

安倍元総理大臣に対する国会での追悼演説は、自民党の要請を受けて、立憲民主党の野田元総理大臣が行うことになりました。

安倍元総理大臣に対する追悼演説をめぐって、自民党は、8月の臨時国会で、甘利前幹事長が行うことで調整を進めましたが、戦後、総理大臣経験者に対する追悼演説は、いずれも野党の議員が行っていたことなどから、党内外から反発が出て、先送りとなっています。

こうした中、10月7日午前、自民党の高木国会対策委員長と立憲民主党の安住国会対策委員長が会談し、高木氏は「妻の昭恵さんなどの遺族や自民党の総意として、野田元総理大臣に追悼演説をお願いしたい。安倍氏は長く総理大臣を経験し、その重圧と孤独を最も知っているのが野田氏だ」と要請しました。

これを受けて立憲民主党は、泉代表や岡田幹事長のほか、野田元総理大臣も加わって対応を協議した結果「大変重い要請で、遺族の意向を何よりも大事にしなければならない」という認識で一致し、野田元総理大臣も応じる考えを示しました。

そして、自民党側に要請を受け入れる意向を伝え、野田元総理大臣が追悼演説を行うことになりました。

これを受けて自民党は、10月下旬の衆議院本会議で追悼演説を行う方向で調整を進める方針です。

追悼演説とは

国会では現職の議員が亡くなった場合、所属していた院の本会議で、現職の議員による追悼演説を行うことが慣例になっていて、衆参両院の事務局によりますと、戦後、合わせて400回以上行われているということです。

衆議院では中選挙区時代は、亡くなった議員と同じ選挙区の、ほかの政党の議員が行うことが慣例とされていましたが、近年は遺族の意向を尊重し、亡くなった議員と生前親しかった、同じ党の議員が行うケースも多くなっています。

ただ、総理大臣経験者に対する追悼演説は、戦後行われた8回すべて、野党の党首などが行っています。

直近では平成12年に、小渕元総理大臣に対する追悼演説を、社民党の村山元総理大臣が行ったほか、昭和63年の三木元総理大臣の追悼演説は、社会党の土井たか子委員長が行いました。追悼演説の際には、ふだんはヤジが飛び交うことも多い本会議場が静まり、のちに名演説と語り継がれるものもあります。

昭和35年に社会党の浅沼稲次郎委員長が、日比谷公会堂で刺殺された際には、当時の池田総理大臣が追悼演説を行いました。

池田総理大臣は「私は、この議場に1つの空席をはっきりと認める。心ひそかに、きたるべき総選挙には、全国各地の街頭で、その人を相手に政策の論議を行おうと誓った好敵手の席だ」などと述べ、故人をしのびました。

自民 甘利前幹事長「高木委員長に野党議員がよいと伝えた」

自民党の甘利前幹事長は、記者団に対し、当初、自身が追悼演説を行う方向で調整が行われた経緯について「自民党の高木国会対策委員長から『安倍氏のご遺族の要望として追悼演説をやってほしい』と事前承諾を求められ『ご遺族の意向を承諾しないという選択肢はない』と答えていた。正式に決まった場合には、もう一度、話が来ることになっていた」と述べました。

立民 泉代表「遺族の意向は特別な重み」

立憲民主党の泉代表は、記者会見で「遺族の意向は特別な重みがある。自民党内で、う余曲折があり、本来であれば済んでいる話だが、今回は、自民党として責任とけじめを持って依頼してきたものだと確認し、受け止めた。立憲民主党として野田元総理大臣に伝えたところ『党からの要請であれば謹んでお受けする』という答えがあった」と述べました。

公明 山口代表「野田氏でなければできない追悼を」

公明党の山口代表は、記者団に対し「野田氏は安倍氏の『国葬』に立憲民主党の執行部の方針とは別に自身の考えにもとづいて出席した。野田氏でなければできない追悼を心を込めてやっていただきたいと期待している」と述べました。

国民 榛葉幹事長「野田元首相 いいところにまとまった」

国民民主党の榛葉幹事長は、記者会見で「少し迷走したが、総理大臣経験のある野党第一党の野田元総理大臣が追悼演説を行うのは、大変いいところにまとまったと思うし、私も演説内容に心静かに耳を傾けたい」と述べました。