熊本地震からきょうで6年 生活の再建が引き続き課題

270人以上が犠牲となった一連の熊本地震で、最初に震度7の揺れを観測した地震が発生してから14日で6年です。震度7を2回観測した益城町などでは、いまだに90人余りが仮設住宅で暮らしていて、依然として生活の再建が課題となっています。

熊本県によりますと、6年前の熊本地震では、熊本市や益城町など40の市町村で合わせて19万8255戸の住宅が全半壊するなどの被害が出て、災害関連死を含めて276人が犠牲となりました。

熊本県内では16市町村110か所におよそ4300戸の仮設住宅が整備され、民間の賃貸住宅を活用した「みなし仮設」も含め、地震のよくとしは、最も多い2万255世帯、4万7800人が仮設住宅での生活を余儀なくされました。

その後、被災者の住まいの確保が進み、仮設団地は、3月末には益城町と西原村の2か所になり「みなし仮設」を含む仮設住宅で生活する被災者は37世帯95人となりました。

熊本県による益城町の区画整理は終わるまであと5年以上かかる予定で、被災者の中には仮設住宅での生活が続く人がいて、依然として生活再建が課題となっています。

熊本県は「被災者の最後の1人が住まいを再建するまで支援を継続していきたい」としています。

益城町 いまも80人余りが仮設住宅

熊本地震から6年となる中、震度7の揺れを2回観測し大きな被害を受けた益城町では、区画整理事業などの影響で今も80人余りが仮設住宅などでの暮らしを余儀なくされています。

地震発生当時、益城町では道路が狭く入り組んでいたり住宅が倒壊したりして場所によっては救急車などの緊急車両がすぐに入れませんでした。

このため中心部の28.3ヘクタールで狭い道路を造り直し、宅地や公園などを新たに整備する区画整理事業が続いています。

しかし、3月末現在、
▽完成した宅地は全体の19%、
▽土地の引き渡しができたのは318人の地権者のうち20%余りの70人にとどまっていて、県によりますと、事業が完了するのは6年後の令和10年3月末の予定です。


また、町の中心部を通る幹線道路、県道熊本高森線のおよそ3.1キロを4車線化する拡幅工事も行われていて、4年後の令和8年3月末に完了する予定です。

こうした公共事業などの影響で、益城町によりますと地震から6年たった今もなお32世帯83人が仮設住宅などでの暮らしを余儀なくされているということです。

益城町では

大きな被害を受けた益城町では更地になった場所に朝から花が供えられていました。

町内に住む80代の女性は、「地震のことを思い出していました。色々まだ出来ないことがたくさんあります。大変でした」と話していました。

また、通学途中の女子高校生は、「熊本地震は横揺れで怖かったです。毎日が怖くて怯えているような状況でした。以前は少しの揺れでも怖がっていましたが、今は大丈夫になりました。復興に向けて町の人たちに頑張ってほしいです」と話していました。

益城町の仮設住宅では

益城町の仮設住宅「木山仮設団地」では人の出入りの少ない静かな朝を迎えました。

益城町ではピーク時の2017年には、18の仮設団地に3900人あまりが生活していましたが、現在は「木山仮設団地」の1か所に集約され、先月末の時点で16世帯32人が暮らしています。

益城町の自宅が全壊し、現在も仮設住宅に住んでいる70代の男性は「自宅のあった場所が区画整理の対象で、事業が進まないためここに住まざるをえない。営んでいた自動車整備の工場も被災し、お金もたまらないため、再建のめどは立っていない。娘夫婦に心配をかけたくない思いが強く行政にはもっとやる気を出して事業を進めてほしい」と話していました。

益城町の自宅が全壊して妻と娘、それに孫と4人で木山仮設団地に暮らしている林清治さん(83)は「6年たって思い返してみると、仮設住宅に来てからは脳梗塞にもなってあまりいいことがなかったなと思います。ただ、ようやく町内の元の場所に家を再建するめどがたったので、また家族いっしょの家で暮らすのが今から楽しみです」と話していました。

益城町 木山神宮 けさの様子は

熊本地震で神殿など境内のすべての建物が全壊し、去年、鳥居と神殿が再建された益城町の木山神宮では神社の禰宜が14日朝早くから境内を掃除し、朝のお参りをしていました。

また、散歩中の男性が鳥居に手を合わせる姿も見られました。

神社は、拝殿も今年度中に再建される見通しだとということです。

禰宜の矢田幸貴さんは「地震から6年がたち、少しずつ益城町の復興が進んできたと実感しています。その一方で、町は区画整理などで地震前の風景から一変したので、神社だけでも地震前の姿を取り戻して、地域の方の心のよりどころとしてコミュニティの復興に寄与していきたいです」と話していました。

熊本城 二の丸広場では

熊本地震で建物や石垣が崩れるなどの被害を受け、今も復旧工事が続く熊本城の二の丸広場では、14日朝から散歩やランニングをする人の姿が見られました。

地震で自宅が全壊した近くの70代の女性は「家が壊れても涙は出なかったのに地震から1週間後に熊本城が心配で訪れてその被害を見たときにはじめて涙が流れました。熊本城はかけがえのない存在なのでもっと人や町の復興が進んで元気になるように毎朝お祈りしています」と話していました。

また、熊本市の70代の男性は、「2回の揺れの恐ろしさは経験した人にしかわからないと思います。少しずつですが復旧が進んでいる熊本城はみんなの心の支えです。二度と味わいたくないですが、災害は忘れたころに起きるので日頃から備えをしておきたいです」と話していました。

また、住んでいた集合住宅が半壊したという熊本市の70代の女性は「2回目の揺れのあと近所の人と着の身着のままで避難して熊本城の御幸坂のベンチで一夜を明かしたのを思い出します。何かが崩れるような音を聞き熊本城の被害を見たときは本当に驚きました。人は忘れていくものなので復旧を進めるとともに被害を伝えるものも残してほしいです」と話していました。

熊本城は、天守閣の復旧が去年終わりましたが、被災したすべての建物の復旧が完了するのは、16年後の2038年の予定です。